クルマは単なる工業製品ではなく愛すべきパートナー。 その2

VOL.9_1

佐藤 久実 

1965年生 東京都出身
大学在学中にレーシングドライバーとして活動を始める。ワンメイクレースや耐久レースをメインに、海外の24時間レースにもチャレンジしている。レースで培ったスキルをベースに、ジャーナリストとしてのクールな視点、女性の視点からクルマを評価。自動車専門誌への執筆やTV出演をしている。また、ドライビングインストラクター、大学非常勤講師も務める。日本自動車ジャーナリスト協会会員。日本カー・オブ・ザ・イヤー2006~2007選考委員。

大学生だった'87年のレースデビューから、N1耐久、目標だったグループA、
そして全日本GT選手権とトップカテゴリーでバトルを繰り広げ、
'01年に一線を退くまで15年を駆け抜けた女性ドライバー佐藤久実氏。
「自分の意志でここまで何か物事をやりたいと思ったことはなかった」と
レースへの思いを振り返る。
女性だから注目されスポンサーを取りやすかった時もあれば、
逆に辛い思いをしたこともあった。
結果「レースの世界で女性であるということは
プラス面とマイナス面をあわせて
差し引きゼロだったと思います」。

一年で握力が40キロに。

レーシングドライバーとして男女の差を意識したことはあまりないんですが、グループAのマシンに初めて乗った時だけは体力差を感じました。シティやミラージュはパワステがなくてもそんなに辛くなかったし、N1耐久のGTRはパワステもありましたから、体力的なことはそんなに感じなかったんです。ところがやっと目標のグループAに乗せてもらったらパワステもブレーキのマスターバックも無くて、全ての操作に力がいるんです。本物のレーシングカーって言う感じで、腕も足もパンパンになる。タイヤの摩耗を確認するロングランテストで走る時間も長くなって、“チェッカーを出すまで戻るな”とか言われて延々走り続けなきゃいけない。疲れてタイムが落ちてくるとピットインのサインが出て、戻ると監督が鬼のように立ってるのが恐くて、恐くて(笑)。だから最初の頃、決勝の時にはもうヘロヘロになってましたね(笑)。
 おかげで、25キロしかなかった握力が一年間で40キロになり、腕まわりも5センチくらい太くなりました。その後、年々進歩するマシンに合わせてさらに体力が必要なGTまで乗り続
けられたのも、それがあったからですね。

ニュル24時間。

グループAのカテゴリーは参戦2年目の'93年で無くなりショックでした。ちょうどバブル崩壊の時期ということもあって'94年は他の国内戦にも参戦できなかったんです。その代わり、初めてニュルブルクリンクの24時間耐久に参戦するチャンスが手に入ったんですよ。
 地元チームのゲストドライバーとしての参戦で、国内の一人旅もしたことないのにいきなり海外(笑)。24時間の耐久も初めて。最初はとても嬉しかったんですが、行ってみたら一周約25キロのとんでもなくリスキーなコースに、クルマはハンドルが重いグループAシビック。そのうえ妙に燃費が良くて休む間もない。もう本当にキツくて泣きながら走りましたよ(笑)。当時はドライバー3人で3時間ずつ。私はサードドライバーだから1、2、3の順で2スティントだと思っていたら『ゲストにフィニュッシュドライバーをプレゼントしよう』って。「ありがとう~」って言いながら“3スティント?”って引きつってましたよ(笑)。
 でも3本目、最終スティントを走っていたらラスト50分を残してエンジントラブルで走れなくなり、私のフィニッシュはなくなったんです。そしたら『せめて、完走をプレゼントする』って残り20数分の時にファーストドライバーが乗り込み、隣のピットでリタイヤしていたマシンにバンパー・トゥー・バンパーで押して貰って最後の一周を走りきり、チェッカーを受けたんです。もちろん本来は失格になるんですけれど、観客は盛り上がって凄い拍手の嵐。みんなの大声援の中、本当に感動的なゴールでした。ニュルは昨年も亡くなったドライバーがいる位にリスキーなんです。みんな競争相手なんだけど、過酷なレースを戦っている者同志の連帯感があって、お互いに凄く和気あいあいとしているんですよ。本当に真剣なレースをやりながら、楽しむところは楽しんでいる。そこにレースの文化を感じます。
 ここ数年錆落としもかねてニュルに参戦してますけど、現地に行くと毎回“なんでわざわざこんな辛い思いをしに来るんだろう”って思うんですけど、日本に帰ってくるとやっぱり“また来年も!”ってなるんですね(笑)。

ニュルブルクリンクでは初めての海外、初めての24時間耐久。「リスキーなオールドコース(ノードシュライフェ)をみんな凄いスピードで走っていくんです。本当に高いスピードで自在にクルマをコントロールする難しさをあらためて思い知りました」。('94年ニュルブルクリンク24時間耐久レース)

'95年にはスパ・フランコルシャン24時間レースに参戦。「ある日、突然三原さんから電話があって『スパに行くから』って誘われての参戦でした」。 三原じゅん子さん、奥山道子さんとの女性3人でトヨタ・カローラレビンAE101をドライブしクラス優勝を勝ち取った。('95年スパ・フランコルシャン24時間耐久レース)

96年は三原じゅん子さんとのペアでスーパーN1耐久に参戦。クラス3シリーズチャンピオンに輝いた。
('96年スーパーN1耐久シリーズ#30ギャザズインテグラ( DC2))

'97年から全日本GT選手権に参加。'01年を最後に一線を退く。「一度シートを手放したらもう二度と戻れないので随分迷いましたが『引き際を美しく』が持論なので、まだ走れるうちに決意したんです」。
('98年 全日本GT選手権 #60 TOYOTA CAVALIER)

沢山の失敗経験も役立てて。

私がレースを続けてこれたのは、本気で好きだったし負けず嫌いっていうのもありましたが、ワンメイクからグループAまで、各段階で一つひとつ上のカテゴリーに必要な事を経験させてもらいながらステップアップできたことが大きかったと思います。
 そうした中で得てきた物を皆さんに役立てていただければ、という思いでインストラクターをやっています。サーキットに来た方が『ヒール&トウができた!』と喜んでくださったりするのが私にとっての喜びですよね。失敗も沢山経験してますから(笑)普段の安全運転のために『こんな操作をすると、こんな風になっちゃうよ』っていうことも伝えてます。特に一般の女性ドライバーは“機械を操作する”という時点で苦手意識を持たれている方が多いみたいですね。だから、運転中は自分のクルマだけに意識が行き、目線も一方向しか見ていないことが多いんです。大切なのは状況判断と周りとのコミュニケーション能力なんです。そんなことも伝えていきたいなと思います。
 女性で免許をとりながら“車庫入れができないから、クルマで出かけられない”なんていう話しを聞いたことがあります。でも、それじゃもったいないですよね。クルマはただの機械じゃなくて愛すべきパートナーなんですよ。だから、クルマとうまくつき合っていただけるよう、もっともっと多くの皆さんと出会って、いろんなことを伝えていきたいと思っています。

現在の愛車メルセデス・ベンツCLS500。「長距離を疲れずに快適に走るという性能には本当に優れていますね」。インストラクターの仕事で自宅のある東京からサーキットまで移動する上でも重要なパートナーとなっている。

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