現代から脱現代へ。その起爆剤としてのEV。 その2

VOL.8_1

舘内端 

1947年生 群馬県出身
日本大学理工学部卒業。
東大宇宙航空研究所勤務の後、レーシングカーの設計に携わる。
現在は、テクノロジーと文化の両面から車を論じることができる自動車評論家として活躍。「NAVI」「JAFMATE」等、連載多数。 行政の各種の委員もこなし、低公害車の普及をボランティアで促進している。1998年、環境庁長官より感謝状授与。日本EVクラブ代表。
「胸をはってクルマに乗れますか?―美しい自動車社会を求めて」(二玄社)、「すべての自動車人へ」(双葉社)、「ガソリン車が消える日」(宝島社新書)、「クルマ運転秘術-ドライビングと身体・感覚・宇宙―」(勁草書房)など、著書多数。

日本のモータースポーツの頂点で仕事をしてきた舘内端氏が80年代から感じてきたことが、
永遠に「進歩」「拡大」すると信じてきた近代の行き詰まりだった。
このままでは社会の存続すら脅かしかねないという危機意識は
ポストモダンという流れの中でより明確になっていく。
しかし、近代を超えるための方法が見つからないというジレンマによって、
ポストモダンの潮流自体も行き詰まりを見せる。
そうした中でご自身の専門であるクルマの目的「移動」ということの原点に戻り、
自らの足で歩くことを決意。
そして近代を超える武器としてEVに出会う。

時速4kmの価値観。

80年代の後半、レースをやっていた僕の前に壁として立ち現われたのが「進歩」「拡大」「商業主義」という近代の価値観で、それを追う故に感じた行き詰まりは、近代の問題の縮図でもあったんです。それで、原点に戻ろうと日本橋から鈴鹿サーキットまで歩いた。当時、鈴鹿でFM放送の解説を担当していたんで、F1の予選が始まる時に着くように仕組んだんです。で、時速4kmで歩いてきた視線でF1を相対化して見た時、僕の意識が大きく変わった。最速が最上の価値ではない。時速300kmの方が優れているのではなく、時速4kmの価値観があるということに気付いたんです。「時速1kmや2kmを競うことなんかどうでもいいじゃん」っていう(笑)。そこで近代の価値観の中にある自動車やモータースポーツの解体を自分の中で始めるわけです。ここを解体しないと人類は生き延びられないということが歩いてみたらよくわかったんです。
 じゃあ、近代文明の問題は自動車で言えばどこにあるのか。それを知るにはエンジン車を外から見て相対化する視点を持つ必要がある。でも、エンジン車しかない時代で誰も外から自動車を見たことがない(笑)。その頃、僕はちょうどEVフォーミュラの「電友一号」を作った。乗って感じたのは「EVは近代の価値観を変える力を持っている」ということで、僕はEVをエンジン車を相対化するもう一つの自動車として位置付けることができたんです。EVに視点を置くと近代文明の問題がかなり明確に見えてきた。僕の批評のパワーの源はそこにあるんですよ。 

写真はすべて、
PHOTO BY KOJI MIURA〈CRACKER STUDIO〉

使えるように使え。

EVについて「車速や航続距離は」「充電インフラは」「実用になるのか」と質問する人がいますが、それは近代の論理なんですよ。これに対する僕の答えは『使えるように使えばいいじゃん』ってこと。ガソリン車だって使えるように使ってきた結果が現在の社会ですからね。ほとんどのEVエンジニアがEVをエンジン車の視点で代替として見ている。だから必死になってエンジン車に似せようとしてるわけ。エンジン車が1回の給油で300km走るならEVだって300km走らなけりゃいけないって思っちゃうわけですよ。そんなことは無い。僕らを破壊に導いているのはガソリンを一杯入れて、全開でビュッて走って目的地に行くという、その生活スタイルです。それを変えなきゃエンジン車にEVが取って代わったってなんの解決もない。問題は僕らがもう違う生活をしなければいけないってことなんです。EVで充電に2時間かかるなら2時間なりの社会にすればいい。EVを変えるんじゃなくて、EVが受け止められて普及していくような価値観の社会に変えるということが課題なんです。でないと、僕らは生き延びられないんですよ。
 だから、排ガスやCO2を出さないからという単純な話ではなく、EVは近代を超えるための起爆剤だということなんです。近代論理を超えていくものがあるから僕はEVをやるし、近代論理を超えていくような方法でやる。でなければEVをやる意味が無いと思っていますね。

これからを担う子ども達にEVを積極的に体験させるため、'05年から世田谷区の中学生を対象にEV教室を開始。子どもたちが組上げたEVフォーミュラ『小電友』は同年11月の日本EVフェスティバルで津々見友彦氏のドライビングにより優勝、子ども達の喜びは絶頂に達した。「初めて運転したカート、最初に触れて作って乗った車、さらに自分で最初に観たレースが全てEVという子どもが昨年28人生まれました」。

'94年に設立した日本EVクラブでは同時に「実践していこう」という主旨で手作りEV教室も立ち上げ、た。50人の募集に250人が集まり、マツダの協力で提供されたユーノスをEVにコンバート。取り外したエンジンと搭載するEVパーツの量の違いに参加者は驚いたという。現在、クラブ員の手によってEVにコンバートされた車は全国に約200台。ナンバー取得をしている車両も多い。社会の変革は市民レベルで着実に広がっている。

持続可能な車社会の構築へ。

電気自動車を研究する有識者の会に招かれたことがあって、まず「EV乗ったことある人」。誰もいない(笑)。「EVを作った事がある人は?」。一人もいない。日常でEVを使ったことある人もいるわけないよねって。「じゃあ何を研究するの?僕らはもうEV作って走って、ナンバー取って使ってるよ」って言ったらシーンとしちゃって(笑)。
 EVの場合、重要なのは研究するんじゃなくて実践していくことなんです。EVはガソリン自動車に比べると、シンプルでローテクなんですよ。研究しなくても作れる。パソコンや電気製品だと秋葉原へ行けば部品が全部手に入るから作れるでしょう?あんな感じ。トライアンドエラーの繰り返しで、やってみて悪かったら改良するっていう簡単な論理なんです。走らないなら走るようにすればいい。それでEVをどんどん作る、がんがん乗る、その中でEVを知っていく。知識と技術は必要ですけど、逆に言えば知識と技術さえあれば材料はいくらでもある。それが電気自動車なんです。EVクラブの創設はその流れの中にあるんです。エンジンだとそうはいかない、というのが実は20世紀の構造だったんです。
 昨年からは世田谷区の教育委員会と協力して区内の中学生を対象にEV教室をスタートしました。月1回、全7回の教室を通して自分たちでEVを組み立て、乗るという体験をしてもらいました。今年の教室ではハイブリッドカーを作って、12月には中学生がメーカーのような発表試乗会をする予定です。持続可能な車社会の構築には20世紀の価値観から抜け切れない大人ではなく、やはり子どもが大事です。だってこれからは彼らの時代ですから。自動車と自動車社会の未来の礎作りに少しでもお手伝いができれば大いなる喜びです。

“充電インフラがないからEVは普及しない”という意見を論破すべく実施されたプロジェクトが「2001年充電の旅」。EVにコンバートしたベンツAクラスで12279kmを走破。充電回数621回。全国サポーター1521人の協力を受けて“コンセントはどこにでもあるし、新たなインフラなど必要ない”ことを証明。「本当に盛り上がりましたよ(笑)」。
日本EVクラブ公式ホームページ http://www.jevc.gr.jp/

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