そこは非日常の世界。レースほど興奮するものはない。

VOL.4_2

伊藤 真一 

1966年生 宮城県出身
'84年デビュー戦。'88年全日本選手権GP500 2位。'90年全日本選手権GP500チャンピオン。'91年全日本選手権GP500 3位。'92年全日本選手権GP500 8位。'93年ロードレース世界選手権500cc 7位。'94年ロードレース世界選手権500cc 7位。'95年ロードレース世界選手権500cc 5位。'96年ロードレース世界選手権500cc 12位。'97年全日本選手権SB5位。'98年全日本選手権SBチャンピオン。'99年全日本選手権SB4位。'00年全日本選手権SB4位。'03年全日本選手権JSB1000 11位。'04年全日本選手権JSB1000 4位。'05年全日本選手権JSB1000チャンピオン。
グースネック宮城 代表取締役
http://www.ito-shin1.net/

伊藤真一選手といえば、ワークスライダーとして全日本500ccチャンピオン、
世界GP参戦、鈴鹿8時間耐久2回優勝の快挙を成し遂げ、
スーパーバイクでもチャンピオン獲得と、
モーターサイクルの世界では知らない人はいないトップライダーだ。
現在テストライダーとしてGPマシンとGPタイヤの開発にも携わる一方、
国内モーターサイクルレースの最高峰JSB1000に参戦、
'05年のチャンピオンを獲得している。
クルマ好きとしても有名で、宮城で輸入四輪車のショップを経営するかたわら、
'04年よりスーパー耐久にポルシェで参戦。
今回は伊藤真一氏にお話しをうかがった。

人間ががんばって勝つしかない。

バイクに乗ったのは17才で免許を取ってからです。峠を走るのが流行っていて、当時僕は125ccしか買えなかったんですが、負けるのは悔しいんで朝晩練習して排気量の大きいマシンをカモってました(笑)。ビデオで見たGPライダーのケニー・ロバーツやスペンサーの走りに衝撃を受け「あんな風に走りたい!」とワザとタイヤを滑らせてコントロールする練習もしましたね。でも、その時はレーシングライダーになろうとは思ってもいませんでした。たまたま近くのバイクショップで「レーシングチームを作るから」と誘われて初めて菅生サーキットを走り、市販車ベースのクラスにデビュー、いきなり3位だったので「才能あるかも」(笑)と思ってしまったんですね。自宅が菅生に近いこともあって、それからレースの世界に入ったんです。東北の田舎なんでワークスライダーなんていうのは関西や関東でなければ無理だと思っていましたし、遠いサーキットまで遠征できなかったので、菅生でがんばろうという感じでした。
 当時はレース人口も多く、関東や関西からショップワークスみたいなマシンが参戦する中、モノで勝てない僕らは、人間ががんばって勝つしかないって気持ちでやってました(笑)。'85年の菅生選手権F3シリーズでチャンピオンがとれたので、大学に進学して就職するつもりだったのを、その代わりにレースを4年やって見ようとプライベーターで走り始めました。

転倒も嬉しかったくらい。

レースに参戦して4年目、全日本で勝てる様になってきたころ経済的にも厳しくなってきて、翌年国際A級に上がれなければこれで止めようと思いました。それで転倒か優勝かというくらいにガムシャラに走り、コースレコードを出したりしてたのを目に止めていただけてワークスから声がかかりました。
 トップを取ることへの思いは人より強かったと思います。だから、転倒や怪我も恐くなかったし、転倒すると「ここが限界なんだ」と分かって嬉しかったくらい(笑)。ケガでやめて行く人が多い中で、体が丈夫にできていたのも良かったかもしれませんね。ワークスに入った時、「全日本チャンピンを取る!」と勝手に目標を定めてました。
 ワークスは毎年契約なので常に思っていたのは「たまたまラッキーで乗れたので、今年だけかもしれないから、あまり調子に乗らないようにしよう」ということでしたね(笑)。実際一緒にいる人間がどんどんいなくなりましたから「次は自分か」という危機感はありました。
 世界GPも4年走りましたが、ここでは残念ながらトップをとれませんでした。再び国内に戻って次の目標は鈴鹿8耐の優勝。ホンダのワークスの中ではGPの優勝と同じくらいの位置づけなんです。'97年に日本人ペアとして初めて優勝し、'98年も同じペアで優勝できました。GPの頃は苦しいばかりだったんですが、その頃から、レースを楽しめるようになってきた様に思います。
 先頭を切って走るのはもういいだろう、と'00年からはGPマシン、'01年からタイヤの開発ライダーもやるようになり、自分が関わったマシンがトップを走るという喜びを知って、自分が走るのとはまた違うやりがいを感じてますね。それでも、実戦の感覚をなくさないために全日本に参加しています。若いライダーの刺激になればと力まないで走っていますが、やはり走りはじめたら一番を目指すしか無いですからね(笑)。

Honda DREAM RT CBR1000RR

羽根選手とのペアでスーパー耐久クラス1に#45スケープ45スペックスポルシェで参戦。「羽根さんとはすごく気が合うんですよ。セッティングでも4輪と2輪のノウハウを組み合わせたりしていろんな発見があります。お互いにお店も持っているので、そんな話しも良くします」。'05年はシリーズランキング5位。「この順位は悔しいですね」と上位進出に闘志を燃やす。

4輪の世界でのトップ争いを目標に。

ライダーとしていつまでやる、という区切りはつけていませんが体力的にモーターサイクルはキツくなってくると思います。でもレースは続けていきたいしクルマも好きなので、'04年からスーパー耐久のクラス1に参戦するようになりました。これは羽根さん(羽根幸浩氏:本誌No.341参照)との出会いからで、自分たちがやりたいように運営しようということで、お金を出し合ってプライベーターとして参戦しています。同じレースでも2輪と4輪では大きく違うので、4輪のスキルアップをしていますが、もう少し時間がかかるかもしれません。次の目標はやはり4輪でトップ争いができるようになること。ここ2年の成績では2人とも納得できないですからね。
 レースほど興奮できるものは無いし、非日常の世界の魅力です。これはずっと続けていきたいと思います。'06年はモーターサイクルの方は引き続き開発と全日本に参加の予定ですが、4輪の方はまだはっきり決まっていませんが、こちらも参戦していきますので、サーキットで見かけたら応援してください。

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