ラリードライバーは自分自身の生き方そのもの。

VOL.5_1

奴田原 文雄 

1963年生 高知県出身 北海道在住
'88/'89年北海道ラリー選手権Bクラスシリーズチャンピオン。'90年全日本ラリー選手権参戦開始。'93年全日本ラリー選手権Bクラスシリーズチャンピオン。'94年アドバン・ラリーチームに加入。'99年プロラリードライバーとして独立。全日本ラリー選手権史上初の6戦連続優勝を記録、全日本ラリー選手権Cクラスシリーズチャンピオンを獲得。海外ラリーへの遠征開始。アジアパシフィックラリー選手権シリーズ6位。'00年2年連続の全日本ラリー選手権Cクラスシリーズチャンピオン獲得。'01年WRCニュージーランド・ラリーグループNクラス3位入賞。全日本ラリー選手権シリーズ2位。アルペンラリー(日本初開催の国際格式ラリー)クラス優勝。'02年4度目の全日本ラリーチャンピオン獲得。(Cクラス3回、Bクラス1回) アジア・パシフィック・ラリー選手権ラリー北海道(日本初開催)日本人最上位の総合3位。 日本アルペンラリーグループNクラス優勝。'03年全日本ラリー選手権シリーズチャンピオン。APRC第2戦(ニュージーランド)グループNクラス優勝、シリーズ2位。'04年PWRCに参戦開始。全日本ラリー選手権シリーズチャンピオン。'05年 4年連続 全日本ラリー選手権シリーズチャンピオン(4年連続6度目)。
http://www.nutahara.com/

奴田原選手は取材後の1/20~22に開催されたPWRC第1戦ラリー・モンテカルロで優勝。日本人ドライバーとして初のモンテカルロ・ウィナーとなりました。
詳しくは奴田原選手のHPへ。

ADVAN PIAA ランサーを駆り、'05年全日本ラリー選手権でシリーズチャンピオンを決め、
'02年以来4連覇と圧倒的な強さを見せる奴田原文雄選手。
'99年には全日本ラリー選手権史上初めてとなる6戦連続優勝を記録するなど、
国内ラリーのトップドライバーとして活躍している。
'04年からはPWRC(プロダクションカー世界ラリー選手権:2002年からスタートした
グループN車両によって行われるドライバー選手権)に参戦し昨年4位、
3年目のチャレンジに期待がかかる。
今回はPWRC開幕戦となるモンテカルロへ向けて出発する
成田のロビーでお話しをうかがった。

初めてのドリフト体験。

ラリーへのきっかけは北海道にいた大学4年の時です。バイト先の先輩に「結婚でラリーをやめるから買わないか」と言われたのがラリー仕様のKP61。モータースポーツは雑誌を見る程度のファンで自分でやろうと思ったことは無いし、サーフィンをやっていたので最初に買ったクルマもビートルだし、走り屋でもありませんでした。正直、買う気はなかったんですが「横に乗れ」と連れていかれたのが冬の林道。その時にコーナーの手前で車を横にして走るドリフト走行を助手席で初体験して「スゴイ!」と感激。「このクルマならこういう走りができるんだ!」(笑)と早速手に入れました。クルマを操る楽しさがわかり、こんなに集中できることはこれまでない経験だったので、日払いのバイト代でガソリンを入れて毎日走り回るようになりました。すんなり入れたのは、中学から高校時代に自転車で四国の峠道の90%を走破したほどの林道好きだったこともあるかも知れません。ところが一ヶ月ほどで谷に転落して全損。オロオロしながら先輩に紹介されていたショップに行ったら驚きもしないですぐに引き上げてくれて、自分には大事故でしたが、ラリーではよくあることだと初めて知りました(笑)。そのショップが当時全日本で活躍していた鎌田豊さんのお店だったこともあって、色々面倒をみていただけるようになり、そこからラリーにのめり込んでいったんです。

「ラりーは競う相手が目の前にいないので、自分がライバルで、いかに自分自身をコントロールするかが重要なんです」。走りながら自分の中に入っていく集中感が大きな魅力だという。「二人で走る競技なので、ヒヤッとしたことや、嬉しいことをその場で分かちあえるのも楽しいんですよ」。

職業以上のもの。

地方戦に参加するようになったのが大学卒業の頃で、それからサラリーマンをしながらの活動でした。地方戦でチャンピオンになり、全日本に参戦するために時間のとれる職場に変わり、世界に遠征したいから99年にサラリーマンを辞めてプロになったという感じです。地方戦を始めた当時、周りから「ラリードライバーじゃあ食って行けないから、将来はないよ」(笑)なんて言われてましたが、目標を定めてステップアップしてプロを目指すとか、食える食えないとかそういうことは考えていなくて、ただただラリーが好きで一所懸命に取り組んできた中で、いろんな人に出会い、助けていただいて続けてきたという感じなんです。プロとして独立したのも充分な収入が確保されているかどうかよりも、世界を走りたいという方が気持ちの中で勝っていたので迷いは無かったですね。もちろん、生活ができるかどうかは自分の実力次第なので頑張らなければ、という決意はありました。
 今、職業は「ラリードライバー」ですが、職業というと収入を得るための仕事という感じなので自分としては職業という意識はあまりないんです。うまく表現できませんが、ラリーはそれ以上の、あえて言えば自分自身の生き方そのものというか、「ラリードライバー」という「人種」みたいな感覚なんです。それはプライベーターの時代も今も基本的に変わっていません。プロとしての責任感は当然ですが、自然体で一途にやってきた中で、回りの環境が変わって、今があるということですね。

ADVAN PIAA ランサー

モンテカルロラリー参戦でモナコについた新型ランサーエボ9

PWRC3年目、優勝を目指して

昨年、スーパー耐久に参戦させていただいてサーキットを走らせていただきましたが、タイヤの使い方など違うカテゴリーを走ることで大きなプラスになりました。レースは格闘技系な感じで(笑)自分の性格はやはりラリー向きだと思いますが、楽しかったし得るものも大きいので、またお誘いがあれば走らせていただきたいですね。
 ラリーについては、WRCのラリー北海道が昨年2年目の開催で注目が高まってきています。こうした大きなイベントはこれからの人の目標になり、メジャーになって行くための重要な要素だと思いますので、WRCの一戦に定着して欲しいですね。そのためにも日本人がトップを取ることがドライバーとしての役目だと思います。
 一昨年からPWRCに参戦しています。世界の舞台で勝つためにはメカニックやコ・ドライバーなどチーム全体の総合力が本当に重要で、ここ数年は特にそれを強く感じています。ドライバーもそうした中のパーツのひとつですが、チームの雰囲気づくりやみんなの力を集めたクルマで結果をだす重要な役割がありますし、PWRC3年目の今年は優勝を狙う年です。もちろん全日本にも参加しますので、是非応援してください。僕が走ることで一人でも多くの人がラリーに興味を持って、ファンが増えてくれれば、そんなに嬉しいことはありません。

今年のPWRCはコ・ドライバーに英国人のダニエル・バリットを迎え、ペアを組む。「ダニエルは現在24歳。WRCもほぼ全戦を経験しています。欧州在住のコ・ドラは情報量が豊富で大会前にコ・ドラ同士の交流で、貴重な情報がダイレクトに入ってくるのです。その点を重視しました」。

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