「F1ドライバーになって勝つ!」その目標に向かって走る。

VOL.4_1

山本 左近 

1982年生 愛知県出身
'94年 鈴鹿カートレーシングスクール(SRS-K)入校。'95年 SRS-K2年目を迎え、鈴鹿カート選手権RSOクラス参戦。'96年 SRS-K3年目 鈴鹿カート選手権FRクラスに参戦。初戦でPole to Win。
ジュニア・ワールドカップ(ベルギー)出場。'97年 地方カート競技選手権 中部東海地区FA-2クラス参戦、シリーズチャンピオン。'98年 全日本カート競技選手権 FAクラス参戦ARTA1535名の中から7名の中に選ばれる。'99年 全日本カート競技選手権 FAクラス参戦、シリーズチャンピオン。Worldcup in SUZUKA FAクラス出場10位。'00年 鈴鹿フォーミュラレーシングスクール入校。全日本カート競技選手権 FSAクラス参戦 3位。ヨーロッパカート選手権に参戦ベルギー、フランス出場。モナコカップ主催者より招待選手に選ばれ出場。SRS-F優等生としてスカラシップ選手に選ばれる。'01年 全日本F3選手権TOM'Sより参戦 シリーズ4位。イギリスF3ブランズハッチ・シルバーストーンスポット参戦。48thマカオグランプリトムスより参戦。'02年 ドイツF3選手権参戦(GM MotorsportsR)。'03年 欧州選手権シリーズ参戦(TME Motorsports)。'04年 全日本F3選手権TOM'Sより参戦 シリーズ8位。'05年 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン参戦。SUPER GT インターチャレンジ500クラス参戦。南山大学総合政策学部総合政策学科在学中。
http://www.sakon-yamamoto.com/

'01年、18才でF3デビュー、
初年度に5回の表彰台とシーズンランキング4位(日本人最高位)の成績をあげて
F3新人賞を受賞した山本左近選手。
2年のヨーロッパ転戦を経て昨年から再び国内でF3に参戦、
速さに安定感を加えて今シーズンは
フォーミュラ・ニッポンとスーパーGTに参戦する一方、
10月にはジョーダンのサードドライバーとしてF1のハンドルを握り、
若手ドライバーとして現在最も注目と期待を集めている。
今回はスーパーGT最終戦が行われた鈴鹿サーキットのパドックで
お話しをうかがった。

この子は走らせたほうがいい。

親がF1好きで、僕も小さい頃からF1を見に連れて行ってもらっていたので、自然にF1の魅力に取り付かれて小学生のころからレースをやりたいと思うようになったんです。でも、家族はもちろん親戚や回りの知り合いにレース関係者は誰もいませんから、どうしたらレースの世界に入れるか分からなかったんですね。小学6年生になる頃、鈴鹿でゴーカートレーシングスクールがあるのを知ったんです。家は愛知で鈴鹿にも近かったし「やらせて欲しい」と親に頼み込んだんですよ。『学校の成績は落とさない』『一年間だけ』という条件付きでやらせてもらえるようになったのが今のキッカケになりました。
 その一年間は、速い遅いよりも、とにかく走ることが楽しくてしかたありませんでしたね。そうして約束の一年が終わる頃「どうなるのかな」と思っていたら、スクールの関係者が「左近君は速いから、もう少し続けさせてあげたほうがいい」と両親に積極的に助言してくれたんです。それで親も許してくれて、中学から高校にかけてレーシングカートでステップアップし、全日本チャンピオンも取れたし、海外レースも経験しました。高校3年のときには鈴鹿のフォーミュラスクールにも通うようになりました。

今シーズンはスーパーGT500クラスにも参戦。「ハコとフォーミュラはクルマ自体が違うので、乗ってる時のフィーリングも違うんですけど、そのクルマの性能を100%使って速く走るという点では同じなので、特に違和感を感じることはありませんね」。

もう一度自分の基礎堅めを。

レーシングドライバーになりたい、と自分ではっきり意識したのは18才の誕生日でしたね。父親から「お前、将来どうしたいんだ」と聞かれたので「F1で優勝できるドライバーになりたい。」と答えたんです。そうしたら「お前が本気なら、応援するよ」といってくれました。それまで父はどちらかというとレースには否定的だったんですが、誕生日にこの話しをしてからは全面的に協力してくれるようになりましたね。
 高校を卒業した年にトムスからF3にデビューさせてもらい、初年度で表彰台にも立てたし、シリーズ4位にもなれました。自分の頭の中では『ヨーロッパがレースの本場』という思いがあったので、翌年からヨーロッパに行き2年間走りましたが、途中でチームが解散してしまったりとか、自分にとっては辛い経験が多かったですね。今考えると、想いだけで行ってしまったかなという気がします。事前にもっと細かい準備をして、1年ごとではなく2~3年という長いスパンで考えてプランをたてなければヨーロッパで通用するのは難しいことも分かりました。
 そんな風に'01年から'03年にかけては常に違う状況、違う国でレースをしていて、バタバタするばかりだったので、もう一度自分の基礎堅めをするために'04年から国内のレースに集中することにしました。今年はフォーミュラニッポンとスーパーGTにも参戦し、一度バラバラになったパズルがまた組み上がってきている感じです。

子どもたちからの『一緒に写真を撮りたい』『サインが欲しい』といった希望に快く応じる。「自分も子どもの頃に、憧れのドライバーからサインをもらったりしてとても嬉しかった思い出がありますからね。今度は僕がサインしてあげることで、子どもたちがモータースポーツを目指すキッカケになったり、ファンになったりしてくれれば嬉しいですね」。

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#37 OPEN INTERFACE TOM'S SUPRA。同じく愛知県出身の片岡龍也選手とドライブし、第4戦SUGOでは優勝を飾っている。'05シーズンランキング7位。

「そういう風になれる」と思い描けるかどうか。

今、学生として大学にも在籍しています。高校2、3年の頃は海外戦や全日本などで学校に行けないことも多かったんですが、人に負けたくないし自分で決めたらやり通したいという気持ちが強かったので、11月から2ケ月半集中して受験勉強をし現役で合格しました。入ったのは総合政策という学部で、世界の様々な地域の歴史、政治、経済、文化から宗教、哲学まで幅広く学ぶんです。たとえば宗教を背景とした文化や考え方の違いとか、イギリスはどのように植民地化を進めたかとか、いろんなジャンルの勉強ができるし、幅広く知識を学べるので趣味として勉強している感じですね。レースとは直接関係ないので、僕にとって大学で学ぶのはリフレッシュの時間になっていますが、これから様々な国の人とチームを組む時に、考え方の違いなどを理解するうえで役立つ部分があると思います。
 僕がトップを目指す上で重要だと思うのは想像力です。自分が「そういう風になれる」と思い描けるかどうかですね。それを想うだけでなく、そこに向かって何が必要なのか、どうしなければいけないかを具体的に考え、その一つひとつを小さな目標として設定し、確実に達成していくことだと思います。走ることの才能も重要ですが、気持ちとかメンタルな部分というのも凄く大きな要素だと感じています。
 今シーズン、F1のハンドルを握るチャンスを得たことは僕にとって本当に大きな体験でした。子供の頃から描いてきた「F1ドライバーになって勝つ!」という目標に一歩近付いたわけです。さらにその目標に近付けるよう、来年を組み立てていくのが今の課題ですね。

ピットウォークでは多くのファンに取り囲まれ、その人気と注目度の高さがうかがわれる。「ファンの人が応援してくれるのはとても嬉しいですね」。左は片岡龍也選手。

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Photo A.B.by T.I.P.P./Taro IMAHARA

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