経験の全てをかけて今、再び走ることのモチベーション。

VOL.3_2

小泉 和寛 

1964年生 東京都出身
高校生の頃からラジコンカーのレーシングドライバーとして世界戦でも活躍。1991年にKP61でレースデビュー。翌年にはシリーズ4位を獲得。1993年にはFJ1600に参戦、各地方シリーズの年間26戦に参加。この年にF3にステップアップ。F3に参戦中からS耐久のスポット参戦も兼ねる。1996年よりレース活動を中断したが、2002年より活動を再開。2004年よりスーパー耐久に参戦。今年2シーズン目で現在クラストップを走る。レーシングドライバー。
三恵設備工業株式会社代表取締役。http://www.hpiracing.co.jp/

これまでフォーミュラでのレースが中心だっただけに「ハコのレースにはフォーミュラをベースにハコ用のノウハウをつくらなければなりませんでした。でも、もやもやしていたところが晴れてからは割合はやく慣れましたね」。今の手ごたえについては「以前レースをやっていた一番いいころの感覚とラジコンで世界で戦っていたころの感覚があるんで、これを基準に今自分がどのレベルに到達しているか判断しやすいですね」。

今シーズン、スーパー耐久クラス2でトップを走る
#2FUJITUBO hpi インプレッサ。
現在2位とのポイント差19で、11/20ツインリンクもてぎでの最終戦に臨む。
ランサーの連覇にストップをかけられるのか、
ファンの熱い注目を集める一戦となる。
吉田寿博選手とともにドライブするのが小泉和寛選手だ。
8年のブランクを経て昨年スーパー耐久に復帰。
昨年は#86hpi・racing インプレッサを菊地靖選手とのペアでクラス4位。
今年いよいよ頂点に王手がかかる。
今回は会社の代表取締役としても多忙な時間の中、
最終戦を前にお話しをうかがった。

ラジコンで世界を経験。

子供のころ近所では少し有名なラジコン少年で(笑)、小5の時に全国大会初参加で4000人中20位くらいになったんです。その頃には、アライメントや重量配分など、どうセッティングするとどんな挙動をするか一通り理解してました。でも全国転戦の大会会場には遠くて子供一人では行けず“人の力を借りないとレースはできない”事も痛感しましたね。レースにはメーカーの開発者も来ていて、結果を出すと目にとまるので製品テストにも携わるようになり、高校時代にはワークスの一員として海外の世界大会にも行かせていただくようになったんです。各国のメカニックさんとのコミュニケーションの重要さや結果への責任、結果が出ない時のファンの失望、そして辛い時をどうこなすかなどイヤというほど学び、その経験は今も役立っていますね。(笑)。
 ラジコンで世界10位以内に入る頃、実車でのレースを開始しました。1/1になっただけで自分の中ではレースという意識は連続しているんです。最初に走ったのはKP61で、クルマの動きの理解やレースの駆け引きはラジコンの経験が活きました。初優勝は2戦目でしたが、気持ちは一つの勝ちよりシリーズ全体に向いていましたね。
 実車は23才からでしたのでステップアップを急ぎ、ザウルスJr、FJを経て4年目にF3に参戦を開始したところで、父親が急に他界してしまったんです。小さいながらも会社を経営していたので、全くの素人の僕が長男ということで後を継ぐことを決心しました。26才の時です。

レースを断念。

会社は大型店舗の空調を設計・施工する仕事で、建築や消防の資格が必要なんです。専門知識を学ぶため夜学に通い、昼間は現場という生活になりました。2年程レースと平行したんですが両立は難しく、全てに集中できないので一旦レースを断念。好きなレースでも競うには5年はかかっているわけで、会社も10年はかかると覚悟し、以来レースの情報は一切入れませんでした。本当にもがいていた時期で、先代からの取引先様にも温かいご協力をいただくことができ、人間関係の大切さを改めて感じましたね。
 そうした中でも、レースをやりきらないままで終らせたくない気持ちは強くありました。2002年にはようやくレースができそうな状態になってきたので、まずスポットでレースに復帰し、ブランクの間に自分の能力がなくなってしまったのか、眠っているだけなのか確かめたんです。それで手ごたえを感じたので、本格的な復帰を目指したわけです。もちろん、社内や取引先にもご説明して賛同をいただいた上でのことです。そして、やるからにはチャンピオンを取りたい。そのためには何が必要かは分かっていました。ただ、ブランクのある人間がすぐに乗れるシートがあるわけではなく、自分で確保するしかなかったので、旧知のHPIさんにスポンサーをお願いして一緒に走らせてもらえる状況を作り、昨年からプローバさんのチームでスーパー耐久に参戦させていただけるようになったんです。

現在シリーズランキングのクラストップを走る#2FUJITUBO hpi インプレッサ。「マシンのカラーリングやデカーリングはスポンサーさんにとってプロモーションのベースになるところですから、非常に重要な部分だと思います」。今回の#2も模型でのシミュレーションなどをかさね、チームでかなり時間をかけて決定しているとのこと。

今シーズン全戦表彰台に上がっている#2が、初の優勝を手にしたのが第4戦の十勝。「クルマが良くもってくれて、トラブルは全て想定内どころか、それ以上に壊れなかったことが大きいですね。チームとしての強さだと思います」。7戦の菅生で2勝目を上げ、ポイントリーダーとしていよいよ最終戦を迎える。写真は十勝の表彰台で。右から吉田寿博選手、小泉和寛選手、松田晃司選手、渋谷勉選手。

91年にフレッシュマンでデビュー、翌92年にはザウルスでシリーズ4位、その年のうちにFJで練習をはじめ、93年にはFJで各地方シリーズの年間26戦に参戦している。ラジコン時代から「いかに速さを見せつけて、なおかつクルマを壊さないで勝つか」をテーマとしている。

レースの中にビジネスが存在しないことはあり得ない。

レースに復帰するにも、ただ自分の満足感や、やり残した勝手な思い出のまとめをしたいということではありません。たとえばノーギャラで乗せてあげるから走りますか、と言われても乗らなかったと思います。当然そんなお話しも無いですが(笑)、それは趣味になってしまって、そこにモチベーションはないですから。ラジコン、レース、会社経営という経験の全てをスライドして、今走ることのモチベーションは、スポンサーのプロモーションにいかに貢献できるかということでやっています。自分で会社をやってみると会社のお金を他人に預けることの重さが良くわかります。レースの中にビジネスが存在しないことはあり得ませんから、僕が走ることによって、少しでも利益が出てビジネスとして成り立ち、みんなが満足できたら最高だろうなというのが最終目標になりつつありますね。
 そのためにも、まずドライバーとしての役割を果たさなければ先へは進めませんし、今シーズンの最終戦は大事な一戦ですから、緊張感はあります。クルマも毎戦よくなっていますし、チームも壊れなくて速いクルマづくりに全力を上げてくれていますから、いつもと同じように走ることを心がけ、まず目前の一戦に全力でとりくみたいと思っています。若い頃は自分だけのレースをやっていたので、こんなに多くの人たちが自分たちの出した結果に一喜一憂するという経験はなく、大きなものを背負っていることを強く感じますね。

HPIはアメリカで昨年の#86をイベントで使用してプロモーションを実施、ラジコン雑誌やチューニングカーなど8誌の表紙に取り上げられる展開を行なった。「本屋からガソリンスタンド、コンビニなど全米に並ぶので、その広告効果は高いですね。アメリカでもこういう展開は少なく、HPIは上手くマーケティングを行なっていると思います」。小泉選手はアメリカのこのイベントにドライバーとして参加している。

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