「結果ではなくプロセスを大事にする。」 その1

VOL.31_2

国本 雄資 

1990年9月12日生まれ、神奈川県出身
6歳でカートスタート、12歳から本格的にレース参戦を始め14歳で全日本カート選手権に挑戦。06年にFTRS受講、07年にFCJで4輪デビューを果たし、08年にFCJ王座を獲得する。09年から全日本F3選手権に上がり、昨年そのタイトルも手に入れた。今年も上級フォーミュラへのステップアップを目指す。
http://www.yu-g.net/

何事にも、常に全力でぶち当たることも大切なことではある。
だが、真っすぐに進むより、遠回りに見える向こうの道の方が傾斜は緩やかで
最終的な時間においては早かったりもする――
冷静な目を持ち、一歩立ち止まる勇気と余裕。
それを持てない若い頃は歯車が噛み合わずに苦労した。だが、今は違う。
階段を上がっていく中で国本雄資はどう変身していったのか?

カートとアルペンスキー。

父がレーシングカートのプロドライバーだったんです。僕が生まれる前には辞めてしまったんですけど、叔父さんもカートをやっていてそのレースを兄と一緒に見に行っていました。興味を持った兄が最初にカートに乗り始めて、僕も乗りたくなって乗せてもらったのがカートを始めたきっかけでした。初めてカートに乗ったのは6歳の時。兄は最初から速くて、僕が走っているとどんどん抜いていく。それがすごく恐かったのを覚えています。でも、何回か乗るうちに負けたくないな、もっと速く走りたいなって思うようになってきましたね。
 7歳から小さいローカルのレースに年1~2回程度出ていましたが、12歳で本格的に始めるまでにアルペンスキーをやっていた時期がありました。アルペンスキーは知人がやっていて最初は遊び程度だったんですけど、夏はニュージーランドへ合宿に行ったり、冬はずっと山にこもったり、かなり本格的にやっていました。大会にも出ましたし、かなりの有望株だったんですよ(笑)。ただやっているうちに、スキーでは雪国出身の選手にはかなわないなって思うようになりました。僕は体も小さくて体重も軽かった。アルペンスキーは斜面を下る競技なので、体重が重い方がスピードがつくから有利なんですよ。曲がる時にはその体重を外側の足に乗せて踏ん張らなければいけないんですけど、僕は体重が軽いしそこまでパワーもなかったから、どうしても体が大きくて体重のある選手にはかなわない。そういうのもあったし、やっぱりレースの方が好きだなって気づきました。レースだと抜きつ抜かれつがあるけど、アルペンスキーはタイムを競う競技。それで12歳の時にカートに戻ってきたんです。

12歳から本格的にレースに出始めると、全日本ジュニア、全日本選手権と、4輪を目指す誰もが通る道を選んできた。

悔しいカート時代。

アルペンスキーの経験はレース活動の上ではムダなように思えますが、あの経験は今でも生かされています。アルペンスキーは1回の滑走タイムを競うんですけど、その前に1本、ゆっくりコースを見られる時間があります。そこでコースを覚えなければいけないし、どういうラインを走るかというイメージを作らなければいけないんです。レースでも初めてのサーキットを下見する際、どういうふうに走ろうかとかイメージを作る上ではすごく役立っています。
 12歳でカートに戻ってから、まずは全日本ジュニアに出ました。2年間そのシリーズに参戦して、翌年から2年間は全日本選手権のICAクラスに出て、翌06年は全日本選手権の最高峰FAクラスに参戦しました。ひとつ上のクラスに出ていた兄はカートでも速くて、チャンピオンも獲りました。それに比べ僕はそれほど勝てなかったしチャンピオンも獲れず、悔しい思い出が多いです。一番悔しかったのがICAクラス1年目のレースで、今でも忘れられません。最終周までトップを走っていたんですけど、そこでなぜか緊張してしまって(笑)、ヘアピンでブレーキを踏んだらタイヤがロックしてしまい、2番手のドライバーに抜かれてしまったんです。普通に走っていれば優勝できたはずなのに……悔しすぎてレース後に泣きました。他のレースも、その年はぶつかることが多くて結局は勝てませんでした。ICAクラス2年目は2回勝ちましたが、やっぱり自分をコントロールできないレースが多くてチャンピオンは獲れませんでした。たぶん気持ち的に子供で、ガムシャラすぎたのかなって思います。でも、あの頃のそういう悔しさが残っているから今も頑張れているところはありますね。

カート時代のヘルメットデザインは父親がカートレースで使用していた時のレプリカだった。

ひとつ年上の兄・京佑とカートレースで直接対決することはなかったが、「いつも良い刺激を受けてこられた」と言う。兄は08年のF3マカオグランプリで勝ち最年少優勝記録を樹立。兄弟そろって将来を期待されている。

メンタル強化で変身。

全日本選手権FAクラスに参戦する16歳の時にFTRS(フォーミュラトヨタレーシングスクール)を受講して、翌07年からFCJ(フォーミュラチャレンジジャパン)に参戦し始めました。途中から何回か勝つことができて、08年はチャンピオンを獲ることができましたが、1回勝つまでは自分はダメなのかな、向いていないのかなってあきらめかけていた時期もありました。
 そこで勝てるようになれたのは、気持ちが変わったことが大きかったと思います。当時、メンタルトレーニングをやるようになって、勝つ前まではあまりレースのプロセスを考えないで結果ばかりを意識して走っていたことに気づいたんです。勝つちょっと前ぐらいからは結果よりも、今何が自分に足りないのかなと考えるようになり、ひとつひとつ課題をクリアしていこうと考え方を切り替えられました。どんどん速くなっていくとレースが楽しくなってきて、それがまた結果につながっていったんだと思います。フィジカルは鍛えれば筋肉がついたり目に見えて成果が出るけど、メンタルって目に見えないもの。スポーツでは体や技術も大事ですが、メンタルも同じぐらい大切なんだと感じました。もしその頃からメンタルトレーニングをやっていなかったら、おそらく昨年のようなつらいシーズンは乗り越えられなかったと思います。

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