「将来を変える“企画書”」 その2

VOL.31_1

河本 卓也 

16歳でカートスタート。全日本選手権に参戦しながら、90年に有限会社KRPを設立。当時はレーシングカートチームとしてスタート。96年から鈴鹿選手権で無限エンジンRSOを使用したクラスを始め、3ペダルのミッションカートクラスも新設。04年から新M4シリーズを猪名川サーキットでスタートさせ、その後関東でも同シリーズを展開。08年からARTAのシリーズ戦と統一して、現在の「オープンマスターズカート」という若手を育てるシリーズ戦に発展した。
http://www.krp-ms.com/

ブリヂストンを西日本で広めることに成功した河本卓也氏。
次は無限からエンジンを広めたいと相談され新クラスを設置。
それが今につながる独自シリーズスタートの足掛けとなった、
自らがカートドライバー時代に、
スポンサー活動をするために書いた企画書をきっかけに、
河本氏の冒険は続いている。

貧乏人でも夢を抱けるレース。

全日本カートのレースに参戦している時、ある人にレースを辞めろって言われたことがありました。「お前はどっちかって言ったら裏方、ドライバーをサポートする役の方が向いてるんとちゃう?」って。要は今の活動のようなことをやった方がええと。それから、本格的に動き出しましたね。カートに乗る方は遊びにして、スポンサー取りとかいろいろやり出した。自分がレースをやってきて、自分の中にはある構想がありました。フォーミュラにつながるクラスを作って、そこで結果を残せば貧乏人でもステップアップできる、夢を抱けるレースを作りたかったんです。
 ブリヂストンを全日本で広めて実績を積んだ後、無限からRSOというエンジンを広めてくれないかって話をもらい、じゃあエンジンレンタルでレースをやりましょうと関西地域でRSOクラスをやり始めました。無限としてはもっと広めたいという要望を持っていて、じゃあ今度は鈴鹿サーキットでやりましょうって話になって、鈴鹿のRSOクラスというワンメイクレースを始めた。同じ頃、SRS-F(鈴鹿レーシングスクール・フォーミュラ)がスタートして、僕らのRSOクラスで優秀な子たちをそこに入れられないかって考えたんです。当時はカートから4輪への橋渡しがなかったんですよ。だから僕はその橋渡しをやりたかった。RSOからいきなりフォーミュラに行くより、間にカートでありながらフォーミュラの練習になるクッションも必要やなって思ったから、3ペダルのカートを僕が提案したんです。それで無限に作ってもらって、3ペダルクラスのレースを鈴鹿でスタートさせたんです。で、チャンピオンを獲った子をSRS-Fに送り出す。塚越広大もそうやってフォーミュラに上がっていったドライバーのひとりです。

中央が河本氏。左がスーパーGTやFニッポンで活躍する塚越広大選手、右がF1で活躍する小林可夢偉選手で、ともに河本氏のレースの卒業生だ。

04~07年に開催されていた河本氏がスタートさせたM4シリーズ。イコールコンディションのレース内容は好評で、接戦の中で腕を磨いて4輪にステップアップしていったドライバーも多い。

独自シリーズの立ち上げ。

鈴鹿のレースは一応、形としては構築できて96年から8年ぐらいやりました。で、鈴鹿を出ることになったタイミングで名前を「M4」に切り替えて今度は自分たちのシリーズを作ろうって発展した。ホンダに協力してもらってイギリスにエンジンを買いに行って、最終的に4ストロークのエンジンでやろうと決まった。ランニングコストが安いのと、僕はエンジンレンタル制を考えていたので個体差が小さい4ストロークは魅力的でした。
 僕がやりたかったのはタイヤ、エンジンをワンメイク化して、エンジンは主催者である僕らが管理するレンタル制のレース。これは競艇のアイデアを真似ました。競艇もエンジンは抽選で、ヘラをたたくのが自分のカートシャシーをセッティングするみたいな感じですか。与えられたものの中で努力して速さを証明するっていうレースを目指したんです。モノの性能だけで速い子たちは、与えられたもので速く走れず4輪でも通用しない。だからカートのうちから純粋に腕だけを磨けないかな、と。
 でも、シリーズの立ち上げは大変でした。日本ではまだ4ストロークのエンジンに馴染みがなく、ほとんどの人が分からない状態。2ストロークと比べて水温は高めで2ストは40~50℃、4ストは80℃ぐらいで走るんですが、何回言っても「オーバーヒートや」とか騒ぐ。苦情も多かったですわ。レンタルエンジンは抽選で決めるんですが、当たったエンジンが回らない、調子が悪いっていう苦情はしょっちゅう。まあそんな中で4年ほどM4を続けて、ARTAさんから一緒にやりましょうという話をもらって今の「オープンマスターズカート」という大きなものに拡大して、その中で優秀な子にはフォーミュラに乗るチャンスを与えられ、思い描いていたものに近づきようやく定着もしてきました。

サポートする企業が多いことも河本氏が作ったシリーズの特徴。華やかな舞台を作ることでドライバーや関係者の満足度も上がる。また何より、憧れられる舞台であることが大事だと河本氏は語る。

カートを広めたい。

とりあえずカートの中でトップエンド、要は上を目指す人たちに対してはそれなりのシステムを確立できたのかな、と。だから今はスポーツカートとキッズカートに力を入れてやっています。これらはギンギンにレースする人たちではなく、カートを始めたばかり、あるいはまだカートのことを知らない人たちを対象にしたクラス。カートってこんなにおもしろいんだよっていうのを広めて、カート人口を増やしていきたいんです。で、そっちがある程度また形になってきたら、今度はもう一度トップエンドの人たちの方に目を向けて、その時代時代に合ったベストなシステムにしていければと思っています。
 小林可夢偉、塚越広大やら、うちのレースから育った子たちが今、世界や日本のトップで活躍しているのを見ていると、すごくうれしい。自分たちがやってきたことは間違っていなかったって思います。同じ日本人として、彼らには世界を相手に戦って活躍してほしいし、そういう姿を見て今上を目指している子たちも頑張ってほしい。僕らはそのサポートを今後も続けられればと思っています。

子供がカートを体験できるイベント「キッズカート」。レースやイベント等で特設コースを設置して開催してカート普及活動を行っている。

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