「どこまでも自分を追い込め。」 その1

VOL.29_2

伊藤 大輔 

1975年11月5日生まれ、東京都出身
95年にSRS-Fの第一期生で入校、96年にスキルスピードからフォーミュラトヨタにデビュー。97年にF3に上がり、98~99年はマカオグランプリにも参戦して99年に3位表彰台を獲得。00年から全日本GT選手権(現スーパーGT)に参戦開始。チームを移籍する中でホンダ系チームのエースへと成長し、07年にARTA NSXを駆りチャンピオンに輝いた。08年はホンダからトヨタのチーム ルマンへ電撃移籍。今季も同チームからGT500を戦い、現在ランキング首位を堅守している。
http://www.daisuke-ito.com/

追いかけていた頂点に到達した次の瞬間に人は何を思うか・・・。
「これですべて終わった」あるいは「これ以上の頂点はないか?」
今季のスーパーGTで大活躍中の伊藤大輔選手は明らかに後者だ。
4輪ステップアップ直後から苦労の連続で
ようやく07年に最高峰の頂に立ったにもかかわらず、08年にすべてをリセット。
「まだ自分は成長できる」。そう信じて突き進んできた伊藤選手の
モータースポーツ人生を今回はひも解き紹介する。

すべての始まりは引越し。

生まれは東京なんですが、父親の仕事の関係と自分が喘息だったというのもあり、父親の実家の三重県に4歳になる前に引っ越したんです。鈴鹿サーキットの近くに移り住んだ、というのが僕の人生にとっては大きなポイントだったように思います。もし東京にずっと住んでいたら、レーサーにはなっていなかったかもしれません。
 中学2年の時にクラスメイトがF1好きで、その影響で深夜のF1中継を見るようになりレースに興味を持ち始めました。その頃は89~90年のセナ・プロ対決のアツい時代。ただ、興味は持ちつつもサーキットに行ったことがなくて、たまたま鈴鹿サーキットの遊園地に遊びに行った時にレーシングカーが走っているのを見て、これに乗りたいなと思ったのがレーサーになる大きなきっかけでしたね。
 高校に入ってからはレースを始めるきっかけとしてカートがあるというのを知り、やりたいなと思いガソリンスタンドでアルバイトを始めました。高校1年の終わりにやっと中古カートを買ったのが僕の第一歩。当時、親父が乗っていたバンに無理やり載せてカートコースに連れて行ってもらいました。親父も大変だったと思います。毎週末が僕のカートでつぶしてしまっていたので。
 なんだかんだカートを2年半ぐらい続けましたが、その先の将来には悩みました。ベストは高校卒業してすぐにレーサーになれればいいんですけど、そんなに簡単な世界でもないですし、卒業と同時に一応就職も決まった。とりあえずはそこで働きつつカートを続けていく中で、どうやって4輪の世界に行ったらいいかを模索し始めました。そんな時に、鈴鹿レーシングスクール(SRS)にフォーミュラができるらしいというウワサを聞き、そこしかないと狙いを定めたんです。それが95年の19歳の時。噂では入校金は300万円ぐらいと聞いてたけど、説明会で700万円って言われた瞬間は親父と目を見合わせて、こりゃ大変な世界だなって一瞬諦めかける金額ではあったけど、自分としては4輪の世界に進む上できっちり腕を磨きたい気持ちがあって、親父を何とか説得して自分の貯金100万円と親父の貯金200万円と親戚から借りた400万円で入校にこぎ着けました。

優勝こそないが、今季はここまでの5ラウンドですべてでポイントを獲得することに成功し、
GT500クラスでランキング首位をキープ。名門チーム ルマンの復活に向けて好調な前半戦と言える。

「レーサーになりたいんです」。

スクールは大概、月曜と火曜にあるので、僕は会社を休む必要がありました。就職したのは「サンユー技研工業」っていう金型屋なんですけど、入校を決める前に社長さんを呼んで、「じつは僕には夢があります。レーサーになりたいんです。そのためにはそのスクールに入ることが一番近道だと思うので、会社を休ませてください」とお願いをしました。社長も「分かった。頑張ってこい」と応援してくれて、会社に行きながらスクールに通うことを許してくれたんです。
 スクールの講師陣には服部尚貴さんや高木虎之介さんがいて、そういう人たちに教われる環境がよかったし、楽しかったですね。だんだんタイムが講師陣に近づいていくとやる気も増したし。ただスカラシップという制度がある中で、僕はそれからもれてしまった。自分の中ではまったく歯が立たない状況だったら諦めようと思っていたんですが、その逆で、すごく手ごたえを感じてたので諦められませんでした。何とか続けるためにはどうしたらいいのかなと相談に乗ってくれたのがスキルスピードの桃田さんでした。SRS-Fのスクールカーのメンテナンスをしていたというのもあり、身近な存在だったんです。当時、スキルスピードはフォーミュラトヨタ(FT)での強豪チーム。そんなチームの桃田さんが「レース続けたいならうちでやってみないか」という声を掛けてくれた。で、中古のFTマシンとアップデートキットをそろえてスキルスピードに組んでもらい、FTのレースに出られる準備を整えました。
 もともとスクールの時代から借金を抱えているので参戦資金はカツカツ。当然、その年も親父に借金してもらい、自分も働いてそれをつぎ込んでという生活だったんですが、どうしても1年間戦う資金の目途が立ちませんでした。でも、FTは賞金がいいんです。優勝して、その賞金で「次のレースも出られるな」みたいなことが続き、結果的に2勝してシリーズ3位でフル参戦を果たせました。こうなると次のステップとしてF3を考えずにはいられませんが……F3もべらぼうに高い。どうしたものかなって思っていたら、ホンダモータースポーツ部の人が「もしF3に出るならエンジンを出すよ」と言ってくれ、さらにはスキルスピードの桃田さんも僕に可能性を感じてF3のシャシーを購入してくれ、4輪2年目にF3までステップアップすることができました。

  • facebook
  • twitter