「参戦資金の壁をぶち破る“才能”。」 その1

VOL.28_3

石浦 宏明 

1981年4月23日生まれ、東京都出身
99年カートレースデビュー、01年もてぎFAクラスチャンピオン獲得。03年に4輪へステップアップ、03~05年はFTを戦った。06年にTDP契約ドライバーとなりF3へ。07年に名門トムスでF3を戦う一方、GT300で大嶋和也と組み王座獲得。08年よりFニッポン、GT500に上がり国内最高峰ドライバーの仲間入りを果たした。
http://ameblo.jp/ishiura/

他のスポーツと比べると、モータースポーツは練習するだけでも莫大な資金が必要となる。
才能があっても、興味を持ってやりたくても、
時にその壁は無情なまでの障害となる――
だが、石浦宏明選手は自らの才能でその壁を破り、
成功への道をひたすら駆け上がっていった。
今年のスーパーGT第3戦で勝利を奪い、
将来のレース界を背負う石浦選手の原点と
今に至るまでの波乱万丈なレース人生を紹介する。

「レーサーになりなさい」。

小さい頃からレース雑誌を読んでいて、記事の中にレーシングカートのことが載っていたんです。小学生の時、それを親に見せて乗りたいって言ったら「中学受験に合格すれば」と返され、それを信じて勉強して私立中学に合格したんですけど、実際にカートの値段を調べてみると、その当時で始めるのに70万円かかるっていうのが分かって「まだ早い」ということになったんです。で、エンジン駆動ラジコンを渡されて、僕は何となく自分の欲求をごまかしていました。
 中学3年の時、父親の会社の方々がレンタルカートコースでカート大会をやったんですよ。そこで「乗ってみるか」と言われて、一緒に付いて行きいざ乗ってみたら、すごい衝撃を受けました。乗れば乗るほど楽しくなり、大会ではファステストラップを出したご褒美にレーシングシューズをもらい、その日は履いて寝ましたね(笑)。カート時代のシューズはその一足で、穴があいてボロボロになっても使っていました。
 その後もカートをすぐには始められず、高校2年で本格的に開始。当時、1日3万円でカートをレンタルできるシステムがあって、それを利用して4~5回練習で乗ったんです。で、シルクロードというショップのカートに乗った時、コースレコードのコンマ5秒落ちまでタイムを出せた。そしたらショップの方に「来月のレースに出な」と言われ、突然99年1月の新東京サーキットの開幕戦に出ることになったんです。レンタルシステムのカートでレース参戦する人は珍しく、しかもコースレコードを上回ってポールポジションを獲って優勝。レース後、新東京サーキットの社長に「君、レーサーになりなさい」って言われた時はびっくりしました。

今年のスーパーGT第3戦富士戦、GT500クラスで大嶋和也とともにぶっちぎりで勝利を挙げた。GT500では通算2勝目。右は大嶋でFTRS以来の付き合いだ。

FJ1600で練習中。
FJは3回乗って卒業できるほど
カート→フォーミュラへの転向はスムーズだった。

FTRSでの誤算。

その後、ようやくカートを購入してもらえたので本格的に活動を開始したかったんですが、その年が受験の年で「ちゃんとした大学に合格しなさい」と親に説得され1年間休むことにしました。
 大学合格と同時にショップに行き、保管してあった自分のカートと再会。当時、僕の面倒を見てくれていたのがF・アロンソ、R・アンティヌッチの面倒を見ていた人で、いまだに褒められたことがないぐらい恐い師匠でした。大学1年はほぼ毎週カートに乗り、みっちり師匠に鍛えられました。で、翌年から――。僕はまだ入門クラスだったんですが、ショップの方に「3月にもてぎでFAがあるから出な」と言われたんですよ。師匠もそうしろ、と。キャブレターセットもできない状態で上級者のチューニングFAクラスに出ることになったんです。
 全日本選手権前の週だったので、前哨戦として全日本ドライバーもたくさん参戦していました。25台ぐらいの中、メカニックには「ビリでもいい」と言われたんですけど、ガムシャラに走ったら何と3位表彰台。それで00年はチューニングクラス中心に出ようとなったんですが、金銭的な負担が一気に跳ね上がってしまった。それでもカートショップでバイトしながら運送会社の夜中の仕分けをやってという生活を続け、01年はもてぎFAチャンピオンを獲れて全日本選手権への参加資格を得られたのですが、それには最低500万円かかる……。さすがに無理だなと思っていた時、雑誌の記事でフォーミュラへステップアップするためのオーディションがあることを知ったんです。
 02年、そのオーディションにトップ合格でき、FJで3回ほど練習して自信がついたので自分の中でそのスクールは卒業し、目標を夏のFTRS(フォーミュラトヨタ・レーシングスクール)にしぼりました。
 FTRSはスクール形式でフォーミュラのことを学べる他に、スクール自体がオーディションになっていて、優秀者はフォーミュラレースデビューのスカラシップを得られます。ただ、そこは全日本カート有力ドライバーが集まる世界。中嶋一貴もいたし、大嶋和也もいました。教室内で無名なのは僕だけ、みたいな。でも走ってみたらFJで練習していたのもあり好感触で、最終レースでは予選1番手は僕、一貴が2番手で、大嶋が3番手。決勝は一貴、僕、大嶋の順でゴール。現役FTドライバーの平手晃平や小林可夢偉も出ていたレースでその成績だったので、これは受かったなと確信を持ったんですが……。
 今年GTでコンビを組んでいる、当時15歳の大嶋ともそこで初めて仲良くなりました(石浦は当時21歳)。大嶋と電話番号を交換して合格したら教えてねと言っていて、1ヶ月後に彼から電話があり「連絡ありましたけど、石浦さん電話ないんですか?」とか言われ、自分が落ちたと知りました。すごいショックでした。今振り返っても人生の中で一番ショックな出来事――そこまで順調に来ていたものすべてがそこで崩れたような気がしましたね。
(以下次号)。

最近の子供たちと違い、石浦のカート開始時期はやや遅め。
だが、その内容は充実していたようだ。。

  • facebook
  • twitter