「夢と安定、僕は夢を選ぶ。」 その2

VOL.27_1

井出 有治 

1975年1月21日生まれ 埼玉県出身
90~93年という短いカート活動後に全日本F3選手権に挑戦。99年にフォーミュラドリーム初年度チャンピオン獲得後に再び全日本F3選手権、全日本GT選手権へステップアップを果たす。02年フランスF3参戦後は国内に戻りフォーミュラ・ニッポン、GT500を戦う。06年にはスーパーアグリF1チームからF1参戦も果たした。
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後がない、最後のワンチャンスで国内トップカテゴリーまで這い上がった井出有治。
世界最高峰F1への扉が開いた時も、まったく迷うことなく飛び込んでいった。
高いところまで登りつめたと思ったら急転直下、振り出しに戻ったり……
「これだけバタバタしたレース人生を送っている人ってなかなかいない(笑)」
井出はそう言って、これまでの波乱万丈な日々を振り返ってくれた。

GTの契約金でシートを買う。

星野(一義)さんのカバン持ちを2年間やって、もう一度出直すチャンスがめぐってきたのが99年でした。フォーミュラドリームというF3の下のミドルフォーミュラシリーズが始まって、参戦させてもらえることになったんです。当時24歳、決して若くないからダメだったらレーサーを諦めて普通の仕事をしろと(鈴木)亜久里さんにも言われ、自分でも腹をくくっていました。とにかく危機感が強かったから初代チャンピオンになれて、何とか次の扉を開くことができました。
 00年には全日本F3選手権に戻ってチャンピオン争いをして、01年も同選手権を戦いました。02年にはフランスF3参戦の話をもらい、フランスで1年間過ごしました。そのフランスF3では結果として1勝はしたけど、自分としてはまともな成績を残せないまま日本に戻ることになり、もう翌年はシートがないかなって思ってたら星野さんのチームでGTを走るチャンスをもらえました。
 ただフォーミュラの話が一切なくて、仕方ないからGTの契約金を全部ぶっ込んでフォーミュラのシートを買いました。ほんと賞金を獲らないと足りません、ていうぐらいぶっ込んだから、成績を残さないと途中でシートがなくなるという状態で1年を戦いました。そのシーズンが終わった03年末、セパンのタイヤテストに来いって星野さんに呼ばれました。メインは本山(哲)さんがテストして、時間があまったらお前も乗っていいぞって言われて。で、残り30分ぐらい乗せてもらって本山さんのコンマ1秒か2秒落ちのタイムで、走行後に「合格だ」って星野さんに言われました。じつは僕のテストだったらしく、「来年うちでフォーミュラに乗れ」ってそこで話をもらえ、驚きましたね

06年の黒旗無視事件でGT界で信頼を失った井出はしばらくシートを得られなかった。08年高橋国光氏率いる「TEAM KUNIMITSUに拾われ」、RAYBRIG NSXを走らせた。09年も同チームで戦った。

すべてがゼロに戻ったl。

国内トップチームでフォーミュラ・ニッポンを戦い、チャンピオン争いにも加わりました。チャンピオンは獲れなかったけど、自分の駆け出し時代を思えば、すごくいい環境で戦わせてもらっているなという充実感がありました。
 そんな安定した日々の中、人生最大の転機がめぐってきたのは06年。亜久里さんがチームを作ってF1に参戦するっていうのは以前から聞いていて、「乗せてください」と僕も言ってましたが、まさか本当にそんな日が来るとは思っていませんでした。
 ただ、不安もありました。資金的にもあの時のスーパーアグリF1チームは大変な時期で、明らかに準備不足で開幕を迎えていました。開幕のバーレーンまで飛行場の滑走路を往復10回ぐらい、雪が降るシルバーストーンで2~3周転がしたぐらいで、そのまま開幕戦にマシンを持って行ったから。ただ慌てずに、チームの状況を考えて自分の仕事をきちんと今はやっていかなければいけない時期だなと思っていました。結果を残しにいくという時期になったら頑張ればいい。今はとにかくチームが成長するまで自分のドライバーとしての気持ちは抑えておこうって。
 走れば必ずトラブル、バックミラーもまったく見えない状態で開幕戦のバーレーンを終えて、僕は4レースほどF1を走った。マシンが未熟だったので、レースというよりロングランテスト。そんな状態だけどF1はF1だし、皆が乗りたくても乗れないシートだし、考え方によっちゃ幸せなんだって思ってた矢先、フランス人ドライバーを乗せたいがために上の方からチームに圧力がかかって、最終的に僕のライセンスが剥奪されて……。僕のF1は中途半端なところで、消化不良のまま終わってしまいました。
 帰国直後、GTへスポット参戦させてもらったんですけど、チャックを差し忘れて無線が不通になっているのに気付かず、黒旗を無視……もう一度日本で頑張ろうって思ってたけど、その事件で今まで積み上げてきたものが再びゼロになってしまった。
 そういうことになって、いろんな人に「F1へ行かなければよかったんじゃないの?」って言われたけど、後悔はぜんぜんしていないです。もともとレースを始めたのってお金儲けしたかったわけではなく、マシンを操るのが好きでもっと速いマシン、速いマシンって上を目指してきて、世界で一番速いマシンでレースができるチャンスが見えたから飛び込んだわけだし。国内にいれば数千万円の契約金がもらえて賞金がもらえてっていう生活もあったけど、自分が求めて頑張ってきたのはそこじゃなかった。今でもその選択は間違っていないと思っているし、今後同じ選択をしなければいけない時がきたとしても、全部を投げ捨ててでもまったく同じ道を選ぶと思います。夢と安定した生活があるとしたら、僕は夢を選ぶ。これから先もそれは変わりません。

F1参戦後の06~08年はフォーミュラ・ニッポンに参戦。07~08年は鈴木亜久里氏が代表を務めるARTAで走った。

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