「サーキット上の興奮を観客席に運ぶ。」 その1

VOL.26_1

ピエール北川 

1970年6月2日生まれ 三重県出身
レーシングカート活動と同時にやっていたオフィシャルの仕事の中で出会った「レース実況」。94年から地方カートコースで本格的にスタート後、鈴鹿サーキット、ツインリンクもてぎといった日本を代表するサーキットからも声がかかる。観客席に呼びかける独自の参加型実況が人気で、今年鈴鹿開催に戻ったF1日本GPをはじめ、2輪の鈴鹿8耐、もてぎ開催のインディ・ジャパン等のビッグレース場内実況でも
お馴染み。
http://ameblo.jp/pk-racing

レーシングカート時代にコースオフィシャルの仕事を手伝う中で、
「レースアナウンサー」の仕事と出会い、それを本業に――。
最初は好きという気持ちが先行して自分も楽しんでいたが、
ビッグレースの実況仕事をする中で喋ることへの意識が変わっていき、
今は観客席第一を目指してマイクに向かって喋っている。
少し違う視点からレースや車を見てきた
ピエール北川さんに話を聞く。

始まりはノリと真似。

もともとモータースポーツが大好きで、出身が三重県なので自分の中で鈴鹿サーキットっていうものが子供の頃から身近にありました。週末になればサーキットから車やバイクレースのサウンドが聞こえてくるのが当たり前だったんです。自然と僕自身もレースをやりたいなって思って運転免許を取ってすぐにジムカーナを始め、19歳の時にはレーシングカートを買いました。それでカートにハマって、しばらく真剣にやってましたね。
 そのカートレース活動と並行して、空いている時はカートコースのコースオフィシャルをやっていました。そんな生活を何年か続ける中、たまたま仲間内でレースをやることになり、オフィシャルの延長で『マイクを持って喋ってみたら』という話になったんです。カラオケでマイクは持ったことあるけどレース実況っていうのはぜんぜんイメージできないから最初は半信半疑。ただ92~93年のその頃ってF1人気がすごくて、フジテレビのF1中継と言えば古舘伊知郎さんが実況していて、僕はそれが好きでよく見ていました。じゃあその真似事でもするかってノリでやってみたら、すごくウケて(笑)。次の公式戦カートレースでも『選手紹介ぐらいからアナウンスやってよ』と言われ始め、僕自身も楽しめたのでそれも引き受けて……始まりはそんな感じでしたね。

07年にHDX(ハンドドライブクロス)というステアリング、アクセル、ブレーキ操作すべてを
手で行う特殊なカートレースに参戦。かつて自分がレーシングカートをやっていた頃の熱い気持ちが甦った!?

06年の東京オートサロンのスバルブースにて。レース実況以外にも、モータースポーツ関係のイベントで活躍する。

営業したことがない。

岐阜県にある瑞浪レイクウェイというカートコースが僕の主戦場で、そこでレースに出ながらオフィシャルしてたまに喋る。そうこうしているうちにレース資金が枯渇して、オフィシャルばかりやるようになり自ずと喋る回数も増えていった。そしたらコースの人から『もう年間でやってくれ』という話をもらったんです。それまでディーラーや外車販売員をやってきたけど、お客さんに心から喜んでもらったっていう経験がいまいちありませんでした。でも、実況していたら皆が喜んでくれる。これが仕事になったら面白いだろうなって思いもあったし、当時はカートレース専門アナウンサーという分野自体がなかったので、挑戦したい気持ちもありました。自分の中で3年やってみてモノにならなかったら辞めようってことで、24歳(94年)から仕事として本格的にスタートしました。
 瑞浪レイクウェイ以外に、僕が入っていたカートチームがレース主催も手がけていて、北陸地方のグランドサーキット芦原でも実況させてもらいました。とりあえずそのふたつのシリーズ戦で実況をしてたんですが、すぐに大きな仕事の話も。94年の暮れにカート専門誌の編集部から電話が掛かってきて、『今、鈴鹿で若いアナウンサーを探しているっていうんだけど、(ピエールのこと)紹介しておいた。面接に行ってくれるかな』って言われて。びっくりしながら鈴鹿へ面接に行ったら、とりあえず95年の最初の全日本カート選手権で喋ってみて良ければ今後も継続してっていう話をもらえて、そこで喋ったらトントン拍子に『鈴鹿のカートレース実況を全部やってください』『鈴鹿のクラブマンレースも全部やってください』『サンデーロードレースもやってください』っていう流れで。ただ好きでカートレース実況をしていたら、周りの人がどんどん引き上げていってくれたんです。
 徐々に活躍フィールドが拡大していきましたが、最終的に分かったのは僕がレースバカということ(笑)。ラジオのパーソナリティの仕事ももらったりしましたが、週末に生放送とかぶってしまうのが嫌で。練習走行から見て、それを踏まえた上で誰が調子がいいとか、こういうふうにレースが展開するんじゃないかなと自分で読んだ上で取材して喋るっていうのが僕のスタンスなんです。レースにおける練習走行って金曜日から始まるので、そこをどうしてもカットされたくない。だからラジオもケーブルテレビも一切辞めて、レース実況一本に絞りました。まあ取材と言っても自分では散歩って思ってます。昨日何食べたとか、この前のレースでクラッシュしてたねと軽い感じでドライバーたちと接しているので。
 自信持って言えるのは、僕は専門学校へも行ってないし喋りに関してはすべて独学っていうこと。カートレースってとにかく数が多い。毎週どこかでやってます。当時は土曜や平日のレースもあったので、月に7~8回レース実況したこともあります。そうするともう現場第一ですよね。現場で喋ってみて人からアドバイスされたり、あるいは自分が喋らないレースを観に行って先輩アナウンサーの喋りを盗んだり。本を読んだりして知識を吸収することもありましたが、基本は現場をこなしていく繰り返し。プラスアルファで、自分がカートに乗っていた時の経験が活きてたと思います。

こちらは05年の鈴鹿ラリーフェスタ。モータースポーツにおいてもジャンルに捕らわれることなく、幅広く仕事をこなす。

  • facebook
  • twitter