「性別、国境を越えて私を未知なる世界へ誘った車たち。」 その1

VOL.24_1

まるも 亜希子 

千葉県出身
大学卒業後にTipo編集者となる。00年に国内A級ライセンスを取得、以後ジャンルを問わず様々なレースに挑戦。03年に独立して現在はカーライフ・ジャーナリストとして活躍。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。愛車はポルシェ968。
http://www.hobidas.com/blog/tipo/marumo/

大学時代、必要に迫られ購入することになった車
単なる移動の足として見ていなかったその機械の塊が
クラシックビートルとの出会いで一転――
雑誌「Tipo」編集部に導かれるように入社して
数々の車との出会いを重ね、レースデビューも果たす
現在はカーライフジャーナリストとしてフリーの道を歩む
まるも亜希子さんに“激動のカーライフ”を聞く。

運命の車との出会い。

高校卒業するまでは車に興味がなくて、免許を取るつもりもぜんぜんなかったんです。でも、大学に通うに当たって必要になり人生初のマイカーを購入。そこで、巡り合ってしまったのがクラシックビートルだったんです。もともと好奇心旺盛で、ひと目見てこれに乗りたいって頑なに(笑)。それまでは、車っていうと父が運転するセダンしか知らなかったわけですよ。快適に人を運ぶ機械。でも、それだけじゃないんだって自分で所有してみて分かりました。
 運転もそうですが、とくに車の中の空間も大好きでした。音楽を聞くにしてもビートルの中ではエンジンのバタバタバタっていう音だったり風とか、いろんなものが混ざり合う。誰かとお喋りをするにしても、景色が移り変わる空間の中でだと何か格別な気持ちになるんです。
 雑誌を読みあさったり、ワーゲンに乗っている友達とイベントに行ったりもしました。10数台でツーリングしながらイベントに行くと、何百っていう同じように車を楽しむ人たちがいて……そういうのも楽しくて、大学時代は車中心の生活でした。
 そんな中、あるイベントでカルマンギアというオープンカーに一目惚れしてしまったんです。当時の私には高くて買えなかったんですが、知人のショップで欲しいと言い続けてたら、ある日「似たような車で安いのがあるよ」と言われて、見てもないのに買うことに。それがFIAT124スパイダーでした。ショップの人のご好意で黄色に塗装したら、もう惚れ惚れ(笑)。

04年ツインリンクもてぎで開催された「JOY耐」はJAF公認レースデビューでもあった。一緒に組んだドライバーは高橋国光氏、ノンフィクション作家の中部博氏、ホンダ栃木研究所の関根和弘氏(このマシンの開発ドライバー)。公認レースにハイブリッド車両で参戦・完走した女性としては国内初。以後、昨年までの5年間JOY耐に参戦してきた。

06年7月には秋田県の大潟村で行われたソーラーカー・チャレンジにも出場した。写真はソーラーカー「Blue Bullet(ブルー・ブリット)」。激しい雨にも見舞われたが、3日間のレースを完走した。

編集者になりたかった。

大学卒業前から編集者になりたいと思ってて、色んな出版社を片っ端から受けたんですけど箸にも棒にもかからなくて……。どうしようか迷っている時、イタ車に乗るなら読んでおいた方がいいよと渡されたのが「ティーポ」でした。ふ~んって思いながら読んでたら、編集者募集っていう求人が載っていて、すぐに面接を受けに行きました。124スパイダーに乗っているってことですごく話が合って、めでたくティーポ編集部員に。あの車に乗っていなかったらティーポにも出会ってないし、編集者にもなっていなかったなと思うと、私にとっては本当に運命の車だったんですよね。
 ただ、編集という仕事は大変でした。すごい量の知識が求められ、最初は周りの会話についていけず、「ジムカーナ観に行かない」って言われて「何それ、イギリス人ですか?」みたいなことも(笑)。でも、そういうのを一つずつ覚えていくっていうのにおもしろさを感じてもいました。

JOY耐でチームメイトとなった高橋国光氏(右)。偉大な人物であることは知っていたが……。無邪気に接することで高橋氏からもかわいがられ、レースに対する姿勢、テクニック等を教わった。

初レースで火が点く。

モータースポーツに関しては、男性がやるもの、女が近づいてはいけない世界とずっと思っていました。でも「A級ライセンスを獲ろう」という企画で、私もA級ライセンス所持者になってしまった。そんな時に担当したのが、40代のオジサマ4人が自費でミジェットのレーシングカーをイチから製作してレースに出る連載ページ。中でもノンフィクション作家の中部博さんに目をかけてもらって、絶対に面白いからレースを始めてみなさいって勧められて。断ってたんですが、レーシングスーツだけはちょっと着てみたかったんです。「何色が着たいの?」って聞かれるから「ピンクなんかかわいいですね」って話をした翌週に、ピンクのレーシングスーツが届いたんですよ。もう引けなくなって(笑)。
 最初に参戦したのはFIATパンダのワンメイクレース。当然ながら散々な結果でしたが、その悔しさが私の中に火を点けて、ドライビングスクールに通ったり、アマチュアレースで経験を積んだり、レースと向き合うようになったんです。
 そういう日々の中で、04年のJOY耐において日本で初めてハイブリッドカーが公認レースを走る歴史的な日がやってきたんです。なぜか私もそのドライバーに抜擢され、エースドライバーとして参加した高橋国光さんと同じハイブリッドカーでレースをしたんです。今でも笑われるんですけど、それまで国光さんがどれほどすごい人かを知らなくて、「国さん、教えてくださいよ」って無邪気に話し掛けてて、周囲の人はすごく驚いていたみたいですが(笑)。
 日本のモータースポーツの黎明期からレースをして、今でも監督という立場で携わる国光さんと一緒に、しかも次世代の原動機であるハイブリッドのマシンでレースをしたっていうのが、ものすごいことなんだなと後になって分かりました。以後、JOY耐には5年間参戦して毎年完走。国光さんから学んだことすべてが、本当に今でも役に立っています。

3年前からはレーシングカートのレースにも参戦する。07年、ツインリンクもてぎで開催された「K-TAI」にはラリードライバーの新井敏弘氏を迎え、スバルチームを結成。女性を含むチームの中で最上位、ベストレディース賞を勝ち獲った。

マイカー2台目のFIAT124スパイダー。知人のショップ店員が見つけた当初は朱色で、「さえない感じで失敗したかなって思った」(まるも)というが、そのショップの計らいで好きな黄色に全塗装、見違える車になった。

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