趣味の対象としてのクルマ、その興味は無限大に広がる。 その1

VOL.21_2

藤原 彦雄 

1972年生まれ 静岡県出身
1995年ネコ・パブリッシング入社。総務所属後'98年にカー・マガジン編集部に異動。副編集長を経て現在編集長代理としてカー・マガジンを牽引する。
http://www.car-mag.jp/

クルマ趣味の総合誌として多くの読者から支持を受ける「カー・マガジン」誌。
趣味の雑誌を数多く手掛けるネコ・パブリッシングの中で
最初に創刊されたのが同誌である。
'79年12月に「スクランブル カー・マガジン」として創刊、
'87年に名称変更を受けて「カー・マガジン」となる。
創刊号から現在に至るまで表紙を飾るBOW氏のイラストは同誌の顔ともなっている。
最新号は366号を数え、来年は創刊30周年を迎える「カー・マガジン」誌。
今回は編集長代理の藤原彦雄氏にお話しをうかがう 。

カー・マガジンのスタンス。

カー・マガジンはネコ・パブリッシングが最初に手掛けた定期発行の雑誌です。僕は'72年生まれですから、創刊当時はまだ7才なのでその頃の事はわかりませんが(笑)。今でも編集長は創業社長である笹本の名前になっていて、僕は編集長代理という肩書きなんです。
 僕が中心になって編集をするようになったのは2000年、297号くらいからですね。それまでに20年くらいの歴史があるわけですが、それを受け継ぐにあたって特に気負いとかはありませんでした。というのも、学生時代からカー・マガジン以外のクルマの雑誌はあまり見なくて、カー・マガジンのテイストが知らず知らずに身に染み付いていたのかもしれません(笑)。
 本誌のスタンスはクルマを実用としてではなく「趣味の対象として楽しむ」ということ。そういう意味では誌面展開の可能性も無限大だと思っています。旧くても新しくても、プラモでもグッズでも、「クルマ」に関係することならば全てが興味の対象ですから。そこに、カー・マガジンというフィルターをかけて情報を提供していこうということですね。
 もう一つカー・マガジンのアイデンティティともいうべきなのが、創刊から続くBOWさんの表紙。世界的にもこうした表紙は少ないようで、もしかするとカー・マガジンの顔であり編集長はこの表紙イラストかもしれません(笑)。

288号(2002-6月)エラン特集の取材ページ巻頭の写真。1905年からヒルクライムのメッカとして知られる“シェルシュレイ・ウルシュ”の入り口で撮影。約50ページにわたる特集は藤原氏の個人的な思いを超えて、広くエラン愛好家の共感と好奇心をくすぐる力を持った内容に仕上げられている。(photo:Junichi-OKUMURA)

絵描き志望の学生。

クルマは子供の頃から好きで、実家は富士スピードウェイも近く、高校の通学路には富士GCの名物ドライバーだった岡本金幸さんのファクトリーなんかもあって、時々レース観戦にも行きました。でもクルマ関係に進む気はなく、絵描きになりたくて美大の志望だったんですが、まわりに反対され普通の学部を受験しました。一年目は受験に失敗し、予備校に通うために東京に出てきたんです。その頃ふと立ち寄った本屋で見たのがカー・マガジン。多分、BOWさんの表紙に惹かれて手にとったんだと思います。それまでモータースポーツ寄りでクルマを見ていたので、それとは違うジャンルに出会って「こういう楽しみ方もあるんだ」と思いましたね。それから購読するようになりました。
 大学4年になって就職せざるを得ない状況になったとき、実家が測量の仕事をしていたので、建築関係にということでハウスメーカーの就職が内定しました。その説明会で”営業車は自分持ち、2000cc以下の4ドアで白、黒、シルバーのクルマに限り会社で購入援助する”という説明にイヤ気がさしたんです(笑)。普通の学生なら諦めるんでしょうけど、美術部にいて少しトンガっていたので、そうした押し付けがどうしてもいやだった。今考えると、青いなって思いますけど(笑)。
 たまたまカー・マガジンで新卒の募集を見つけ“これだ!”と思い、ハウスメーカーの内定を蹴って、背水の陣で面接に臨み採用してもらえたのがこの世界に入るキッカケでした。

藤原氏が編集者として初めて特集を担当し、自信を深める転機となった思い出深い275号と288号。

BOW氏の美しいイラストがカー・マガジンの大きな魅力でもある。

カーマガジンの仕事をしたい。

'95年に入社し、配属されたのは総務でした。同期で編集部に配属された同僚が本に出たりするのを見ながら、悔しい思いもしていました。ただ、まわりはシャーシナンバーや個体ごとの特定でクルマを語るような人ばかり。ポルシェはポルシェとしか思っていなかった自分にはショックでしたね(笑)。これは勉強しないと、と思いました。総務にいながらも編集部に入り浸り、希望を出してカー・マガジン編集部に配置変えをしてもらえたのは入社4年目の頃でした。
 僕は編集という仕事をしたいというより「カー・マガジンの仕事」がしたかったんです。みんなよりスタートが遅かったので、三年やって芽がでなかったらやめようという決心をして編集部に入りました。おかげさまで、今日まで続けていられるんで良かったと思いますね(笑)。
 編集者として自信になったのは、275号で巻頭の特集40ページをまかされたことと“好きなことをやっていいよ”と言われて企画した288号のロータスエラン特集。エラン特集は企画から英国での取材のセッティング、原稿書きまで初めて全ての工程を自分でこなしました。自分のエランの最初のオーナーは誰だったんだ?というルーツ探しとエランのデザイナーへの取材、そしてエランで英国を走ってもみました。自分の興味で突っ走ったわけですが、仕事としてこんなことができるのも幸せですね。もちろん読者と編集サイドが興味を共有できることが条件ですが、自分が興味を持てることにスポットを当てていくことは大切にしています。(以下次号)

カー・マガジンは毎月26日の発売。最新号はディーノの特集。

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