レーシングドライバーだけでなく、様々な視点からクルマを見る。 その2

VOL.19_1

桧井 保孝 

1969年生 広島県出身
中学時代にはじめたカートレースからFJ優勝を経てF3でレーシングドライバーへ、マッハ号では三船剛の名で登録して活躍、スーパーGTのレギュラーほか2006年にチームJLOCでルマン24時間レースに参戦、取材ドライバー、レースオフィシャルに活躍の場を広げている。(株)ファースト レスポンダー代表取締役。
http://www.hobidas.com/blog/car-mag/lemans/

レーシングドライバーとして活躍する一方、
自動車専門誌のインプレッションから、ドライビングインストラクター、
歴代F1マシンのデモ走行のドライバー、
さらにはレースオフィシャルとしての活動と、その活躍の場を広げていく桧井氏。
今回はレーシングドライバーだけではない
桧井氏の様々な活躍の場面からのお話しを伺った。

コース4周だけで。

仕事としては専門誌のインプレッションも多く手掛けさせていただいています。特にフェラーリやランボルギーニなどを現地イタリアやヨーロッパで試乗することが多くなっていますね。中でも発売前のフェラーリだと本社のテストコースのフィオラノサーキットで試乗というケースがあるんです。その場合、試乗が許されるのはわずか4周だけだったりするんですよ。それでインプレッションをとるのは結構難しい。幸い僕の場合はコーンズさん(フェラーリの日本総代理店)のオフィシャルドライバーということで、フェラーリに乗る機会も多いし、フィオラノも沢山経験させていただいているんで、1周目から全開でインプレッションをとれるんです。雑誌社さんはそこが便利みたいでお呼びがかかるんですね(笑)。
 インプレッションではどんなクルマでも日常に使ってどうか、という視点からトータルなバランスを見ています。音の良さなど所有の喜びを感じる点からリラックスして乗れる乗り心地なども含めて、尖ったところだけを見るのではなく、オーナーが楽しめるかどうかという観点を大切にしています。記事を読んでその車を買ってくださる方も多くて「あの記事を読んで買いました」と言われるとうれしいですね。
 僕は運転することが好きなんで、高価なクルマに限らずどんなクルマでも運転してみたくなるんです。たまたま取材に来た人のクルマでも運転させてもらったりするんで、編集者からは“桧井さんの『運転させて攻撃』が始まった”なんてからかわれてます(笑)。

フェラーリのイベントでFXXに乗り込む直前の桧井氏。今やフェラーリのイベントには欠かせないドライバーとなっている。FXXはエンツォ・フェラーリをベースにレース専用車として限られたオーナー対象に'05年世界29台のみ販売された。マシンと様々なアフターサポートのパッケージで総額150万ユーロ!。

4周だけと限られたフィオラノサーキットでの試乗でも、桧井氏は一周目から全開で走行ができる数少ないドライバー。

フェラーリ使いの証。

僕とフェラーリの関係はフェラーリチャレンジに使う360モデナチャレンジというレース専用モデルの日本の各サーキットでの走行テストを担当したことから深まりました。フェラーリチャレンジは統一ルールのレースを世界中で行い、イタリアでファイナルが行われます。そこには世界中から腕に自身のあるオーナーやプロが集まり、賞金でなく純粋に名誉の為に戦い、時に死亡事故すら起こるくらいです。そこで勝てば世界で一番早いフェラーリ乗りになることができます。僕は'01年にフェラーリ・チャレンジ・オフィシャル・インストラクターとして国内の全戦に参加し、イタリアのモンツァサーキットで行われたファイナルでは360チャレンジのクラスでポール・トゥ・フィニッシュを飾ることができました。
 以来、フェラーリクラブ走行会のコーチをさせていただいたり、オーナーの個人レッスンをしたり、国内で行われるフェラーリのイベントには随分と関わらせていただいています。大きなイベントではデモ走行ドライバーとして歴代のフェラーリF1を走らせていますが一度もミスで壊したことがないというのが自慢ですね(笑)。一度でもオーバーレブでもしたら大変な壊れ方をしますし、とんでもなく高価な貴重な車ですから。
 日本にはF1がたくさんあるんですよ。フェラーリは412、シューマッハが開発に加わった310から399、2000、2001にも乗りました。他にはロータスJPS、ミナルディにも乗りましたが、特に気にいっているのは412で、'94年のクルマですがかなり完成されていますね。楽器のようなエンジン音がする12気筒最後のF1になりますが、乗っていて楽しいですね。

'01年、フェラーリ・チャレンジ・オフィシャル・インストラクターとして360モデナチャレンジでフェラーリ・チャレンジに参戦。イタリアで開催されたファイナルではポール・トゥ・フィニッシュを飾る。まさに「日本一のフェラーリ使い」である。

フェラーリのイベントで歴代フェラーリF1のデモ走行を担当。「F1に乗る体験は新車発表の度にF1の技術をフィードバックするフェラーリのインプレッションでも役に立っています」。F1を知っているからこそ、そこにどこまで近づいたのか乗ってすぐわかるという。
〈写真はフェラーリF2001のデモ走行とコクピット〉

オフィシャルとして。

今、レースのオフィシャル活動もしていて、岡山国際サーキットでは副競技長を勤めさせていただいています。オフィシャルとして最初にお手伝いしたのは、'94年に岡山国際サーキット(当時はTIサーキット英田)でF1が開催された時で、ドクターカーのドライバーとして参加し、翌年はセーフティーカーのドライバーとして参加しました。
 レース運営に欠かせないのがオフィシャルで、そのほとんどがボランティアの人たちなんです。オフィシャルにまわると、ドライバーとして走るだけでは見えなかったレース運営やボランティアの大切さ、安全面についても運営側からの視点で見えてくるんです。もちろん走れる間はレーシングドライバーとして活動をしていきますが、そんな経験からモータースポーツの発展を考える上で重要なこととして、オフィシャルの活動もしているわけです。ドライバーとしてレース中にフラッグが出た時、オフィシャルがどう判断するか予測できるというメリットもあるにはありますが(笑)。
 これからもさらにドライバーもチームもお客様もみんなが楽しめるレースの発展に、ドライバーとしてオフィシャルとして、少しでも役立っていきたいと思っています。

FISCOで行われるル・マン クラシックにもドライバーとして出場。当時のオリジナルシェルビーコブラ427のステアリングを握った。600馬力なのにタイヤも当時と同じ溝付きパターン。「昔の人はよくこんなマシンでレースをしたもんだなあと思いましたね(笑)。」

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