クルマ好きにはいろいろなカタチがある。それを全て肯定するところから始まる。 その1

VOL.16_2

鵜飼 誠 

1973年 愛知県生まれ
子供の頃に家族が転居し神奈川に育つ。大学卒業後、株式会社ネコ・パブリッシングに入社、デイトナ編集部に配属され編集者としての仕事をスタート。その後、カー・マガジン編集部を経て、2005年からジェイズ・ティーポ編集長、2007年からホンダ・スタイル編集長を兼任。誌面ではキャル吉の名前でも登場。
http://www.j-tipo.com/

高価になってしまった6~70年代のいわゆる日本のヒストリックカー。
それに比較して入手しやすい8~90年代の日本車を等身大で楽しむ雑誌として1992年に創刊したジェイズ・ティーポ。
その二代目編集長として2006年からバトンを受けたのが現編集長、鵜飼 誠氏だ。
前編集長のコンセプトを引き継ぎながら、
「面白いと思えることなら垣根をつくらずに広く紹介していきたいと思っています」と
さらにクルマの楽しみを広げていく方向で編集に取り組む。
今回はイベント取材中の鵜飼氏を訪ね、お話を伺った。

クルマ好きは母親の影響。

普通、クルマが好きになるのは父親の影響を受けて、というケースが多いんですが、僕の場合は母親からでしたね(笑)。母がクルマに興味がある方で、僕に与えるおもちゃも、ミニカーやクルマのプラモデルだし、カー・マガジンとかクルマの雑誌も買ってましたね。子供の頃からウチにあったのはスカイラインやグロリアのワゴンで、物心ついたときから筋金いりのワゴン派でした。
 そんな環境の中で、小学生の頃にはスカイライン54Bとか知っていて、ハコスカのエンジンなんかも“S20のほうがL20よりも偉いんだぞ”なんて言ってましたね、機械的な意味合いは分かってなかったんですが(笑)。だから親戚のおばさんからは“カーキチ”って言われてました。もう死語ですけど(笑)。
 でもウチはセダンは買ったことがなくて、ずっと大きめのワゴンばっかりだったので、気が付くと僕もそうしたクルマが好きになっていて、大きめのワゴンのルーツはアメ車だよな、とそれからアメ車が好きになっていったんですね。

編集部の取材車はコルト・ラリアート。ジェイズ・ティーポ1月号でも特集しているボーイズレーサーサイズ。ターボチャージド1.5リッター147馬力にCVTの組み合わせに「エンジンとCVTのマッチングが絶妙で、気持ちいいんです。ボーイズレーサーとしてはM/Tが本来ですが、このクルマに限っては楽しいのでCVTでもOKですね(笑)」とここでも楽しいものは積極的に肯定。

'92年の創刊号(右上)と鵜飼氏が編集長担当を受け継いだ157号(左上)。奇数月16日発行のジェイズ・ティーポ最新号(右下)はボーイズレーサーを特集。8~90年代のクルマから最新モデルまで手頃な大きさのクルマで走る面白さを再発見。

取材は知識の確認?。

そんなクルマ好きだったことと、大学は文系だったのでクルマ関係の仕事をしたいと思った時にクルマ雑誌の編集というのは、自分にとって自然な流れでした。その当時は会社の歯車にはなりたくないなんていう思いもあって、原稿を書いて出来たものがコンビニなんかで売られるのを見届けるまで、モノが出来ていくプロセスに全て関れる、というのもこの仕事を選んだ理由でした。
 入社して最初に配属されたのが、アメ車メインの雑誌「デイトナ」の編集部でした。当時は僕もアメ車オタクだったし、周りもそう思っていたようです(笑)。自分にとっても自信のある分野なんで、それは良かったんですが、取材に行って記事を書くとクルマのことしか書いてない。最初の頃は気にとめてなかったんですが、オーナーにインタビューして、その人柄や思い入れを感じさせるような記事が書けなかったんです。
 それにはっきり気付いたのはカー・マガジン編集部に移ってからでした。アメ車オタクだと思われていたので、ヨーロッパ車の記事が書けるのか、なんて思われてたみたいですが、例えば旧いBMWについても知識はあったので、自分としては問題なかったんです。ただ、取材の中で人の言葉をしっかり拾ってきていなくて、クルマについての自分の知識を確認するような取材の仕方しかしてなかったんです。それなら、取材しなくても書けるような記事なんですね。
 ところが、自分の企画で「シングルナンバー」の取材ページを作るようになって、旧くからクルマを愛好している方のところに取材にうかがうようになったんです。普段あまり話すことの無いような年輩の方もいらっしゃって、そういう方のお話しを聞いていると、クルマの話題だけでなく様々な分野の本当に豊かな話をされるんですよ。それがそのまま全て記事になるわけではありませんが、そういった取材を通じてクルマというハードにしか目が行っていなかった自分に気付き、取材記事の書き方も変わりました。“取材”ということで色んな方からお話しを聞くことができる、この仕事の良さをあらためて感じましたね。

編集長自らイベントなどの取材に出ることも多い。「やっぱり現場で人に会う事や話しを聞くことは大切だし、オーナーさんの連絡先を教えていただければ、特集記事の時なんかにはお願いできますしね」。

編集部スタッフは4名。奇数月のジェイズ・ティーポとともに、偶数月発行のホンダ・スタイルの編集も手掛ける。結果、2誌交互に毎月の発行となり、忙しさは月刊誌の編集部以上。右端が鵜飼氏。

「楽しい」「面白い」を。

ジェイズ・ティーポの編集長を引き継いだのは、2006年の5月、157号からです。これまでの編集者としての経験を通じて思ってきたことは「クルマが好き」ということや「クルマで楽しむ」ことにいろいろなスタイルはありますが、全てを肯定するところから始まるということです。例えば最近は若者のクルマ離れということがいわれますが、スポーツカーで走ることを楽しむ、という価値観で規定すると確かにそうかもしれませんが、クルマの室内をLEDで飾るとか、スピーカーをつけるといったことでも、それはクルマが好きということなんだと思います。だから、その方向性が違うだけで、必ずしも“クルマ離れ”といえるのかどうか。
 雑誌としてジェイズ・ティーポは8~90年代の日本車を中心に扱っていきますが、僕の編集者としてのスタンスにはそういった「全てのクルマの楽しみ方を肯定する」という気持ちがあります。だからネタに困るようなことはないですし、ジェイズ・ティーポらしさの中で「楽しい。面白い」をたくさん取り上げていきたいと思っています。(以下次号)

クルマ好になった原点はアメ車に加えて「プラモデルで沢山クルマをつくりました。それもクルマ好きに大きな影響があったと思います」。アメ車のプラモを扱ったブログをネコ・パブリッシングのサイト内に掲載中。『デスクトップガレージ』で検索すればOK。写真は最新作のGTO。

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