勝って結果を残すこと。それが、すべてを証明してくれる。 その1

VOL.14_2

木下みつひろ 

1965年生 長野県出身
'81年、高校2年の時レーシングカート・デビュー戦初優勝。'86年、レーシングカート・全日本ナショナルFA/A1クラス参戦・優勝。'87年富士フレッシュマンレースデビュー。'88年、富士フレッシュマンレース・レビン/トレノクラス優勝2回・2位1回(全6戦)。'89富士フレッシュマンレース・NA-1600クラス優勝2回・2位1回(全4戦)。'90年、富士フレッシュマンレース・NA-1600クラス優勝4回・総合優勝。'91年ミラージュカップ参戦・シリーズチャンピオン。'92年、シビックインターカップ参戦・シリーズチャンピオン。'93年フォーミュラ・トヨタ参戦優勝7回・2位2回(全9戦・最多優勝回数記録樹立)シリーズチャンピオン。N1耐久参戦、全日本F3選手権デビュー。'94年、全日本F3選手権、JTCC参戦。'95年、JTCC参戦・ルーキー賞獲得、N1耐久参戦・TIラウンド優勝。'96年、JTCC参戦・入賞、スーパーN1耐久参戦 優勝2回・シリーズ3位。'97年~、全日本GT選手権参戦、スーパー耐久参戦(1クラス鈴鹿サーキットコースレコード樹立)。'99年メモリアルレース アルテッツァ・ワンメイクレース優勝。2000年、十勝24H GTクラス・総合優勝。2001年、スーパー耐久Nプラスクラス参戦。2002年、スーパー耐久クラス1シリーズチャンピオン、全日本GT選手権GT300クラス4位。2003年、スーパー耐久、スーパーGT300クラス共にシリーズチャンピオン。
レーシングドライバー。

国内のレースに韓国のタイヤメーカーが積極的に参戦をはじめている。
その一つがハンコックだ。
ハンコックは'94年に日本に販売会社を設立し国内市場に進出している。
さらにブランドイメージアップのため、
昨シーズンはレース用タイヤを国内チームに供給。
そして今シーズンからはスーパーGT300クラスに
自らのチームとして本格的に参戦を開始した。
そのドライバーとして白羽の矢がたったのが
今年レースデビュー20年となった、
ベテラン木下みつひろ選手だった。

ハンコックからのオファー。

以前、カー雑誌の取材でハンコックさんのタイヤの評価をしたことがあったんですよ。その記事がハンコックさんの目にとまったようで、先方がアポイントを取られてきたのが最初のキッカケでしたね。アメリカやヨーロッパは大きな市場なんで、そちらでもタイヤの良し悪しの評価はしてもらっているようなんですが、具体的にコメントをしてくれるドライバーとの接触があまりなかったみたいですね。
 僕の場合、具体的にどこが悪くて、どこをどうしたら良いかということをコメントしていくタイプなんで、それを評価してくださって、タイヤを開発していく上で僕を使いたいと言ってくださったんです。雑誌の記事がきっかけで、開発の仕事とドライバーを専属で任せていただけるところまで話が広がってきたんですから、どこにチャンスがあるか分からないものですね(笑)。そんな経緯で一昨年、スポットで使い始め、昨年はエンドレスとのコラボレーションでハンコックエンドレスポルシェを走らせました。基本的にハンコックのタイヤを使用して一年間レースをしたわけですが、正直なところ、最初はなかなか満足の行くタイヤではありませんでしたね。

驚くほどの素早い対応。

ところが、ハンコックのスタッフのレスポンスは凄くクイックで、一言いうと次にはすぐに改良をしてくる。金型なんかはかなりコストがかかると思うんですけど、コメントをするとそれに合わせてまた新しく作ったりと、その意気込みがすごいんですよ。最初に比べると、どんどん進化して良くなっているんです。それには本当に驚きを持っていますね。
 今シーズン、ハンコックのクルマでGTを走るようになったのも「一緒にやろう」という強いお誘いをいただいたことはもちろん、何よりそのスタッフの意気込みに僕自身も駆り立てられ、それで移籍を決断したというのが正直なところです。
 今回、エントラント名がハンコックKTRとなっていることからも分かるように、タイヤの開発も含めて車両のメンテを行っているのがKTRの武田敏明さん(本誌2002年No.308掲載)なんです。彼も良く韓国まで足を運んでいるんですが「電化製品にしても何にしても欧米では国内で想像する以上に様々な分野で韓国製品のブランド力は高まっている。日本の技術が一番だと思っているのは国内だけだね。日本もがんばらないと」なんていうくらいに、韓国製品は凄いパワーで進化していますね。

ハンコック本社のスタッフと。韓国側スタッフの素早い対応と強い意気込みに打たれたいう。

車両のメンテナンスは武田敏明氏が率いるKTRが担当。ダイヤの開発も共同で行う。
(写真は第6戦鈴鹿のスポーツ走行時)。

大きなプレッシャー。

今年のポルシェは昨年よりもタイヤサイズが大きくなっているんですが、剛性を落とさずに軽量化を図る方向でトライをしています。現在レース用のタイヤとしては7割くらいの仕上がりでしょうか。今シーズンは、まだすべてのサーキットを走っていないので、データが不足していますが、今年一年で一通りのデータがとれれば、来シーズンはもっと闘いやすくなるはずです。それでも、第5戦、菅生では3位で表彰台に立つことができましたから、確実に進歩していることが証明できたと思いますね。もちろん目指すのは表彰台の真中ですけど。
 やはり勝つ事がすべての証明だと思います。どんなに口で「いいよ、すごいよ」といったところで、なんの説得力もありません。勝って結果を出して初めてその優位性に納得してくれるわけですから。それはタイヤにしてもチームにしても、もちろんドライバーとしての自分自身も同じことです。
 時々アメリカのメジャーリーグ中継を見るんですが、背景にハンコックの球場看板が見えるんですよ。そんなのを見ても、世界規模で事業展開しているタイヤの開発という大きなプロジェクトの中で重要な位置にいることを痛感します。それはかなり大きなプレッシャーですが、そのプレッシャーの中で、自分をかきたてていくということが自分自身の向上につながるし、やりがいにもなっています。(以下次号)

#33ハンコックNSCポルシェのデビューとなった第2戦、岡山。坂本祐也選手をパートナーに10位のリザルトとなった。

第5戦の菅生では3位入賞、早くも初の表彰台を決めた。

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