肩の力を抜いて楽しむ。それが趣味を長く続けていくコツ。 その1

VOL.12_2

長尾 循 

1962年生 東京都出身
クルマ関係の雑誌編集の仕事を目指して、グラフィックデザインを学び、雑誌制作会社に入社。その後、出版会社を希望してネコ・パブリッシングに入社。エディトリアルデザイナーとしてクルマ雑誌を中心にデザイン・レイアウトを手掛ける。'97年、モデル・カーズの隔月刊に伴い、2代目編集長に抜擢され、以来10年を迎える。仕事を楽しみながら「長く楽しむクルマ趣味」を実践している。
http://www.modelcars.jp/

クルマ好きというベースから派生するミニカー趣味や模型趣味。
そうしたミニチュアを扱いながら、単なる模型・ミニカー専門誌とはスタンスを異にする
“クルマ好き”専門誌として誕生したモデル・カーズ誌(ネコ・パブリッシング発行)は
創刊から今年で21年目を踏み出している。
当初年1回の発行でスタートしたモデル・カーズも、季刊、隔月刊と発行間隔が短くなり、
'00年からは月刊誌として発行されている。
また、WEBとのコラボレーションも積極的に展開。
今回はネコ・パブリッシング本社に編集長の長尾氏を訪ねた。

ブームは来たけれど。

僕が子供の頃住んでいたのは東京とはいえ世田谷区のはずれで、当時まだクルマを持っている家が少なかったんですよ。だから、クルマへの憧れも強かったし、男の子はみんなクルマ好きでしたよね。駅に行くまでの道で“あそこの地主さんの家はコンテッサ、お医者さんのとこはワーゲン、八百屋さんはトヨエース”なんていうふうに、どの家に何のクルマがあるのか全部言えるくらいでした。それぐらいクルマのある家は少なかったんです。
 小学校高学年の頃から、時々カーグラフィックを見るようになりました。もちろん、毎月買うことはできないんで、出かけた時に親に買ってもらうっていう程度でしたけれど、それでもいっぱしに“ジャガーEタイプは手が出そうも無いけど、ヒーレースプライトならなんとか手が届くか”なんて考えてる子供でした。だから、中学校の頃に来たスーパーカーブームの時には、昨日までスバルとワーゲンの区別もできなかった子たちまで“ベルリネッタ・ボクサー”だの“ディノ”だとか、したり顔で話してるのを聞くと「君たち、急に何言ってんの?」っていう感じで許せませんでしたね。今でいえばクルマオタクだったかもしれません(笑)。そんな風にスーパーカーブームは好きになれなかったけれど、もちろんマンガだけは全部読みました(笑)。

'85年に最初のクルマとして手に入れて以来、22年になるケイターハム・スーパーセブン。奥さんとの結婚を一年半先延ばして購入したこのセブンは子供さんが生まれてしばらくするまで、長尾家で唯一のクルマだった。「夜中に子供が熱を出して救急病院へセブンで駆け付けたら『あんた、何時だと思ってるの!何、このクルマは!』って看護婦さんに怒られて『これしか無いんです・・・』(笑)。」その後、家族のために(?)ミニ1000、ローバー114、と乗り継いで現在フォーカスのワゴンに落ち着くも、セブンは手放せない。

スーパーセブン。

うちは両親とも運転免許がなくて、家にはクルマがありませんでしたから、学生の時にバイトして免許は取ったものの、すぐに乗れるクルマがなかったんです。最初に買うなら、オープンツーシーターと思っていたので、中途半端なクルマは買わないで、まず頭金を貯めるために普段の足は250ccのバイク。当時、面白いバイクが沢山出ていた時代で、バイクにも心は動いたんですが、そっちに行くと絶対ハマるのが分かっていたので、クルマを買うためにバイクは面白くないけれど安くてランニングコストが低い実用に徹した車輌を選びました。
 就職してからもずっとお金を貯めて、なんとか100万円近くになり、そろそろと思っていた時に会社の先輩から「セブンの出物があるから見ないか」って誘われたんです。想定していたより高いクラスだったのでセブンは考えていなかったんですが「見るだけならいいだろ」とか言われて見にいったら「ちょっと、乗ってみる?」って(笑)。で、「どうだった?」「ええ。いいですねぇ(笑)」。「維持できなくなったら手放しても値落ちが少ないし、大丈夫だ」なんて囁かれて、当時、最長のローンを組み、結婚の予定を一年半延ばしてまで手に入れたのが、このセブンなんですよ。

長尾氏のセブンは'81年式で、OHVのフォード225E、通称ケント・ユニットにウェーバーの40DCOEが2基ついた1600GTスプリント。

'95年にモデル・カーズ26号の特集“スタッフの私的クルマ生活”の時に自ら制作した愛車のプラモデル。タミヤの1/24ロータス・セブンをベースに改造したケイターハムと同じくタミヤベースのミニ。「最近は忙しくて、自分で作っている時間がないんです。本では皆さんに勧めてるんですけどね(笑)。それでも小さなコラムを設けて、年に一台は作るようにしてます」。

長く楽しむ。

手に入れてからもう22年になりますが、飽きずに乗ってます。僕はズボラなんですが、そういう方が趣味が長続きするのかな、と思ってます。真剣にやって長続きしている人に怒られるかもしれませんけど(笑)、当時僕と同じ頃にセブンに乗りはじめた人が何人かいたんですが、5年、10年したらみんな他の車に行ってしまったんですよ。毎日アルミのボディを磨いてピカピカにしていたり、ガンガンのカスタムをして凄いクルマに仕上げたりして、かなり入れ込んでた人たちだったんですけどね。でも、入れ込んで突っ走りすぎると息切れがして『イヤー、セブンはもういいかな』とか『セブンは楽しかったけど、疲れるよね』とかいって降りてしまうんです。
 考えてみると、初めは右も左もわからないけど面白そうだからやってみよう、ということで始めるわけですよね。そうして少しずついろんなことを発見し、覚えながら楽しんでいくんです。だから、一気に突っ走って頂点まで行ってしまうと、そこで終わってしまって、長く続けられない。自分だったら、ポキンと折れてしまいますね(笑)。
 それは、今の雑誌づくりの中でも思っていることで、肩の力を抜いて、趣味なんだから突っ走らないで長く楽しみましょうと言いたいんですよ。専門誌ですが本当に一部の頂点を極めた人たちのためだけでは同人誌になってしまうし、かといって初心者だけでは専門誌の意味がない。そこで、ある程度のレベルを持った専門誌としていいバランスで編集し、長く楽しめることを目指しています。(以下次号)

'97年、隔月刊化第1号となった33号。モデル・カーズ生みの親だった平野克己氏(本誌No.347参照)がこの号で勇退。その後を長尾氏が継いで34号から編集長となる。

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