あのクルマに乗ってみたい。その憧れがステップアップの原動力。 その2
VOL.12_1
木下 隆之
1960年生 東京都出身
学生時代からダートトライアル、ジムカーナ等のモータースポーツに参加し数々の優勝を飾る。特にジムカーナでは東日本学生チャンピオンに輝いた。1984年富士フレッシュマン(P1300・KP61スターレット)のデビューレースを6位入賞で飾り、2度めのレースでポール・トゥ・フィニッシュ。同時にコースレコードを叩きだした。レース活動の他に、多数の自動車雑誌および一般男性誌に執筆。連載レギュラーページを多数持つ。日本カーオブザイヤー選考委員および日本モータージャーナリスト協会に所属。また、wowow等でテレビ解説など多数に出演。株式会社木下隆之事務所代表取締役。
レーシングドライバーとしてスーパーGT、スーパー耐久で常にトップ争いを展開する傍ら、
ライターとして多くの雑誌に連載をもち、テレビやラジオといった媒体でも活躍する木下隆之氏。
本業はキッチリとレーシングドライバーに置きながらのライター活動は、“モータージャーナリスト”という肩書きではなく自称“自動車伝道師”。
また、チャレンジングな事で有名なニュルブルクリンク24時間耐久レースには今年で16年目の出場を予定。
今回はライターとして、またドライバーとしてニュルにかける思いなどをうかがった。
クルマ好きのスタンスで。
本業はレーシングドライバーですが、ライターと半々でやってます。肩書きを見てよく「“自動車伝道師”って何ですか?」ときかれます(笑)。普通はモータージャーナリストになるんでしょうけど、僕の場合はジャーナリストとして大上段に語るより、常に“一人のクルマ好きでありたい”と思っていて、そのスタンスから“自動車伝道師”と自称しているんです。ジャーナリストというとクルマそのものだけでなく、社会的に見てどうだとか、批判的な視点にならざるを得ないことも多いですよね。僕はそういうスタンスじゃなくて、クルマ好きとして「このクルマ楽しいよ」とか、そういう方向で常にお伝えしていきたいと思ってるんです。だから時々『ジャーナリストの原稿なのに、いつも褒めてるよね』っていわれますが(笑)、僕の原稿はいつも世間的にどうこうというよりも、“僕はこう思った”っていう自分が中心にあって、僕がこう感じた、ここはいやだったというのを書くことにしているんですよ。
クルマには何かしら良い所があるはずなんで、良い所が伝わってくれば、良い所をお伝えしていくんです。それは自分がクルマ好きなので、仲間と喫茶店で話したりお酒を飲む時に“今度のクルマよかったよ”って熱く語ってる感じです。その“こんな楽しいよ”っていうのを友達だけじゃなくて多くの人に喋りたくてしょうがないという延長で、ライターをやっているんです。だから僕はジャーナリストではなくて、自動車伝道師と呼んでいただきたいんです(笑)。
原点は“恐いこと”。
魅力を感じるレースはやっぱりニュルですね。世界一過激で危ないコース。GTやフォーミュラだと、ともかく前のクルマを抜いて前に出る走りが重要です。スーパー耐久はいかにクルマにストレスかけずに、きれいに走るかが要求される。ところが、ニュルはいかに“命知らずか”っていうのが重視されるんです(笑)。僕の中ではこの3つがないとどうも成り立たないんですね。
国内チャンピオンだと「あいつ上手いね」っていわれるけれど、ニュルで上位を走ると「クレイジー!」っていわれるんですよ(笑)。そういう見方が面白いんですね。
その昔、レーシングドライバーは命知らずだったし、僕も最初レースをはじめた頃には、あいつよりアクセル踏んでやるぞっていう気持ちだったのが、プロになると、きれいに運転したり、計算して走るようになって、恐いと思うことがなくなるんですよ。でも原点は“恐いこと”なんだなっていうのがあって、それをニュルが満たしてくれる。恐怖に打ち勝って行けば行く程速く走れるというコースなんで、危険な感覚を満たしてくれるんですよ(笑)。オリンピックのボクシングではなく、裏路地でストリートファイトしている感じ。日本では、安全性の面とかでああいうコースはできないですね。ある意味、峠みたいなコースですから、安全はほとんど考えられていないですね。
国内ではプロとしていい仕事したな、という達成感はありますが、ドキドキしたり恐いとかはないんです。それだけだともの足りなくて、上手く運転することと、一人の走り好きとして誰よりも過激に恐いもの知らずでいくこと。それがないと、どうもストレスがたまってしまうんですよ(笑)。だから、その刺激を求めて、また参戦したくなるんです。
期待するのは“尖ったクルマ”。
これからもクルマは個性的であって欲しいですね。メーカーも商売だから売れるクルマを出すっていうのはしょうがないことだし、コストの関係でメーカー同志が同じ部品を使って、よく見たら違うのはボディだけっていうようになってきていますが、どれに乗っても同じというのでは寂しいですよね。だから、尖ったクルマ、それは開発ドライバーの視点でいえば、性能や走りのフィーリングだし、一方のクルマ好きの視点からいえば、形でも色でもなんでもいいんです。個性豊かであれば、ミニバンでも軽でもいいし、ガソリンエンジンでも燃料電池でもいい。基本的には乗ってみたい、と思えるクルマですよね。何の変哲もないクルマだったら乗ってみたいと思わないですからね。
やはり“憧れ”がクルマ好きを引っ張って行く原動力だと思いますから、“憧れ”を刺激する個性の豊かなクルマをどんどん作ってほしいですね。