ドライバーの感性に訴える運動性能。その追求がクルマを面白くする。

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日下部保雄 

1950年生 東京都出身
 慶応高校在学時よりモー夕ースポーツ活動を開始。79年、マレーシアラリーで海外ラリー日本人初の優勝者となる。84年全日本ラリーAクラス、86年N1東日本、東北チャンピオンを始め、グループAインターテック優勝などレース/ラリーを通じ輝かしい戦跡を残している。
 ジャーナリスト方面では自動車専門誌、雑誌で活躍中。ドライビングインストラクターとして、安全で余裕のあるスポーツドライビング人口を育成すべく尽力。
AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)副会長。
SIA(セーフティドライビング・インストラクターズ・アカデミー)理事。
日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。有限会社プロスペック代表。
http://www.prospec.gr.jp/

クルマのインプレッションを書くときは「工業製品としての完成度や趣味性、価格などを考慮にいれますが、一番重要なのはそのカテゴリーとして何が求められるのか、ということですね」。そうした視点から見ても、昨今の車は「完成度が高い」とのこと。「極論すれば『自分が好きだと思うクルマがその人に取っていいクルマ』なんです」。日下部氏ご白身が印象に残ったクルマとして「BMW旧5シリーズのE39は良くできたクルマでしたね」。

70年代の日本のラリーシーンで活躍し、ダイハツのワークスドライバーとして
`79年にはマレーシアで開催されたラリーに参加、 海外で開催されたラリーで日本人初の優勝者となった日下部保雄氏。
80年代からサーキットでレースに参戦 「一秒を削る競技から0.1秒を削る競技」へと転向し、
海外レースも含めてレーシングドライバーとして多くの実績を残している。
そして、モータージャーナリストとしての活躍は皆さんにも馴染み深いに違いない。
今回は日本自動車ジャーナリスト協会副会長という斯界の重鎮でもある 日下部保雄氏のオフィスを訪ねた。

モータースポーツほど刺激的なスポーツはない。

実家がタクシー会社に土地を貸していて、その一角に住んでいた ので子供の頃からクルマに乗せてもらってましたから、そんな事もク ルマ好きに影響してるかもしれません。でも一番惹かれたクル マそのものよりもモータースポーツでした。日本グランプリやホンダの F1参戦には胸が踊りましたね。これは今でも変わらず、その緊張感やクルマという機械をコントロールして競う楽しさは他になく、モータースポーツほど刺激的で魅力的なスポーツはないと思っています。
 我々の頃は16才で軽自動車の免許が取れたので、高校に入ると迷わず自動車部に入部。スバル360やキャロルでラリーに参加するようになりました。
 大学時代は自動車部ではなく別のクラブでラリーをやっていました。みんないろんなクルマに乗っているので、合宿ではそれを交代に乗って昼はジムカーナ、夜は林道を走るんです。どのクルマに乗っても速い人は速いんで、お互いに話あったり横に乗せてもらったりしました。 自分のドライビングが大さくスキルアップしたのはこの頃だと思います。
 大学卒業後に会社勤めをしたんですが、ラリーをやりたくて辞めてしまいました(笑)。タイヤテストの声がかかって開発に携わるようになりましたが、それだけでは生活できない。ちょうどオートテクニック誌から「原稿を書いてみないか」といわれて書き始めたのかジャーナリストへの第一歩で、以来これを本業としてレース活動をする形で現在に至っています。

ドライビングスクール開催。

70年代はラリー中心のレース活動でした。僕らが目指していたのはヨーロッパタイプのスピードラリーで、次々と現れる様々な状況に対処しながら長距離を走るというチャレンジングでダイナミックなところが魅力でした。80年代後半には時代とともに規制か厳しくなって、ラリーのスケールか小さくなってしまい、それも一因でラリーからサーキットへ転向しました。それだけに、昨年の北海道でのWRC開催実現は感激しましたし、ここを走りたいという気持ちも出て来ましたね(笑)。
 そうしたレース経験を社会に還元したい、というと大袈裟ですが、そんな気持ちから始めたのが一般ドライバーの方を対象にしたドライビングスクールです。クルマを正しくコントロールすることが安全につながり、そのうえで運転する楽しさを知ってもらいたいということです。
初めて受講されるほとんどの皆さんが出来ていないのは、正しいドライビングポジションです。お尻をきっちりシートに納めてブレーキとハンドルに充分手が届くポジション。これだけでもコントロールのしやすさが違うし疲れも違います。細かく言えば、朝と夜で微妙に身長が違うので、シートポジションを再調整した方がいいんです。私も乗るたびにグッグッとブレーキを2~3回踏み込んでポジション調整をしています。
まず基本をきっちり押さえることが大切なんです。ただ、日本は場所代が高いのでスクール料金も割高になってしまうのが残念。この辺を改善できるといいんですが。

'00年 鈴鹿1000キロレース クラス2位

'97 モンテカルロラリー、かってのナビ、森川修氏とミニ35周年を記念して参戦。

クルマが面白くなる。

最近のクルマについて言えば、これからまた面白くなりつつあると思います。クルマは常に社会的な要請を背景に政治や法律との絡みがあり、エンジンの環境性能や安全性能など様々な規制に対応していかなければならないのが実情です。でも一つだけ、規制の対象にできないのがドライバーの感性に訴える運動性能に関してです。今、クルマづくりの上で多くのメーカーがアプローチをしているのがこの部分です。ヨーロッパのクルマはある程度クリアして更に研鑽している段階ですが、国産車はまだ手探りで、形が固まりつつあり磨きこんでいくところでしょうか。それでもこうした流れから、それぞれのメーカーが個性を打ち出した面白いクルマが出てくると思います。
 日本のクルマも50年を経て、歴史を語れるくらいの積み重ねが出来てきました。これから本当のクルマ文化が深まっていくのではないでしようか。ですから、もっともっと多くの人にクルマを好きになってもらいたい。そのお手伝いをしていくのが、我々モータジャーナリストの役割だと思っています。

'03年 ニュルブルクリング24時間耐久レース。三好正巳氏、桂伸一氏ともに参戦。

ドライバーとして多くの実績を上げてきた日下部氏。ラリーでは大庭誠介氏とRACラリーにも参戦、レースでは'89年、'90年にはサザンオールスターズのパーカッションの野沢秀行氏の「ケガニレーシングチーム」ドライバーとして2年連続シリーズ2位穫得、ドイツのニュルブルクリンクの耐久レースにも参戦するなど、国内外で多くの活躍をしてきた。残念ながり今シーズンは仕事が忙しく、レースの予定はないが「ニュルはまた走りたいし、ラリー北海道も走ってみたいですね」。

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