人を魅了し続ける夢と憧れの存在。それがスーパーカー。

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池沢早人師 

1950年生 千葉県出身
1975~79年、少年ジャンプに『サーキットの狼』を連載、スーパーカーブームを巻き起こした。その他作品多数。また、クルマ関係の執筆も多く、雑誌、専門誌、新聞の他『サーキットの送り狼』等の書籍も出版されている。ドライバー暦としては、1977年富士フレッシュマンレースにTSサニーでデビュー1、2戦と優勝、その後多くのレースで優勝、入賞多数。92年からはポルシェカレラカップに参戦、初代チャンピオン。94年から全日本GT選手権に参戦。

フェアレディZで始まった車歴はこれまでに70台近い。その中でもフェラーリ、ポルシェ、ベンツはお気に入りでそれぞれ10数台乗り継いできた。「自分で所有して乗って、自分で確かめたいんですよ。たとえばいくらフェラーリが好きでも、それしか乗っていないのにその他のクルマを否定するというようなことはしたくありませんからね」。

ロータス・ヨーロッパ、ポルシェ・ターボ、ランボルギーニ・ミウラ、ディノ、そしてカウンタック。
現在、30代後半から40代の方には特別な思いを感じる車両ではないだろうか。
70年代後半、少年達を熱狂させ、大きな盛り上がりを見せたスーパーカーブームを代表するクルマ達だ。
このブームのキッカケを作ったのはいうまでもなく、当時少年ジャンプに連載された「サーキットの狼」であり、その作者である池沢さとし(現在ペンネームを早人師に改名)氏であろう。
今、第三次スーパーカーブームと言われ始めている。
今回は池沢早人師氏にお話をうかがった。

高校3年で漫画家デビュー。

物心ついた頃から漫画家になりたくて小・中・高とずっと漫画を描いていました。中学校の頃には漫画ばかり描いているんでさすがに親も心配して、漫画を描くことを反対されたことがあります。それでも押し入れに電燈を持ち込み、親の目を盗んで描き続けてましたね(笑)。高校の頃も漫画一筋で、クルマと女の子の話題しかない友人たちを冷ややかに見ながら作品を描くことに没頭してました。漫画家になったらクルマと女の子のネタが多いんですけどね(笑)。デビューするまでに50作品くらい描きましたか。
 高校3年の時に、新人漫画家の発掘に力を入れていた少年ジャンプで賞を取り、作品が掲載されたのが漫画家デビュー。卒業後、漫画家のアシスタントに入りましたが、その年の暮れには連載が決まって「あらし三匹」という漫画をスタートしたんです。

子供たちの輝く眼差しに。

次に出会ったのがロータス・ヨーロッパ。そのとき入ったクルマのクラブを通じてフェラーリやポルシェなどの外車に乗っている人と知り合い、みんなで毎週のように伊豆や箱根にツーリングに行くようになって走ることの楽しさを知りました。レースにも興味が出てきてクルマに没頭していくんですよ。
 クルマ漫画の構想はその頃生まれました。クルマを走らせているとみんなの注目を集めるんですよ。特に子供たちは本当に目を輝かせているんですね。自分達を魅了するクルマはやはり他の人を魅了する。これは漫画になると思いました。しかも毎週走りに行く事がいろんなクルマの取材みたいなものでしたからね(笑)。
 編集者に「クルマの漫画を描きたい」と交渉しましたが、OKが出るまで時間がかかりました。僕自身、もう好きなものを描きたくて、それがだめだったら漫画家を辞めてもいいという位の決意で臨み、それで始まったのが「サーキットの狼」だったんです。当時、毎週読者の人気投票があり不人気だと連載を打ち切られるんです。幸い立ち上がりから人気が出て順調だったんですが、公道グランプリが始まった頃に人気とは別の理由で一度だけ連載打ちきりが決まったことがありました。週末に「あと2~3回で終了です」といわれて。ところが月曜日に人気投票の速報で1位になったものですから、あわてて電話をかけてきて「連載続けてください!」(笑)。以後3年間人気トップを続けることができました。あの時打ち切られていたらスーパーカーブームはなかったかもしれませんね(笑)。

ツーリングがそのまま漫画の取材になっていたという頃(写真下)とブームのまっただ中で行なわれたスーパーカーレース(写真上)。どちらも漫画の1シーンのようだ。ちなみにスーパーカーレースで2番手の930ターボが池沢氏。「このあと第1ヘアピンでボーラをかわしてぶっちぎりでした(笑)」。

今の子供たちにクルマの魅力を伝えたい。

僕はスーパーカーとは性能やスタイルだけではなく「人を魅了し、人が憧れる魅力を持った存在」だと思っています。今、第三次スーパーカーブームになりつつあって、また魅力に溢れた夢や憧れの存在が生まれています。500馬力オーバーなんてわくわくしますよ。さすがに500馬力レベルになると、そのままでは普通のドライバーの手にあまりますが、電子制御など進歩した技術の力を借りることによって、運転しやすく工夫されています。今のスーパーカーは「サーキットの狼」の時代の乗り手を選ぶじゃじゃ馬とは違って、普通のドライバーでも乗りやすいという間口の広さと安全性を備えた上で、スーパーカーとしての魅力に溢れていると思いますね。
 最近、若い人の中でクルマに興味を持つ人が減っているようですが、もう一度クルマのすばらしさを伝えていきたいと思っています。それには、やはり子供の時からクルマに憧れてくれるようなことが必要でしょう。「サーキットの狼」の当時、スーパーカーブームの中心だった層が現在40才前後で、その子供たちが小・中学生くらいだと思います。ですから、親子揃ってクルマに夢中になれる、そんなアイディアを考えていけたらいいですね。

レーシングドライバーとしても活躍する池沢氏。26才の時に筑波でレースデビュー、翌'77年から富士フレッシュマンレースに本格的に参戦開始し開幕1、2戦優勝。「TSサニーは当時乗っていたポルシェよりアンダーパワーで、足回りはレース用にしっかり固められていたので、すごく乗りやすかったですよ」。この後、マイナーツーリングやFJ、RS、N1を経て'94年から3年間ランボルギーニでのGT参戦。この間、2年連続筑波シリーズチャンピオンなど輝かしい戦績を残している。

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