「世界の舞台で戦いたい。」 その1

VOL.32_3

笹原 右京 

1996年4月24日 群馬県出身
5歳の頃からカートを始め、ハルナシリーズで腕を磨き、06~07年に激戦のM4で連覇を果たす。07年からロータックスMAXクラスに参戦を開始、09年には国内選抜ドライバーとしてエジプトで開催されたグランドファイナル大会で日本人初優勝を果たす。10年からロータックス・ユーロチャレンジに挑戦、2年目の今年は2戦を終えて2勝。チャンピオンを目指す。
http://gogoukyo.com/index.html

09年末、レーシングカート界のオリンピックと称される
ロータックスMAXグランドファイナル・エジプト大会で
笹原右京は日本人初優勝という快挙を成し遂げた。
6歳からレーシングカートを始めた彼が世界に目を向け
幼少時からどのような努力を積み上げてきたのか?
世界の舞台で輝く今日までの軌跡を追いかけてみる――

雨中のスリック走行。

父が以前、ダートトライアルをやっていて、僕はオムツを付けている時から見に行っていました。その影響もあって5歳の秋頃からカートを始めたんです。カートに初めて乗った時はただおもしろいと単純に思っていましたね。最初に乗った場所は群馬県のハルナモータースポーツランドで、カートはコマー60というカテゴリーでした。
レースデビューは7歳。04年から東日本ジュニアのフレッシュマンに出始めて、途中から激戦のエキスパートクラスに上がって数戦レースをして、05年はエキスパートクラスをメインに参戦しました。当時こだわっていたのが、さまざまなカートに乗るようにすること。パッと違うカートに乗ってパッと速く走れる技術を身に付けた方がいいのかなと思い、毎年のように違うカートに乗るようにしました。一番最初がトニーカート、その次がテクノ、マラネロ、コルゼ、05年はまたトニーカートに戻りました。その当時の経験は今でも生きていますね。
また当時の練習法で今役立っているものがもうひとつあります。カートを始めた頃にまだレインタイヤを持っておらず、他の子たちがレインタイヤで練習している中で自分はドライのスリックタイヤでずっと練習をしていました。もちろんかなり滑るんですけど、そこでマシンのコントロール能力を勉強できました。どんな滑る路面でもすぐにそれなりのタイムを出せるようになり、今では大きな武器ですね。その練習は今でもやっています。

右京という名前は元F1ドライバーの片山右京氏からもらったもの。生まれる前からレース人生が決まっていたと言う。

忘れられない08年。

06年はM4というレースに参戦しました。当時、一番レベルが高いレースとして有名で、とにかくバトルが激しいんです。自分もそこで力を試してみたいなという思いもありました。カートをやり始めた頃は乗るのが楽しい気持ちでいっぱいでしたが、この頃には速い人、強い人と勝負がしたいという気持ちが強くなってきていました。シーズン最初に前哨戦レースが御殿場であり、そこで優勝することができて最初から手ごたえはあり、1年目にチャンピオンを獲ることができました。
 翌年もM4に出ましたが、前年に10戦中5勝を挙げることができたので、その年は全勝を目標にしました。自分的にはやっぱり勝って満足したいタイプなので。勝てなかったレースは全部悔しいんです。2位も3位も一緒、勝てなければ全部負けだと思っています。
 これまでのカートレースの中で一番悔しかったのが、08年のJAFジュニア選手権のFPジュニアクラスの最終戦鈴鹿戦ですね。最終戦までチャンピオンの権利を残し、練習では速さもあり、当日はいけるかなって思ったんですけど、思うような展開になりませんでした。前日の夜に雨が降ってタイムトライアル時の路面に雨が残ってしまったんです。僕はA組の3~4番手で、悪くはなかった。でも、B組が始まる頃には路面が乾いてグリップし始めて、僕のグリッドが後方になってしまったんです。予選も天気は曇りで雨が降りそうな気配がありましたが、うまく順位を上げて決勝でトップグループに入り優勝できればいいかなって思い、僕はスリックタイヤを履きドライ寄りのマシンセットにしました。そしたら、スタート直後に雨が降り出した。完全にドライレースを予想していたマシンセットだったので、ぜんぜんグリップせずに何とかコース上にいるだけで精一杯でした。決勝は最初から雨。そういうコンディションは好きだったので、16番手グリッドからでも優勝は狙えると思ってスタートしましたが、直後にプッシングを受けてスピンして最後尾まで落ちてしまった…。ファステストラップを連発して追い上げはしたものの、最後は10位フィニッシュでチャンピオンは獲れませんでした。優勝も逃したし、1年目でチャンピオンを獲るっていう目標を達成できなかったので本当に悔しかったですね。
 海外に目が向き始めたのは07年からです。その年、前年のM4チャンピオンのご褒美として、カート研修でイタリアに行かせてもらったんです。本場のカートレースを見て、今すぐここで戦いたいな、世界の速い人たちとレースをしたいなっていう気持ちが高まりました。07年からロータックスMAXというエンジンを使用したクラスに出始めたのは、そのエンジンが世界中で使用されていて、世界のレースにつながるエンジンだから。世界への挑戦は、イタリアから帰国した僕にとって最優先すべき目標となっていました。

右京選手はレーシングカートに乗る前からドライビングを磨いていた。ドリフトしながら家の周囲を走り回っていたとか。

レーシングカート活動を始めてから、レース経験のある父がメカニックを担当。「こだわりを持って育ててきましたが、うちは褒めて伸ばすタイプでした」と語る。

幼少期から週末はレースか練習でサーキットを訪れることが多かった。練習では誰よりもたくさん乗り、「疲れた」という弱音も吐いたことがない。

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