F1までの道のり。

VOL.228

エリック・ブーリエ ÉRIC Boullier

1973年11月9日生まれ、フランスのラヴァル出身。大学で航空宇宙工学を学んだ後、フランスの名門ダムスに入りGP2やA1、フォーミュラルノーV6などのエンジニアを担当し、2003年から同チームの監督となる。2010年よりルノーF1チーム(現ロータスF1チーム)の代表を務め、2014年からはマクラーレン・レーシングのレーシングディレクターに就任した。

F1グランプリを戦う現マクラーレン・ホンダのチームで
レーシングディレクターに就くエリック・ブーリエ
そのキャリアは非常にユニークで、彼自身の技術だけでなく
時には誰も想像しない「発想」を駆使することによって
チームと自分自身をステップアップさせてきた
幼少期から現在に至る「エリック物語」を自身が振り返る

私がモータースポーツと出会ったのは9歳のとき。じつはリモコン操作で遊ぶレースカーのゲームでその存在を知り、ヨーロッパではメジャーなレーシングカートに乗った経験もあります。ただ、自分はどちらかと言うとレースのテクノロジーに強く興味を持つようになっていきました。生まれも育ちもル・マンで、ル・マン24時間レースをやっているサルトサーキットも近く、自宅の隣の家の人がレーシングカーを作っていたこともあり、レースというものが非常に身近にある環境でした。暇さえあればサーキットに行って、小さなチームを訪ねては車やホイールを磨いたりして、それこそエンケイのホイールも磨いた記憶もあります。  大学で専攻したのは航空宇宙工学。当時、モータースポーツの勉強をする学科はなかったので、飛行機や宇宙工学といったモータースポーツに深い関係があることを学びたかったのです。宇宙に興味があったというよりは、車のレースの空気力学等を学びたかった気持ちが強いですね。

チームを救った映画制作

親戚も家族もレースに関係している人はいなかったので、自分は底辺からのスタートになりました。思い返せば、ル・マン24時間レースのレースカーのホイールを掃除したのが、本当に最初のモータースポーツとの関わりです。
 大学在学中はタイヤ洗いを含めて、いろんなチームのヘルプをしていました。大学を卒業して学位をとってからはレースチームのエンジン関係のデータを分析する仕事を手伝っていました。いわゆるデータエンジニアですね。そんななかで見つけたのがF1のベネトンチームのエンジニア募集で、「これだ!」と思った私は応募して、契約書にサインをする直前まで漕ぎ着けました。ところが、まだ大学を卒業していないことがバレてしまい、契約はうまくいきませんでした(笑)。今でもそのことをルノーの人たちとは笑い話で振り返っています。
 大学を卒業してから所属したのがフランスの名門チームであるダムス。1年目はル・マン24時間レースを含めたスポーツカーのワールドチャンピオンシップのデータエンジニアをやり、シーズン途中からはフォーミュラ3000、現在はGP2と言われているカテゴリーのレースエンジニアを3シーズンほど兼任していました。
 ダムスは当初、スポーツカーの世界ではプライベートチームのひとつでしたが、私が入ってから3年目になるとキャデラックと組むことになり、チームはそのオフィシャルチームとなりました。ル・マンのオフィシャルチームの一員になることが夢のひとつでもあり、私にとっては非常にうれしいステップアップでした。ただ、チームに問題が発生しました。レース参戦資金が足りなかったのです。何とかしなければと、私はこのチームとル・マン24時間レースをテーマにした映画を作ることにしました。歴史あるフランス生まれのアニメを映画にした「ミシェル・ヴァイヨン」という題名です。映画に出てくる車を見つけたのも、それをペイントしたのも私ですし、実際のル・マン24時間レースにもその車で参戦して、車内にカメラを入れて走ったりもしました。
 すごく注目された上に良い映画に仕上がり、チームはその収益でレース参戦を続けることができるようになりました。そんな経緯もあり、2002年の終わりにダムスが「映画を作ってチームを救ってくれてありがとう」という感謝の気持ちから、チーム自体を自分に任せると言ってくれ、2003年から私のチーム監督キャリアがスタートしたのです。
 2003年はフォーミュラルノーV6、2005年からGP2とA1シリーズに参戦して、2005~2009年にかけてはその3つのカテゴリーで勝利を挙げて、結果を残すことができました。今振り返れば2003年はまだ10人しかいないチームで、2005年から3カテゴリーをやるようになって70人のチームに成長……チームも参戦カテゴリーも確実にステップアップしていけたことは本当にうれしいことでした。そして、2010年からはF1のロータス・ルノーに移ってチーム監督を務め、2014年にマクラーレンに移って来て今に至るわけです。

600人の大所帯

F1という世界に入って驚いたのは、規模が直下のカテゴリーを戦うチームとまったく違うことです。GP2ならワールドシリーズであってもスタッフは15人ほど、A1やフォーミュラルノーV6のスタッフは40人、それらを合計してダムスでは70人ほどの所帯でしたが、F1のチームでは600人ほどに膨れ上がります。そのレーシングディレクターとなると、車だけではなく、他にバイヤーや全部のプロセスに関わる人たちとの連携もあり、仕事量も当然ながら多くなります。F1以下のカテゴリーは規定のレーシングマシンを買えばレースができましたが、F1はそうではなく、材料を選んで買ってきてゼロから自分たちでマシンやチームで作るのです。だから600人もの人が関わる大規模なものになってくるのです。
 F1はモータースポーツの頂点ですし、究極のテクノロジーを扱っています。レースやマシンだけではなく、携わる人もドライバーも、すべてが「超一流」。もちろんツーリングカーの世界もすごいけれど、究極という意味ではフォーミュラが、F1が最高峰だと思います。そんな世界を戦うチームのトップの立場にいられることを私は誇りに思っていますし、楽しみながら仕事に没頭できている環境にいつも感謝しています。

かつては黄金時代を築いたマクラーレンとホンダのタッグ。ホンダは2015年からの第4期F1参戦でマクラーレンにエンジン供給を続けてきたが、来年からはマクラーレンを離れてトロロッソへの供給となる。

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