時間を区切らず、諦めないで続ければ、いつかきっと夢は叶う。 その1

VOL.22_2

井原 慶子 

1973年生まれ 東京都出身
レースクィーンの時にモータースポーツに魅了され、レーシングドライバーをめざす。'99年レースデビュー。'00年英国フォーミュラ・ルノーチャンピオンシップ。'01年フランスF3参戦。'02年AF2000ゲスト参戦。'03年Formula BMW Asianシリーズ。'04年フォーミュラドリーム全戦参戦。'05/'06年イギリスF3に日本人女性初フル参戦。
http://ameblo.jp/iharakeiko/
http://www.keikoihara.com/
http://www.hobidas.com/blog/auto/ihara/

1999年、26歳でレースにデビューし、その後、モータースポーツの本場ヨーロッパへ渡り、
2005年からはイギリスF3にフル参戦を果たすなど、
女性レーシングドライバーの第一人者として活躍してきた井原慶子さん。
モデルからレースクィーン、そしてレーシングドライバーへ。
華々しい経歴に飾られた足跡と今後の活動についてお話を伺った 。

きっかけはレースクィーン。

私がレーシングドライバーになったのは、大学時代にはじめたモデルのアルバイトがきっかけです。その頃スキーのモーグル競技をやっていて、合宿や遠征の費用を捻出することが目的でした。普通のバイトだと、どうしても時間が拘束されてしまうんですが、モデルなら時間の都合がつけやすいし、お金の面もいいし、効率的に稼げるというのが一番の理由でしたね(笑)。そうしてはじめたモデルの仕事の1つがレースクィーンでした。それまでモータースポーツにまったく興味はなくて、クルマの運転免許すら持っていなかったんです(笑)。
 レースクィーンの仕事で初めてサーキットに行ったのは、富士スピードウェイのフォーミュラ・ニッポンだったと思います。その時、非日常的な音とスピード、そしてサーキット場全体を覆い尽くすような緊迫感に触れ、一気に虜になりました。というのもそれまでスキーという道具を操るスポーツに打ち込んできたため、「あのクルマを自由自在に動かしてみたい」と直感したんです。
 それから、自動車の免許を取得し、仕事で知り合ったレース関係者に「レーシングドライバーになるにはどうしたらいいですか?」と訊いて回りました。その頃、あるメーカーのインストラクターに合格し、養成していただく中でドライビングテクニックの基礎を学びました。この経験が大きかったと思います。インストラクターの合格理由は「免許取り立てで変な癖がついていなかったから」と後から聞きました。

約4年の準備期間を経て、'99年にフェラーリ・チャレンジデビュー、3位入賞。直後に、英国のジム・ラッセル・レーシングスクールに短期留学。その後フェラーリ・チャレンジ世界大会へ出場。翌'00年には渡英し「フォーミュラ・ルノーシリーズ」に参戦、以降海外のフォーミュラを舞台に女性初の数々の実績を残す。「レースクィーン出身ということで最初は『本人が運転してるの』なんていわれたこともありました」

念願のレーシングドライバーに。

レースにデビューしたのは1999年、26歳のときでした。よく「レースクィーンからレーシングドライバーに華麗に転身」といった紹介がされていますが、決意してからレースデビューまで4~5年かかっていて、その間、ドライビングテクニックを学んだり、身体づくりと体力アップのトレーニングを積んだりしていました。
 デビューレースは、国内のフェラーリチャレンジというGTカーレース。このレースを選んだのは、以前フェラーリチームのレースクィーンを務めていたこともありますが、デビューが遅かっただけにできるだけ難しいクルマに乗って、ドライバーとしてやって行けるかどうか早く見極めたいと思ったからでした。もし駄目だったら諦めようと。フェラーリはミッドシップエンジンでバランスはいいけれどハイパワーで難しいと聞いていたんで、乗りこなしてみたいと思いました。
そうして臨んだデビュー戦で3位に入賞し、その後2戦連続で優勝するなど、結果が出たことで「やって行けそう」と自信を深めました。
 レースの現場で女性というハンディは感じませんでした。でも、レースクィーン出身のドライバーということで「本当に運転しているのか」とか「エンジンは同じなのか」とか言われたり、好奇の目で見られたりもしましたね。

'01年にはフランスF3に参戦、'02年には資金的に苦しい時期を迎えたが、'03年にはアジア各地を転戦する「フォーミュラ・BMWアジア」シリーズに参戦、シーズン3位を獲得。この時にできたアジアの繋がりは、これからの夢に大切なものとなる。('03フォーミュラ・BMWアジア)

モデル時代、レースクイーンの仕事がモータースポーツとの最初の接点となった。フェラーリクイーン('97)、NTTイメージガール('98)などを経て、5千人を超える応募者の中からF1ベネトンレースレースクイーン・グランプリでミスベネトン('99)に選ばれた。

夢を求め、単身ヨーロッパへ。

その年、イタリアで開催されたフェラーリチャレンジの世界戦に出場し、そこで本場のレベルの高さを痛感しました。激しいレースに魅了されてヨーロッパへ渡ることを決断し、フォーミュラレース出場を目標にメンタルの強化や身体づくりに取り組みました。
 ドライバーはシートに座っているんで体力をあまり使わないように思われるかもしれませんが、例えばマラソンレースの心拍数はだいたい160以上です。レース中、ドライバーの心拍数も160以下になることはありません。それほどの体力と身体能力、そして自分の体重の3倍とか4倍のGに耐えうる筋力を要します。フォーミュラカーになるとタイヤのグリップ力が大きい分、ハンドルは重くクラッチも市販車ベースのGTとは比べられないほど重くなります。そのためシーズン中は、サイクリングやジョギング、筋力トレーニングを続けて腹筋は6つに割れてました。オフには食べたいものを食べて何もしないので、1つになってしまうのですが(笑)。それからあまり知られていないことなのですが、限界までトレーニングしていると免疫力が下がってしまい、風邪などひきやすくなるので、細心の注意を払っていました。
 そうして2000年、周りの人に訊いたり、スポンサーを探したりしてヨーロッパへ渡り、イギリスのフォーミュラ・ルノーシリーズへの参戦を果たしました。(以下次号)

フェラーリ・チャレンジ世界大会('99)。スタート直後にコースアウトするも、18位まで追い上げて年度最優秀賞受賞。その喜びよりも、悔しさとモータースポーツの魅力をあらためて感じ、本場ヨーロッパでのレース活動を決断するきっかけとなった。

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