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松井 孝允 敗者復活、笑顔の第2章

HUMAN TALK VOL.235 松井 孝允 敗者復活、笑顔の第2章

PROFILE

松井 孝允
MATSUI Takamitsu

1987年12月15日生まれ、広島県福山市出身。レーサーを夢見て2001年にレンタルカートを体験。2003年からはミッション付きカートで岡山国際サーキットの本コースを走る。2006年から4輪へステップアップして、同年にFJ1600岡山シリーズでチャンピオンを獲得。2007~2008年、2010年にFCJに参戦しシリーズは12位、4位、2位。2010年からの数年はレギュラーシートを得られず就職するも、2014年から再びレギュラーの座をつかみ、プロドライバーに。2018年はGT300とスーパー耐久で活躍する。
http://www.takamitsu-matsui.com/

華やかに見えるモータースポーツの世界だが
その裏側には厳しいほどの結果主義がつきまとう
夢や熱い気持ち、そして時として実力だけでは
うまく立ち回れないこともある──
松井孝允は一度、夢を諦めかけた過去がある
だが、彼を支える周囲の力によって
再びこの世界で戦うチャンスを得たひとりだ

松井 孝允
松井 孝允
FCJ参戦2年目の2008年は待望の勝利を開幕戦から奪った。富士で2勝、もてぎで1勝を挙げてシリーズ4位。切磋琢磨しあえる良きライバルも多かった。

 最初はグランツーリスモというゲームがきっかけですね。そのゲームの中にGTの車が出てきて、あるとき実車レースのGTのポスターを見て、本当にこういうレースが世の中にはあるんだと知ってサーキットへ観に行ったんです。初めてナマでレースを観たときに、レーサーになりたいなと思ったのをよく覚えています。それが12~13歳のときですね。
 住んでいた広島県の隣の岡山県には岡山国際サーキットがありました。当時はサーキットの入口にカートコースがあって、そこでレンタルカートを始めました。まだ車に乗っていない身の自分にはなかなか遠い場所で、カートコースで働くスタッフが自宅近くに住んでいて、一緒に連れて行ってもらうことも多かったです。15歳のときにいよいよレースを始め、みんなは岡山国際サーキットのカートコースへ行くけれど、自分は岡山国際サーキットの本コースへ行っていました。普通はレーシングカートというカテゴリーから始めるのですが、自分の場合はバイクのミッションを搭載した、フルカウルのサーキットカートに進んだんです。15~18歳はそのミッションカートに打ち込む日々でした。
 当時からレーサーになりたいなと思っていましたが、どうしたらなれるのかも分からず、ただ漠然と自分の中に持っていた夢でした。でも、ある出会いからその夢を掴みたいと強く思うようになりました。国内トップカテゴリーで活躍された藤田直広さんというレジェンドのような存在の方が岡山国際サーキットの競技長をされていて、本コースでレースをするうちに親しくさせてもらうようになったんです。18歳のときに「プロレーサーになる気はあるのか?」と聞かれて「はい、あります」と答えたら「じゃあ乗ってみろ」といきなりF3に乗せてくれました。4輪のサーキット走行は初、ヒール・アンド・トゥも分からないのに、そんなチャンスをいただけたんです。
 1995年からスタートしたトヨタのドライバー育成プログラム、FTRS(フォーミュラトヨタ・レーシングスクール)の存在を知ったのもその頃です。短期間のスクールに参加して、最終選考まで残った可能性のあるドライバーが選抜され、そこから本格的に走り込んで4輪デビューを目指していくのですが、2005年に参加した自分はまだ経験不足で選ばれませんでした。でも、簡単には諦めたくなかったので、2006年は岡山国際サーキットで開催されるFJ1600シリーズに参加することにしました。岡山にあるギディアップというガレージにお世話になり、元ドライバーのオーナー重光敏伸さんにゼロから4輪のドライビングテクニックを教えてもらいました。その年にチャンピオンを獲ることができたのもそうですし、同時にFTRSではリベンジも果たせ、2007年のFCJ(フォーミュラチャレンジ・ジャパン)にデビューするチャンスを勝ち取ることができたのも、本当に重光さんのおかげです。
 ただ、ステップアップしたFCJではパッとした結果を残せませんでした。1年目はシリーズ12位、2年目は優勝もできてシリーズ4位で終えられましたが、2008年をもって育成ドライバーから外れてしまい、2009年は「白紙状態」だったんです。本当に何もなく途方に暮れているときに手を差し伸べてくれたのが、地元岡山のエアサス屋「ボルドワールド」でした。スーパー耐久シリーズに出ていて、自分を拾ってくれたんです。結果的にチャンピオンを獲れたのもうれしかったことですが、何よりコンビを組ませてもらった谷川達也さんにいろいろとチューニングカーの走らせ方を学ばせてもらったのが一番の収穫でした。
 その結果を受けて、2010年に再びFCJに挑戦しました。ニッサンの育成プロジェクトの中に参加させてもらって得たシートで、「チャンピオンを獲れなかったら翌年はないよ」という条件で乗せてもらったラストチャンスでした。その数年で得た知識と経験を駆使してやれる限りのことをやりました。でも、レースはいつも思いどおりにいくわけではありません。結果はシリーズ2位。まだ4輪デビューしたてのルーキーなら上出来な結果ですが、当時の自分にとっての2位は絶望的な順位でした。
 もうレーサーへの道は終了。一生懸命にやってきましたが、足りないものがあったのは事実だと受けとめるしかありませんでした。2011年は今度こそ、本当に何もない白紙状態……2008年に引っ越して以来住んできた神奈川県の藤沢で、僕は就職を決意しました。そして、運送屋の会社員として働き出したんです。



階段を駆け上がるチャンスはあった
だが、最終的には選ばれた人しか
入ることを許されない扉が立ちはだかる
松井孝允もその目の前まで行って
入ることを許されなかったひとりだ
だが、周囲の協力や幸運などによって
違う扉を開くことに成功した──
松井の第2章はそこから始まっていた

 レースを継続できなくなり白紙になった2011年、僕は運送屋の会社員として働き出しました。2012年はスーパー耐久シリーズに(土屋)武士さんのチームで1回スポット参戦させてもらい優勝できましたが、それが何か形になるわけでもありませんでした。2012~2013年もスポット参戦続きで、こんな感じの趣味でやり続けられたらいいのかなと思い始めていたりもしました。
 ところが、2014年に転機が訪れたんです。サムライサポーターズという武士さんがやっている活動で、JAFのF4でサポーターズを集い、集まったお金で僕が走れることになったんです。同時期、武士さんがアジアン・ルマンのレースに出ることになり、そのチームにも乗れることになり、さらにTOYOTA GAZOO Racingとしてスーパー耐久シリーズの後半2戦にも出させてもらえたんです。一気に流れが変わりました。そのシーズンオフには「スーパーGTをやる」という話が出てきて、頑張って武士さんがスポンサー探しをした結果、2015年からシリーズ参戦を果たすことも叶いました。
 このままサラリーマンを続けていると会社に迷惑をかけそうなので、2014年末で会社を辞めました。レースに対して理解のある会社だったので「プロになるのなら」と温かく送り出してもらえたのは幸せでした。そういった経緯で、自分がプロの仲間入りをできたのは2015年。そこからようやく、レースの世界だけでご飯が食べられる環境を得ることができました。

松井 孝允
松井の人生を救ったとも言える土屋武士さん(右)。今季のGT300では若手の坪井翔と組み、開幕戦の3位と第3戦の2位で現在はシリーズ5位につける。

100万円の自主練

 2015~2017年はスーパーGTとスーパー耐久シリーズ、ニュルブルクリンク(24時間レース)で走るチャンスをいただけました。スーパーGTに関しては2016年にチャンピオンを獲ることができたのですが、これは僕ではなく武士さんが2015年から開発を進めてくれていたおかげでした。いつも一歩引いた立場で、タイヤもそうですし、良い状態で僕に出番を回してくれ、自分としては本当に楽に乗ることができましたし、すごく成長させてもらえた年でした。またこの2016年にはいまのスーパーGTを含め、コーナリングが速い車のドライビングを自分自身が経験していなかったこともあり、F3のNクラスにもスポット参戦させてもらいました。そこで得た経験値も大きかったと思います。
 2017年のスーパーGTは、武士さんが退いて自分がチームを引っ張らないといけない立場になりました。そこでまた壁があり、空回りしたなという1年でした。でも、最後の最後、最終戦の5位に関しては、中身が良かったというか、自分としてはやりきった感が大きいものでした。ようやくうまく噛み合ったなって。ただ、やはり結果という数字だけを見ると、自分にはまだ足りないものがあると感じていました。だからそのシーズンオフに、もう1回F3に乗る機会を自分で作りました。いわゆる自主練です。いまのスーパーGTで活躍している若手は、誰もがF3を当たり前のように乗り結果を出してきています。正直、そこは自分に足りない部分だと痛感していて、チームを引っ張っていく立場ではあるんですが、ドライバーとしてはまだ足りない部分として認めて、磨きたいな、と。
 F3とはいえ、1日だけ走るだけでも100万円ほどかかるので、さすがに1日しか無理でしたが、その短い時間のなかで得られるものは、やはりたくさんありましたね。

松井 孝允

武士さんは人生の師

 レースの世界に踏み入れたときは10代。若手と言われていた自分も今年31歳になりました。同じように次から次へと、毎年のように若手が入ってきて、自分のライバルとなっていきますが、無理に張り合っても良くはないと思っていて、速いのは速いと認めて、それを自分のものにした方がプラスになるといまは考えられるようになりました。それも武士さんから学んだことです。
 武士さんと僕は、最初はレーシングスクールの講師と生徒という関係でした。2007年途中にFCJ参戦中にスランプに陥ったとき、いろいろアドバイスをもらうなかで立て直すことができて、2008年には初勝利を挙げることができました。ただ、レースのこと、ドライビングのことも教わっているのですが、人としてどうしなければいけないか、ということまで武士さんは教えてくれました。それがレースでも役立っています。レースって特殊な世界のようですが、普段の生活とやることは変わらないんです。
 そういう意味で、自分の人生のなかで武士さんはなくてはならない存在です。正直、武士さんにいてもらわないと僕はやっていけない。この前の2位になった鈴鹿戦でも、周りからは「2位で良かったね」と祝福されましたが、僕自身は納得ができなかったレースでした。点数をつけるとしたら100点満点中の10点とか。プロの仕事はできていなかったなっていう思いがあったんです。それを武士さんは汲み取ってくれる人なんです。プロとは何か? それも武士さんから全部教わりました。武士さんがいないと、いまの僕はないかなとつくづく思います。
 いまの目標は……武士さんのチームでGT500に参戦することです。それは僕だけの力では無理なので、武士さんはもちろん、チーム全体で力を合わせて作り上げなければいけないものですが、何とか叶えたいですね。この武士さんのチームで、僕がチャレンジしたい一番の目標です。

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