書き続けるために「乗る」

VOL.237

山田 弘樹 YAMADA Kouki

自動車雑誌「Tipo」の副編集長を経て、2007年よりフリーランスに。編集部在籍時代に参戦した「VW GTi CUP」からレース活動も始め、ツーリングカーでは「LOTUS CUP Japan」やスーパー耐久、フォーミュラでは「Formula SUZUKI隼」や「スーパーFJ」に参戦。この経験を活かし、モータージャーナリストとして執筆活動中。またジャーナリスト活動と並行してスーパーGTのレースレポートや、ドライビングスクール等での講師、メーカー主催イベントでの講演等も行う。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。A.J.A.J.(日本自動車ジャーナリスト協会)会員。

東京都在住モータージャーナリストとして
現在もレース参戦やサーキット走行をしながら
雑誌やウェブで記事を発信する山田弘樹さん
業界では「乗れる書き手」として有名だが
自分は絶対に足を踏み入れないと思うほど
じつはレース嫌いだった時期もあるという──

クルマが大好きだけど、学生時代はとにかく貧乏だったので、「仕事で沢山のクルマに乗れるなんて、なんて幸せなんだ!」と大きな勘違いをして(笑)、'96年に自動車雑誌「Tipo(ティーポ)」を編集している会社に入社しました。じつは他の出版社にも受かっていたのですが、外国車にたくさん乗れると思ってティーポを選んだんですよね。まったく安易な発想でした(笑)。  そのとき編集部で、レースをしている先輩がいて。現在はモータージャーナリストとして大活躍している石井昌道さんです。編集部員なのにレースをやって、自分で試乗記事を書いている姿を見て、「すごいなぁ……」と尊敬していました。ただボク自身は、それほどレースには興味がなかった。レースというよりはクルマが好きで、チューニングしたり自由に峠を走ったりするのが良かったんです。  それと当時ティーポではレースのインサイドレポートが始まったばかりで。レースって、だいたい月末の土日にやるじゃないですか? これが締め切りと必ず重なるんです。新米の自分は、自分の仕事が終わっていようがいまいがかり出されていたので、そういう意味ではレースが大ッ嫌いになりましたね(笑)。

衝撃のデビューレース

そんな「レース嫌い」の自分が、まさかレースを始めるなんて。でも心のどこかで「走ってみたいな」とか「サーキットを走るのってカッコいいな」と思っていたんだと思います。とにかく当時は、サーキットという場所にいるだけで、なんか特別な気持ちになりましたから。
 レースをするようになったきっかけは、コックスが復活させた「フォルクスワーゲン・ゴルフGTIカップ」でした。これはポカール・レースが前身となっていて、今度はゴルフ? GTIを使って、ナンバー付きレースをやりましょう! というものでした。同じ年にヴィッツも始まっていますね。
 そしてメディア用にプレ・レースがあって、そこでマシンを用意して頂いたんです。デビューレースはなんとくじ引き予選で(笑)、たしかビリかビリ2くらいで走って3位ゴールしたんですよね。それで調子に乗ってしまって。翌年もカップカーをお借りしてレースに出たら、第1戦の筑波最終コーナー、1周目でコースアウトしてマシンは横転! 渦尻社長が冗談で「もう買うしかないね」と耳元で囁いたのを真に受けて、レースに足を踏み入れるようになりました。
 ボクがレースデビューしたのは30歳のとき。今年でもう47歳になるので、かなり昔の話ですね。日本の経済状態も悪くなり始めた頃で、レースをするのは結構大変でした。少し前なら雑誌をやっていたら良い車に乗れたり、グループAに出ちゃったなんて人もいたらしいんですが、プロなんて夢のまた夢。だから、そんな厳しい時代にレースを始めて、素晴らしいドライバーになった谷口信輝選手は同世代としての尊敬すべき存在ですね。そんな彼のチームを取材したのがきっかけでスーパーGTにも毎年行くようになりましたし、そこで、エンケイさんとも出会いました。

レースに出続ける理由

当時はGTIカップカーのローンが続いていたので辞めるわけにもいかず(笑)、結局3シーズン出場しました。1年目は右も左も分からないような状況で、2年目から優勝争いに加わったのですが、最終的に1ポイント差で負け続けて、ずっとシリーズ2位。当時はシリーズ優勝するとドイツに招待されたので、悔しかったですね。その後はフォーミュラ隼を1年やったり、40歳を過ぎて2年ほどスーパーFJにスポット参戦し続けたりと、ジェントルマンレーサーとしてレースを続けました。現在はシリーズ参戦はしていないですが、S耐やJOY耐といった耐久レースに誘っていただいたりしています。
 この世界、やっぱり速い人が偉いというか……カッコいいとボクは思っています。ボクはそんな風にはなれないですけれど、そういう人たちと共通の言語を持てるという意味でも、レースをしてきて良かったと思います。エンケイの取材をしたときもそうですが、エンジニアの方と話をするにも、レースでの経験はとても役に立ちますし。

サーキットでは「現役」であり続けてきた山田氏。今年はピレリスーパー耐久シリーズ2018の第3戦富士SUPER TEC(24時間耐久)ではST-2クラスに参戦する17号車のドライバーに加わり、クラス2位の結果を残した。

走って、書けるモータージャーナリストとして
業界では知られている山田弘樹さん
2007年からはフリーランスに転身して
レース体験記や市販車試乗記も手がけてきた
そんな彼が見るレース界の現状と
望む将来の姿を今回は聞かせてもらった

仕事でフリーランスになったのは(キミ)ライコネンがF1でチャンピオンになった2007年、36~37歳のときですね。当時、母が具合を悪くしたこともあり、編集部員よりもフリーランスの方が時間のやり繰りがしやすいだろうと決めました。
 フリーランスで憧れていたのは、クルマの試乗記を書く仕事。編集部員時代は常に発注する側で、昔からモータージャーナリストの方々に憧れていたんです。「いつか自分も書きたいな」と思っていました。
 実際、フリーになってからはジャーナリストとしての試乗記も書くことができ、エンケイさんのホイールについても、いろいろ体験させてもらって文章にしました。
 ホイールの構造を理解することって、クルマの根本を理解することと重なる部分が多くて、すごく役に立ちましたね。
 特に「剛性とは何か?」ということを勉強させて頂いたときは、これがボクのジャーナリストとしての柱になりました。
 剛性はホイールの性能、そしてドライバビリティを出すうえではとても大切で、剛性を出すためには素材や製法以上に構造やデザインが大切……。これを何度も何度も聞いて、理解することができたんです。
 「剛性」と「強度」の違いを聞かれても、ほとんどの人が知らない。それが分かったのは、自分のなかでは大きな成長でしたね。
 現在レースは誘って頂くものが中心で、今は自ら参戦はしていません。
 でもモータースポーツはライフワークだと考えているので、走るだけでなく取材も含めて、その楽しさはずっと伝えて行きたいです。ジャーナリストとして、ちゃんとしたことを書くためにも走り続けたいですね。「ちょっとは分かっているじゃん」くらいに思って頂けたら嬉しいです(笑)。

コンマ1秒差のすごさ

レース界の将来については、よく聞かれますし、よく考えるテーマです。僕自身もまだまだ勉強不足なのですが、日本最高峰のスーパーフォーミュラというカテゴリーに注目が集まるような形を作れればいいな…と常々感じています。
 ジュニアフォーミュラに乗っていたとき、「本当にこの人たちはすごい。スーパーマンみたいな人たちだ!」って身に染みましたから。
 スーパーGTのような華やかなカテゴリーにおいては、今のGT300クラスがあまりにプロフェッショナルな世界になっている部分が、昔とは大きく変わったな…と感じる部分です。もう少しアマチュアレーサーが頑張って、努力が実るような場所が欲しいですね。
 そういう意味ではスーパー耐久シリーズがそのひとつですが、もっとアマチュアレーサーが楽しんでレースを続けられる場所を整えて行けられたらいいですね。
 最近のレースは「どんどんマシンのハイテク化が進んで、以前よりドライバーの仕事が楽になったのでは?」なんて声も聞きますが、そんなことはないと思います。
 クルマが良くなればなるほどドライバーは速く走らないといけなくなるわけで(笑)、昔よりももっとキツい面もあるかも(笑)。
 マシンが運転しやすければ、他と差をつけるためにより速いマシンセッティングが必要になります。より旋回性を求めて不安定にしたマシンを乗り手がバランスさせて行く方向でしょう。僕がスーパーFJをやっていたときにも、チーフメカさんから言われましたから。「若いドライバーのセッティングはピーキーで乗れないから、あなたのはオッサンセッティングだよ」って(笑)。
 性能が良くなれば、ライバルとの差も僅かになっていきます。コンマ1秒勝つことが、いかにすごいことか? でも、そのタイム差って日常ではあまりにも一瞬で、どれだけすごい差なのかは共有できませんよね。それをどう理解してもらって、感動につなげていくか。それを担っているのが、僕らジャーナリストの仕事でもあります。
 公式なライセンスレースは、ちゃんとしたルールと安全を保障してくれるという意味で一番良い選択だと思います。でもその敷居が高いと感じている人は、本当に多いです。公式戦というだけで毛嫌いする人がいる現実の問題を解消していかないと、モータースポーツ業界が賑やかにならないよな…と思います。
 あとは若い子たちがレースをする環境の改善も必要ですね。レースをやるのにお金がかかるのは仕方ないことですが、じゃあどこから始めたらよいのか? どうやって道筋を立てて行けばいいのか? っていうのを大人たちが真剣に話さなければいけない。
 多感で何でも吸収してしまう時期の子供達が相手ですから、教えるオトナの側もしっかりしていないといけないと思います。
 モータースポーツにしても自動車にしても、業界として意識を変えなければいけない時期は、もうとっくに過ぎていると思います。でも、まだ手遅れじゃない。クルマ離れだ、サーキットに来る人が減ったと嘆くだけじゃだめですよね。ジャーナリストの世界も、実は僕が若手だったりします。それってどうなのか?
 自分たちが生き残ることは大切なのですが、若い世代が入れる余地を作ることがひとつのヒントだと僕は考えています。若い世代を育てることが、自分たちのひとつの仕事になるんだ、くらいの気持ちで一生懸命にやらないとダメかな……って気がしています。若い世代から僕たちが得られるものは、とても多いと思いますよ。

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