「私、夢追い人を続けます。」

VOL.159

三浦 愛 MIURA Ai

1989年11月24日生まれ 奈良県出身
12歳からカートを始め、02~03年は激戦の鈴鹿選手権に参戦。04年からヨーロッパのレースに挑戦し、05年はロータックスMAXユーロチャレンジにレギュラー参戦を果たす。高校卒業後は大阪産業大学工学部機械工学科に入学、09年には大学が力を入れているソーラーカーレースの「FIAソーラーカーレース鈴鹿」で優勝。10年も連覇を果たした。11年からスーパーFJクラスにステップアップを果たし、今年はさらに上のクラスへの参戦を目指す。

夢を追いかけている人は強い。
どんなに打ちのめされても、その悔しさを反発力に変えて、
どんどん前へ前へと進んで行く。
三浦愛という女性ドライバーもそんな夢追い人のひとり。
12歳からカートを始めて、
今は「女性F1ドライバー」という夢を胸に突き進んでいる。
女性というハンデもある中で4輪デビューを実現した昨年、
さらに上を目指す今年──
飛躍に向けて努力し続ける彼女の歩んできた日々を振り返る。

デビュー戦で優勝

気づいた時には兄がカートレースに出ていて、それを見たり手伝ったり、小学校に入るか入らないかぐらいの頃からカートコースに行っていたので、私にとってレースは身近な存在でした。当時は自分が乗る日が来るなんて想像もしていませんでしたが、兄がレースに出る姿を見ているうちに私もって。兄も含めて、周りのドライバーの方々がすごくかっこよく見えて、私も乗りたいなって父にお願いしました。

 実際に私がカートに乗り始めたのは12歳からです。デビュー戦は名阪スポーツランドというコースのFP3フレッシュマンクラスです。参加は確か12~13台で、なぜか私が優勝してしまった(笑)。レースの内容はほとんど覚えていません。それまでに結構練習したことは覚えているんですけど、レースは最初から最後まで単独走行で、練習の延長で走っていたら優勝したって感じで、あまり印象に残っていないんです。

 翌年から鈴鹿サーキット南コースで開催されているレースに出るようになりました。最初は「お祭りレース」にスポットで出ていたのですが、当時の鈴鹿の激戦クラスだったRSOクラスにも出ることになりました。実はRSOクラスは兄が前年まで出ていて、この年にミッション付きのMFCクラスに上がり、兄と同じ日にレースがあるからってことで私がRSOクラスに出ることになったんです。本当にレベルの高いレースで、あの時は予選を通過するのがいっぱいいっぱいでした。デビュー戦で初優勝できちゃったからちょっぴりナメてかかってたんですけど、やっぱり鈴鹿はレベルが高いと感じました。何で速く走れへんのやろ、何でこんなに違うんやろって思って、すごく悔しかったんですけど、その悔しさがあったのでもっとカートを好きになれましたね。

世界挑戦への第一歩

03年は鈴鹿の02オープンクラスを走って、優勝はできなかったんですけど、そこで表彰台に立てるようになって、「少しは成長したな」って思えました。父もレースをやっていて、カートでは父と兄に教えてもらっていたんですけど、皆言うことって違うじゃないですか。頭の中でどれが正しいんやろって思うんですけど、私は小さい頃から兄が走っているのを目で追っていたので、兄と走り方がすごく似ています。良いところも悪いところもほぼ同じ、ということもあって迷った時は兄に聞いていました。
 兄もそうですけど、私が苦手だったのはタイヤが冷えている時のマシンコントロールです。カートを振り回して走れなかったんです。ただそういう走り方は夏場のすごく路面温度が上がる時期のレースだとタイヤが持つので、そこは少し良かったのかなって思います。04~05年にジュニアMAXというクラスを戦っていた時、鈴鹿だったら決勝で16周走るんですけど、最後の5周ぐらいはタイヤがタレてきて皆タイム上がらない中、私はそこでラストスパートしてタイムを上げていけたので。
 そのジュニアMAXクラスですが、ロータックスMAXというエンジンを使用した、世界統一規則で開催されているレースなんです。先輩ドライバーの中にはヨーロッパで開催されるシリーズ戦に出ていて、私も「力試しに行ってみないか」って誘われました。それで05年に挑戦してみたんですが……。レースはボロボロ。でも、日本のレースとぜんぜん違う雰囲気で、すごく心を動かされました。外国人の勢いっていうか、日本でもレースに出ている人は真剣ですけど、ヨーロッパのドライバーはちょっと気合が違うなっていうのを感じました。何にでも貪欲で、勝つことだけに集中しているのがすごく伝わってきて、まだまだ自分はそのレベルに達していないと身にしみたんです。もう1回どうしても行きたい。帰国してからそう思うようになって、スポンサーを何とか集めて06年はMAXユーロチャレンジというシリーズへのレギュラー参戦が実現しました。言葉の壁を埋めるために英語を勉強したり、向こうの文化に触れたり、激しいレースでもまれたり、すごくいい経験ができました。
 今思えば、カートを夢中でやっている頃ってそれしか見えていなくて、カートでとにかく速く走る、チャンピオンを獲るっていうことだけを考えていました。4輪へのステップアップを意識し始めたのは、高校を卒業するぐらいですかね。周りの男の子たちが18歳とか、早かったら16歳とかで4輪に上がっていくんです。そういうのを間近で見ていて、私も上がりたいなって思うようになったんです。実際には資金面の問題もあってずっと上がれなくて、一昨年までカートを続けるしかなかったんですが……、昨年ようやく4輪への扉が開きました。

悔いの残る4輪デビューイヤー

一昨年までカートを続けてきて、昨年は資金的にカートもできない状態でそんなに結果も残せていないけど、自分の中にはF1に乗るぞっていう気持ちだけはあったんです。とにかくスポンサーを見つけないといけないってなって、無我夢中で企画書を持って営業をしました。その中でエクセディさんがサポートしてくれることになり、スーパーFJにデビューすることが実現したんです。
 そういう状態だったので、練習も開幕戦の1ヶ月前からしか乗れなくて、いけるやろって思っていたんですけどぜんぜんダメで、最初の練習では鈴鹿サーキットのフルコースで1周10秒ぐらい遅かった。こんなんでレースに出られるのかなって感じだったんですけど、周りのサポートもあってそれなりに走れるようになったんですけど、レースを重ねていけばいくほどスーパーFJとカートの違いをすごく感じるようになりました。タイムは少しずつ上がっていったけど、技術的にはまだまだだなって痛感しましたね。12月にスーパーFJ日本一決定戦という大きな大会にも出ました。その前のレースでクルマをつぶしてしまって練習ができていない状態だったので、とにかく走っただけっていう感じでした。これ以上クルマもつぶせないし、完走するのが一番かなって。自分的にはぜんぜん乗れていないまま終わってしまいました。

表彰式でF1王者の横に立つ

高校を卒業する時に、これからもレースを続けていくんなら就職したらダメだって先生に言われて、大学に進むことにしました。入学したのは大阪産業大学、クルマ関係の開発にすごく力を入れている大学だっていうので。入学してすぐにソーラーカーレースのチームや開発を担当している大学の監督さんから声をかけてもらいました。

私がレーシングカートをやっているのを周りから聞いたみたいで、ドライバーよろしくってお願いに来てくださったんです。大阪産業大学はソーラーカーが強いっていうのは知っていたし、いろんな経験ができるかなと、もちろん引き受けることにしました。
 ソーラーカーの運転操作はレーシングカートと同じで、右足でアクセル、左足でブレーキを踏みます。シフトもないし、加速と減速をしながら走りますが、違うのはレーシングカートみたいにタイムだけを目的にアクセルを開けたり、スピードを求めないことです。エネルギーを使いすぎたらダメなんです。アクセルを踏んでいる時間も短いし、惰性みたいに進むこともあります。コーナー旋回中にアクセルを踏み出すと抵抗がかかるので、ハンドルが真っすぐになってから踏み出したりとか、鈴鹿サーキットのホームストレートは下り坂なのでアクセルを途中から離して惰性だったり、スピードと使用電気のワット数のちょうどいい割合の中で走るんです。ドライバーはコクピットに表示されるその数字を見ながら走っています。他にも、コクピットにはたくさんのメーターがあったのがレーシングカートとは違うことでした。
 1年目はトラブルで結果はダメだったんですけど、その時に勝てるクルマだなって分かったので、あとはちょっとしたところを修正して、レースでの駆け引きがうまくいけば……そんな気持ちで臨んだ2年目に優勝することができました。で、モナコで開催されたFIAの合同表彰式にも出席することになったんです。会場ではずっと震えていて、あまり感覚がなかった(笑)。F1チャンピオンのジェンソン・バトンとかすごい方たちがいっぱいいて、振袖を着ていたのでいっぱい声もかけていただきました。今度行く時は、ソーラーカーじゃなくて違うカテゴリーでいきたいですね。
 今年の目標はまずステップアップすること。何とかFCJ(フォーミュラ・チャレンジ・ジャパン)というミドルフォーミュラカテゴリーに参戦が決まりました。自分の目標としては、昨年よりも強くなることです。フォーミュラでまだまだ上に行きたいっていう気持ちがあるので、今よりもっと強くならないといけないのかなって。
 こうやって長くレースを続けてきて、今年も何とかステップアップできて、家族やスポンサーさんを含め、本当に支えてくれている方々に感謝することばかりです。そんな支えの中でレースを続けていて思うのは、レースって男だけ、お金持ちだけのスポーツって思っている人が多いと思いますが、女の私でもできるんだ、こんなに背が低い女でも男のスポーツと思われているレースで互角に走れるんだっていうのを結果で伝えられたらなっていうことです。頑張っていたら上に行けるっていうのが、今レーシングカートで頑張っているドライバーだったり、女性でレースをやっている方たちに伝わればいいなって。FCJから先のクラスは女性には肉体的にも厳しいクラスです。ちゃんと乗るには筋トレも必要だし、腕も太くなる。でも、体力がないから、女だからって思われないためにも、腕が太くなるのもあきらめてます(笑)。今シーズンの最後に笑顔で終えられるように頑張ります!

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