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佐藤 元信 「好き」を発信し続ける

HUMAN TALK VOL.201 佐藤 元信 「好き」を発信し続ける

PROFILE

佐藤 元信
SATO Motonobu

1946年生まれ 宮城県石巻市出身、埼玉県狭山市在住。
1971年より三菱重工系の広告プロダクションにテクニカルイラストレーターとして従事。1973年、独立と同時に田宮模型のパッケージイラスト、いすゞ自動車のカタログ用構造画を手掛ける。船舶や航空機などの大型機器の構造画を得意として多くの作品を世に生み出している。
http://homepage2.nifty.com/CCV/SATOH.html

多くの人が夢中になったタミヤのプラモデル
そのボックスアートの多くを手掛けてきた佐藤元信さんは
「テクニカルイラストレーター」と呼ばれている
メーカーカタログや挿絵にはじまる仕事内容の中でも
得意分野の大型トラックや機関車では右に出る者がいない
幼少期の思い出からプロのイラストレーターになるまで
どのような人生を送ってきたのかを振り返ってもらう

佐藤 元信
佐藤 元信
テクニカルイラストレーターの仕事は神経を使う細かな仕事。繊細かつ正確なタッチで描かれた佐藤さんの作品には魂が込もっている。

好きだったのは大型漁船

 石巻で僕は生まれました。石巻は東北の漁港。小さい頃は全国的に食糧難の時期でしたが、石巻は背後に仙台平野という米どころがひかえて、内陸には北上川が流れていて、河口にある石巻の街はわりと食料難をうまく乗り越えた街だと思います。
 石巻は造船業も盛んでした。小さい頃の思い出の中で印象に残っているのは大型の漁船、250トンとかのマグロ船を1週間おきに進水式をやっていたこと。当時の船も溶接だったんですが、主なところはリベットで止めていました。だからビョウで止めるときのエアハンマーの音が鳴り響いて、活気のある街でしたね。また石巻から10㎞ぐらい離れたところに、いまの航空自衛隊の松島基地があって、そこに米軍が常駐していました。戦時中は海軍の防空基地だったみたいで、そういう環境で小さい頃から田舎のわりにはいろんな乗り物を目にしていたわけです。船、飛行機、鉄道、米軍のジープ。だから乗り物にすごく興味を持つ機会があったんだと思います。
 とくに好きだったのはトラック類。当時でいうと米軍のGMCCCKWという6輪駆動のトラックやいすゞのBX、それが街中をディーゼルエンジンを響かせて走り回っていたんですよ。小型車両では、くろがねのオート3輪も走っていましたね。日和山っていう小高い丘を登るんだけど、粗悪ガソリンとアンダーパワーの影響で上り坂の途中で息切れを起こしてしまう。そういう脇を米軍のジープが駆け抜けていったんですよ。これがまた良い音を立てて登っていくんですよ。幼い自分は、日本とアメリカの工業力の差を嫌というほど感じて育ってきたんです。
 そういった経験もあって米軍の車両にものすごく興味を持ちました。その延長で建設機械だとか大型漁船にも興味を持っていったわけです。よく子供たちは軍艦に憧れるけど、僕は大型漁船が好きでした。大型漁船ってすごく合理的、機能的にレイアウトされているんです。なぜかというと、魚を取るためにターゲットをしぼっているから。目的がはっきりしているわけです。それが子供心をくすぐりました。飛行機も旅客機には興味がありませんでした。でも、自衛隊の輸送機を見ると心が躍る。スポーツカーもかっこいいと思うけど、キャタピラ車の90トンほど積めるダンプのほうがかっこいいと思う子供でした。

佐藤 元信
小淵沢の別荘には佐藤さんのコレクションがたくさん並ぶ。スポーツカーは1台も見当たらず、戦車や重機、軍隊の車両ばかりだ。

運転手との出会い

 絵を描くのは小さい頃から好きでした。いつも紙と鉛筆を持って、今でいう写生をやっていたんです。面白いのが子供の視線ってすごく低いから、大型バスとかトラックのサスペンションが良く見えるんです。当時はリーフスプリングの構造が、フェンダーの内側からしっかり見えていました。今ではとんでもないことだけど、当時の大人は容認してくれていました。エンジンルームを開いていたら一緒になってフェンダーに上がってのぞいてみたり。毎日、丹念にスケッチしていました。で、絵を描き続けるきっかけになったのが、あるとき運転手に褒められたことでしたね。よく描けているなって。その運転手はとても親切で、これはこういう機能をするもんだよとちゃんと説明もしてくれました。いわゆる、現場の教育ですよね。ハンドルを切るとこの棒がこっちに押されてタイヤの向きが変わるんだよって。タイロッドとドラッグリンクとステアリングのギアボックスの関係ですよね。それをきっちり教えてくれたんです。面白くて面白くて、丹念にスケッチしていた日々が、今の仕事の原点なんだと思います。今のようにインターネットで調べて数字がわかるもんじゃないから、僕は想像力をかきたてられて、すごく熱心に描いていました。

良い大人に恵まれた

 飛行機に興味を持ったのは松島基地で開催されたオープン祭での体験でした。身近に飛行機が見られるわけですよ。自動車とはぜんぜん違うエンジンが載っていて、どうやって回るんだろうって興味津々、市の図書館に行って調べてみたのですが、なかなか資料がないんですよね。当時はコピーもない時代だから、僕は好きな車や船を熱心に模写していて、あまりにも熱心だから図書館のおねえさんが、ある日僕のところに来て飛行機の透視図が掲載された本を持ってきてくれたんです。英国の戦闘機だったのかな。星型エンジンのカット図があって、おねえさんに褒められたい一心でそれも一生懸命に模写していた記憶があります。
 また小学校のときに目を向けてくれた先生がいました。言ってみれば、僕は問題児だったんでしょうね(笑)。授業中に画用紙をあてがわれて、みんなが勉強しているときに僕はトラックの絵を描いていて、授業が終わると褒められていたんです。今思えば、良い大人に恵まれたんでしょうね。もっと恵まれていたなって思うのは、好きだっていうことを遠慮せず発信できる環境にあったこと。そうすると必ず周りの誰かが気がつくから。今の仕事につながる過程で、僕は多くの助けを得ましたから。


テクニカルイラストレーターとして活躍する佐藤元信さん
知識と想像力、そして画力によって魅せるその絵には
彼が経験してきた人生そのものが凝縮されている
下積み時代の経験とプロになるきっかけを今回は
お聞きする

佐藤 元信

 高校時代はお金がなかったからバイトしていました。オートバイに乗りたかったけど、もちろん新車は買えませんでした。1ヶ月間、ポンコツ屋でバイトしながら、そこでメグロという動かないオートバイを譲ってもらいました。でも、動かすためだったらそのポンコツ屋のパーツを使っていいという信じられない好条件で働かせてもらえたので、必死になって直しました。メグロの250cc、S3というオートバイです。当時は誰もがホンダのCB72といった高回転、高性能のスポーツバイクに乗っていて、僕だけクラシックな黒い実用車。ロングストロークの単気筒だから、いまなら騒音ですよね。でも、歯切れのいいリズミカルな音なんですよ。それに乗っていたら高校のクラスに変わり者がいて、彼も必死になって古いオートバイを見つけてきて、僕に直してくれと頼んできたのです。僕は条件を出しました。部品代と小遣いをくれ、と。そしたらその条件に加えて夕飯付きだっていうから、やるやるって。腹が減っている時代だから食べ物に弱かったんです(笑)。

佐藤 元信
佐藤 元信
佐藤 元信
小淵沢の別荘で少しずつ直してきた米軍用車、ダッジM37 B1。いつでもエンジンが始動できる状態だ。他にもホンダXL250なども同じ車庫に収納されている。

実験船での発見

 その友達の家に通ってオートバイを直す中、彼の兄貴とも親しくなっていきました。兄貴は東大の海洋研究所に勤めていたんです。ある日、その兄貴が「アルバイトしないか?」と話しかけてきました。内容は東京の月島にある水産研究所の実験。それを紹介してもらって夏休みをフルに使ってアルバイトしました。マグロ漁業で使う延縄(はえなわ)という長いロープの幹となる幹縄がどんどん合成繊維に変わっていった時期で、その破断テストをしていたんです。衝撃試験機といって、大きいオモリ付きの装置が1回転してカムが外れて、大ハンマーを振り下ろすように張ったロープの片方をひっぱたくんです。それで何トンという力で切れるのかをテストするのです。
 ただ、その機械の性能が悪くて、よくチェーンが外れたり故障していました。なぜ故障するのかを観察していたら、スプロケットというチェーンを駆動するギアが、チェーンのラインとズレていることに気づきました。衝撃でたわんでチェーンが外れてしまうんです。研究所の隅にあったスプリングやら何やらでチェーンのテンションを自動調整するものを自作して故障しなくなったら、その研究室の担当の技官がえらく感心してくれて、「なぜ故障しなくなったんだ?」と僕に聞くから、見取り図を描いて説明しました。その見取り図にも技官は感心して、「こういう絵を何で君は描けるの?」というから、小さいころから描いていたっていったら、「もっと絵を描いてくれないか」という話になったんです。マグロ漁船の網を巻きあげるラインホーラーの見取り図や立体図でした。
 また、よく出入りしていた研究所の工作室には、機関長と呼ばれる人も出入りしていました。その研究所は専用の実験船を所有していて、その機関長でした。機関長にもとても親しくしていただき「夏休みになったらうちの船に乗らないか?」と誘われ、1ヶ月間その船に乗ることになりました。器用にいろんなことをやっていたから、こいつは使えるなと思われたのかもしれないですね。大島まで長い時間かけて航海して、大島沖で実験のお手伝いをしてきました。
 その実験船にはメインと補助、2機のエンジンがあり、補助エンジンはヤンマーの単気筒だったかな。ディーゼルエンジンで、クランク棒を突っ込んでフライホイールを回して発電機を動かしたり、いろんな機械の供給源になるものでした。それを始動しながら熱管理、データ取りが僕の仕事内容だったのですが、メインエンジンの実験がだんだん忙しくなっていったんです。天候が悪いと実験ができず、実験計画内容がどんどん未消化のまま残っていくから。後半はメインエンジンの排気温度チェックや水温管理なんかも僕が担当するようになり、ディーゼルエンジンの仕組みなどいろんなことを教えてもらいました。それで船舶の構造にも詳しくなったんです。

ボロボロの自動車カタログ

 高校卒業後は美大に行きたかったけど、お金がなかったのであきらめました。で、実際に高校を卒業してどうするってときに、たまたま水産研究所で大型海洋調査船の基本設計を手伝えることになって、図面制作に携わるようになったんです。それを進めていくうちに、これもあれも図面におこしてくれって次から次へと仕事が舞い込んできて、今思えばこの頃が自分にとっては修行のような日々でした。何年かして、完成した船に乗るチャンスもありました。それも調査船で、各国の港に寄って海洋学研究者を乗せて彼らが研究レポートを制作するわけだけど、どういう状態で実験が行われたかの模式図を自分が描くこともありました。
 帰国してから、清水にある造船所の東京事務所に寄って、たまたま自分はこういう絵を描いていますと見せたら、じきにできあがる船の完成予想の絵を描いてくれと頼まれて、何枚か描きました。その時ですかね、絵を描くことを仕事にしていこうと考え始めたのは。小さい頃から好きだった乗りものを描いて暮らしていければいいなって。興味を持つといろいろ調べたくなって、内部のことまで知りたくなって、それぞれのパーツがどう機能するのかというのが僕の興味の対象でした。それが他の人とは違う技術となって身につき、自分なりの仕事になっていきました。好きという強い気持ちがあれば、何でも仕事になるものなんですね。
 今の時代では、そういう人も少なくなりましたね。物が豊かになっていく反面、人間は怠惰になっていきますから。自動車がほしいと思ったとき、僕らの時代ではまずはカタログを集めて、そのカタログがボロボロになるまで眺めていました。枕元に置いて毎日、毎日。いつ買えるかなんて展望はまったくないのに(笑)。思いを馳せるっていうか、そういう追いかけている時間が今の時代にはないような気がします。今は、ほしいなって思ってネットでポチッだからね。
 クリエイティブな仕事の原動力って、その追いかける時間や作業なんだと思います。小説でも行間を読むっていうじゃないですか。行間の空白を自分のイメージで補う。そういう作業が僕らの仕事には欠かせません。キーボードをたたいてパッと調べられるのはすごく便利だけど、次の瞬間消えてしまいます。いつでも呼び出せるっていう安心感があるんだろうけど、想像力が生まれにくい時代とも言えます。若い方たちにはとくに、想像力を磨く経験をしてもらいたいなと僕は強く願っています。
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