ゲームの世界から リアルレースへ
VOL.331 / 332
冨林 勇佑 とみばやし ゆうすけ TOMIBAYASHI Yusuke
レーシングドライバー
1996年神奈川県横浜市生まれ。2016年グランツーリスモ世界大会で優勝。2018年より実車レースへ進出し、2019年ロードスターパーティレースシリーズチャンピオン。GR86/BRZ CUPの初年度チャンピオン、現在はSUPER GT GT300クラスのドライバーとして活躍中。日本初の「eスポーツレーサー兼リアルレーサー」としても活動し、レース参戦のほか、eスポーツイベントの解説や育成にも携わっている。
HUMAN TALK Vol.331(エンケイニュース2026年7月号に掲載)
5歳の頃に出会った『グランツーリスモ』。それは、少年にとって特別な英才教育ではなく、父と遊ぶ普通のゲームのひとつだった。サッカーに打ち込み、友人と遊び、普通の学生生活を送りながら、冨林氏は少しずつ自分の速さに気づいていく。
前編では、幼少期の環境からゲームとの出会い、世界大会優勝、そしてリアルなレースの世界へ踏み出すまでを語る。
ゲームの世界から リアルレースへ[その1]
グランツーリスモ世界大会に日本代表として出場し優勝する
車とレースが当たり前にあった幼少期
父も母も車やレースが好きで、物心ついた時にはそれらが身近にある環境でした。父は自動車メーカーで働き、社内でレース活動にも関わっていましたし、母もそうした現場に近いところにいました。だから自分にとって車やレースは、後から好きになったものではなく、「好きじゃなかった記憶がない」くらい自然な存在でした。
ただ、子どもの頃からカートをやっていたわけではありません。小学生の時に始めたのはサッカーです。周りの友だちがみんな始める雰囲気があり、自分も地域のチームに入りました。最初は友だちがやるからという感じでしたが、結局10年間続けました。
ゲームとの出会いは5歳の頃です。父がプレイステーション2と『グランツーリスモ3』を買ってきてくれました。ただ、最初から一日中やり込んでいたわけではありません。当時はゲームを1時間やったら休むとか、成績が悪ければやってはいけないという時代で、父と一緒に遊ぶ程度でした。
その頃に母が病気で亡くなり、父は仕事で帰りが遅かったため、日によって違う家庭で夕食を食べ、父の迎えを待つ生活になりました。寂しいことではありましたが、その環境をネガティブに捉えたことはあまりありません。毎日違う家で過ごす中で、子どもなりにいろいろ考える癖が自然に身に付いた気がします。
「日本で2位だよ」と言われた日
最初に自分が速いのかもしれないと思ったのは、小学生の頃です。2005年、八景島シーパラダイスで行われたスーパーGTのイベントで、『グランツーリスモ』のタイムアタックに参加し、上位に入賞。その特典でプロレーサーの本山哲さん達と対戦させてもらいました。
その後、2007年のスーパーGT鈴鹿1000kmでも同じようなイベントに参加し、2位になったんです。その時にスタッフの方から「君、日本で2位だよ」と言われ、それまでは家で少しゲームをしている普通の小学生という感覚でしたが、その言葉で初めて「自分は速いのかもしれない」と意識しました。
ただ、それでも中学時代はサッカーもあり、友だちと遊んだり、ほかのゲームをしたりしていて、グランツーリスモだけに集中していたわけではありません。大きく変わったのは中学3年生の時です。オンライン対戦で、僕が小学生の頃に日本一と言われていた人と再び走る機会がありました。自分では速いつもりでいたのに、1周で5秒ほども離され、ボロボロに負けました。そこからですね、悔しさをバネに本格的に取り組むようになったのは。
高校3年の時にはBMW主催の全国大会に出場し、決勝で3位に入りました。賞金はありませんでしたが、スーパーGTの会場で大会が行われ、宿泊費や交通費も用意してもらい、ゲームをやっていてこんなことがあるんだと驚きました。
7歳の頃、谷口信輝選手と
世界チャンピオンからリアルレースへ
高校卒業後は東海大学の工学部動力機械工学科に進みました。車が好きという理由ではありましたが、レーサーになるつもりは全くありませんでした。レーサーはお金持ちしかなれないものだと思っていて、自分の進路としては現実的に考えていませんでした。
大学入学後には免許を取り、家にあったアルテッツァでサーキットを走るようになりました。その頃はアルバイトも始め、ゲームからは少し離れていました。そんな大学2年の時、グランツーリスモの世界大会に招待されたんです。高校時代の実績と〟メディアウケが良さそう”という理由からだったそうです(笑)。会場はロンドンで、正直、勝負のことより「無料で海外に行ける!」という旅行気分の方が強かったです。ところが、現地で始まってみると予選から意外と速く走れ、結果的に優勝。帰国すると大学でも方々から「世界チャンピオン!」と言われるようになりまして、まさに浦島太郎気分でした。
それでも、まだプロレーサーになろうとは考えていませんでした。変化があったのはその後です。友人に誘われてカートに乗ったら初めてなのになぜか速く走れたんです。さらに自分の車でサーキットを走っても、周囲より速いタイムで走れる。そこで初めて、「俺、実車でもいけるのかもしれない」と思いました。その後、友人の紹介でロードスターパーティレースに出場し、デビュー戦で優勝。そのまま初年度にチャンピオンを取ることもできました。ゲームで培った感覚や対応力が、リアルなレースでも通用する。そのことを自分自身で確かめていった感じです。
世界大会での優勝が冨林選手の人生を変える転機に
デビュー戦で優勝したロードスターパーティーレース
HUMAN TALK Vol.332(エンケイニュース2026年8月号に掲載)
グランツーリスモ世界大会で優勝し、実車レースでもデビュー戦優勝を果たした冨林氏。しかし、ゲームとリアルの間には、気温、路面、G、チームワークなど、越えなければならない差があった。後編では、リアルレースで見えた難しさ、チームの中での役割、ファンや次世代への思い、そしてこれからのレーサー像についてうかがった。
ゲームの世界から リアルレースへ[その2]
今シーズンはSUPER GT-GT300クラス PACIFIC RACING TEAMから参戦する
少ないチャンスで 結果を出す対応力
ゲームから実車に移った時、すべてが同じだったわけではありません。実車にはGがあり、恐怖心もあります。車の状態、タイヤ、路面温度、気温も毎回違います。ゲームでは同じ条件で何周も走れますが、実車では一日として同じ環境はありません。ただ、自分の場合は、その違いをあまり意識しすぎなかったことが良かったのかもしれません。ゲームと同じように走ればいい、という感覚で実車に乗ることができました。普通はGや恐怖心で体が反応し、ゲームと同じようには走れないことが多いと思います。でも自分は、いい意味で「一緒じゃん」と思えた。それが最初からある程度速く走れた理由の一つだと思います。
もちろん、実車ならではの難しさもすぐに経験しました。ロードスターパーティレースの初年度、第1戦では優勝できましたが、第2戦では気温や路面温度が上がっただけで、予選12位、決勝7位になりました。同じ車でも環境が変われば走らせ方もセッティングも変わる。そのことを痛感しました。
自分の強みは、少ないチャンスで結果を出すことだと思っています。幼い頃から毎週カートに乗って練習してきたわけではありません。お金も時間も限られる中で、数周以内にタイムを出さなければならなかった。だから、短い時間で車を理解する力は自然と鍛えられました。
S耐では2023年に4年連続王者の栄冠に輝いた
チームの中で走るプロとして
リアルなレースに入ってから、ゲームと大きく違うと感じたのは、チームで戦うという部分です。ゲームは基本的に自分の操作で完結しますが、実車のレースはそうではありません。車を作るメカニックがいて、監督がいて、チームスタッフがいて、支えてくれるスポンサーやファンがいます。その点で、サッカーを10年間やっていたことは大きかったと思います。自分は中学時代にボランチをやっていました。周りをどう生かすか、全体をどう見るかという意識は、今のレースにもつながっています。
アマチュアの頃は、自分が速く走ればいいという意識でした。しかし、お金をいただいて走るプロになってからは考え方が変わりました。今はボランチ的な立場に近いと思っています。自分だけが頑張るのではなく、どうすればチーム全体の総合力が上がるか。どうすればメカニックさんやチームのみんなに信頼してもらえるか。人が車を作る以上、「このドライバーのためにいい車を作りたい」と思ってもらえることも、結果につながる要素だと思います。そのためには、車に乗って感じたことを正確に伝える能力も大事です。フィードバックの言葉がずれると、車の方向性もずれてしまいます。できるだけ分かりやすく、間違った伝わり方をしないように意識しています。
K-one愛知トヨタDL GR86にはENKEI製NVR5 For GR86/BRZ Cupを履く
50歳を過ぎても速いドライバーで いるために
ファンの方への意識も強く持っています。自分は幼い頃からサーキットに行き、プロドライバーにサインをもらったり、写真を撮ってもらったりしてきました。その経験が今の自分につながっています。だからこそ、自分がしてもらったことは自分もすべきだと思っています。自分が走ることで、将来レーサーになりたいと思う子どもが出てくるなら、とても意味のあることです。
現在、eスポーツとの関わり方も少し変わってきました。以前は自分自身が大会に出ていましたが、今は解説やイベント出演、育成の側に回ることが増えています。ただ、若い世代に対して「ゲームだけをやればいい」とは思っていません。学校生活、友だちとの関係、外で遊ぶこと、やりたくないことをやる経験。そういうものは全部どこかで生きてきます。最終的には技量だけでなく、メンタルや人との関わり方が大事になります。
今後について、細かな計画があるわけではありません。ただ、まずは続けていることが大事だと思っています。50歳になってもプロとして走っていたいですし、日本のレースではしっかりチャンピオンを取りたい。そして、55歳になってもトッププロとして速いドライバーでいたいですね。
eスポーツの普及、育成活動にも力を入れている
