OZとエンケイの 架け橋となる

VOL.329 / 330

内山 晶弘 うちやま あきひろ UCHIYAMA Akihiro

オーゼットジャパン株式会社 代表取締役
1971年静岡県浜松市生まれ。米国留学を経てエンケイに入社し、入社後半年でOZジャパンへ異動。OZジャパンでの経験を経てエンケイに復帰し、名作ホイールRPF1の企画開発に携わる。2008年よりOZジャパン代表取締役社長。日伊の関係強化を推進しながら現在も現場視点を重視した経営を続けている。

HUMAN TALK Vol.329(エンケイニュース2026年5月号に掲載)
エンケイ発祥の地、浜松からアメリカへ渡り、帰国後はエンケイに入社。そして異例のスピードでO.Z.ジャパンへ──。その後、再びエンケイに戻った内山氏は、停滞していた商品企画の中で一つのアイデアを提案する。それが後にエンケイの顔となるホイール「RPF1」だった。
本編では、内山氏がどのようにして“現場”から価値を生み出していったのか、その原点を辿る。

OZとエンケイの 架け橋となる[その1]

名作RPF1の企画開発に携わった

アメリカで得た視点と、 クルマへの入口

 僕は浜松で育ち、高校卒業後にアメリカへと渡りました。最初はサウスカロライナで1年間語学を学び、その後デラウェア州の大学に進学しました。当時はインターネットもスマホも無い時代でしたから、情報収集やビザ取得みたいな今では当たり前のことでも結構苦労しましたね。
 小・中学生時代にサッカーをやっていたこともあり、大学でもサッカー部に入りました。デラウェア州はアメリカの南東部ですが、チームは南米の選手が多くて、フィジカルも当たりも強いし、日本とは全然違う感覚でした。生活面では、とにかく車がないと何もできない環境だったので、自然と車に興味を持つようになりました。フォルクスワーゲンのゴルフⅡに乗っていたんですが、周りはマフラーやオーディオをカスタムするのが当たり前で、そういう文化に触れられたことが大きかったと思います。まだその時はホイールに特別な興味があったわけではないんですが、「クルマを自分のものにしていく楽しさ」は確実にそこで体験しました。

アメリカ デラウェア州の大学時代

ゼロから100までを 叩き込まれた

 いざ就職活動となり、海外拠点を持つ日本企業から探そうかと考えていたら、ちょうど地元浜松にエンケイという会社があることを知り、海外留学の経験も買われてトントン拍子で入社が決まりました。
 当時も今も新人はまず全員が製造現場に入るのが決まりです。当時はMAP4という新しい生産ラインの立ち上げが始まるタイミングで、僕もロボットのティーチングから鋳造、加工、熱処理まで一通り経験しました。夜勤もありましたし、バリ取りの作業で腰を痛めたりもしましたけど、今思えばあの経験がすべての基礎になっています。ホイールがどう作られているのか、どこにコストがかかるのか、どこを変えれば品質や性能が変わるのか。そういうことを体感で理解できたのは大きかったですね。
 その後、入社半年ほどで当時エンケイの合弁会社として存在していたO.Z.ジャパンへ移ることになりました。最初は海外との通信担当でしたが、実際には在庫管理、受発注、営業同行、倉庫作業まで、ほぼすべての業務に関わりました。FAXでイタリアとやり取りしていた時代なので、一つひとつの作業にも時間がかかるし、とにかく忙しかった。でも、その分、事業の流れを丸ごと理解できたんです。結果的に、「商品がどう売れて、どう回っているか」を全部わかる状態になった。この経験が後の企画に直結しています。

イタリア本国のO.Z.本社にて

RPF1は『逆算』と『全部理解』 から生まれた

 エンケイに戻って商品企画室に入ったとき、正直、アフターマーケットの商品は少し停滞していました。特にファッション系のホイールは売れず、方向転換が必要な状況でした。その中で僕が企画会議で提案したのは、OZで見てきたモータースポーツの文脈を取り入れることでした。F1由来のスプリットスポークデザインをベースに、「軽さ」と「機能」と「見た目」をちゃんと両立させたホイールを作る。それがRPF1の出発点です。
 商品企画チームが開発を進める中で一番大きかったのは、価格の考え方を変えたことです。従来は製造コストを積み上げて価格を決めていましたが、それだと市場とズレることが多い。そこで、「この価格ならユーザーが買う」というラインを先に決めて、その価格に収まるように設計と製造を組み立てました。 そのためには、現場の理解が不可欠なんです。どこを削れば軽くなるのか、どこを削ると強度が落ちるのか、どこにコストが乗るのか。工場での経験がここでも活きました。
 さらに、プロモーションも大きく変えました。広告をコンペ形式にして、ビジュアルのクオリティを一気に引き上げました。商品だけでなく、「どう見せるか」まで含めて設計したんです。
 結果として、RPF1は軽量性、デザイン、価格、すべてのバランスが取れた商品になり、発売後すぐに市場に受け入れられました。今でも売れ続けているのは、流行ではなく『本質的な価値』を押さえられたからだと思います。

RPF1では広告デザインも大きく変わった

HUMAN TALK Vol.330(エンケイニュース2026年6月号に掲載)
エンケイへの復帰、新商品の成功の直後、内山氏は再び大きな決断を迫られる。資本関係が変わり混乱状態にあったO.Z.ジャパンへの復帰、そして予想外の社長就任。そこから始まったのは、組織の立て直しと、新たな価値づくりだった。
後編では、O.Z.ジャパン再建の裏側と、現在のホイール業界、そしてその未来について語る。

OZとエンケイの 架け橋となる---[その2]

2015年の新商品発表会

崩壊状態のO.Z.へ戻るという選択

 RPF1の立ち上げを経て、エンケイで一つの区切りが見えた頃、OZ S.p.A.(イタリア本社)から「戻ってきてほしい」という話が何度も来ていました。当時のO.Z.はかなり混乱していて、スタッフも抜け、業務もままならない状態でした。
 最初は断り続けていましたが、自分の中で「仕事は全部わかっているし、イタリア人達からの熱い声」という感覚もあって、最終的には戻る決断をしました。実際に戻ってみると、想像以上に大変で、本当にゼロから立て直すような状況でしたね。
 その数年後、さらにさまざまな出来事が重なり、ヘッドハンティングをきっかけに複数社からオファーをいただきました。一度は本気でO.Z.を退職することを決意し、ほどなくして転職先も決まり、当時の代表に辞意を伝えました。
 しかし、その後はのらりくらりとかわされ続け、なかなか退職日が決まらない状況が続いています。そのうちにイタリア本社の耳に私が辞める話が届き、当時の代表と二人ですぐに来いと呼び出されました。こちらは次の転職先に待ってもらっていましたし、辞める気満々だったのですが、イタリア本社の代表からは慰留ではなく「O.Z.ジャパンの代表をやってほしい」と斜め上のオファーが。悩んだ末にO.Z.ジャパンに残ることを決断しました。ここからがO.Z.ジャパン代表としてのスタートでした。

「Rally Racing」はジムニー向けなども展開し大ヒットしている

エンケイへの恩返しとしての 「日本製O.Z.」

 社長になってまず考えたのが、「どうやってエンケイに恩返しするか」でした。自分はエンケイで育ててもらったし、RPF1もエンケイで生まれた。その関係をどう活かすかをずっと考えていました。
 そこで出した答えが、日本製のO.Z.ホイールでした。エンケイに製造をお願いして、日本市場に合ったサイズや仕様の製品を作る。これなら、O.Z.にもエンケイにもメリットがあるし、ユーザーにも価値を提供できる、そう考えたのです。
 最初に取り組んだのが、O.Z.のアイコニックモデル「Rally Racing」の16インチ版です。ヨーロッパでは重要度が低く、本社では作っていなかったサイズですが、日本ではニーズがあると踏んでいました。本社の理解がなかなか得られず苦労しましたが、そこを何度も説得してようやく承認が得られました。OKが出るまで、実に3年くらいかかりましたね。
 発売後は・・・想像以上に売れました。1つのデザインでも商売として十分に成立することが証明できたし、本社にもインパクトを与えられたと思います。その後、ジムニー向けなども展開して、少しずつラインを広げていきました。
 この取り組みは単なる商品開発ではなく、「関係性の再構築」だったと思っています。エンケイとO.Z.、本社と日本、それぞれの距離を縮める役割を果たせたのは大きかったですね。現在ではトヨタのGAZOO Racing World Rally Teamとコラボレーションしたシリーズも展開するなど、日本発信のモデルをさらに広げています。

これからの市場と、 生き残るための条件

 今のホイール業界は、かなり大きな転換期に入っています。エンジンからEVに変わってもタイヤがある限りホイールは必要ですが、EVの普及によって車の構造が変わり、それに伴ってホイールに求められる性能も変わってきています。特に重量の問題は大きくて、剛性や耐荷重の考え方も変わらざるを得ません。市場全体で見ると、完全に二極化しています。実用重視のものか、高付加価値のブランドか。その中間はどんどん厳しくなっています。なんとなくのデザインや中途半端な商品は、もう選ばれない時代です。
 一方で、タイをはじめとした東南アジアなどの市場にはまだ伸びしろがあります。ガソリン車も多く、カスタム文化も根強い。リスクはありますが、視野を広げればチャンスはある。
 結局のところ、やるべきことはシンプルで、「いいものを作ること」と「ニーズを捉えること」。それができるかどうかが、これからの差になると思います。変化は確実に起きているので、それに合わせて自分たちも変わっていくしかないですね。

TOYOTA GAZOO Racing World Rally Teamとのコラボモデル

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