タイヤは生き物

VOL.275 / 276

浜島 裕英 HAMASHIMA Hirohide

NAKAJIMA RACING タイヤ担当エンジニア

1952年生まれ。東京都杉並区出身。1977年ブリヂストンに入社後、様々なカテゴリーのモータースポーツ用タイヤの開発に携わる。
14年間に亘るF1でのタイヤサポートの後、スクーデリア・フェラーリと契約。その後は国内に戻り現在はNAKAJIMA RACINGにてタイヤマネージャーを務める。

HUMAN TALK Vol.275(エンケイニュース2021年11月号に掲載)

1997年から14年間に亘ったブリヂストンのF1参戦において常に最前線でタイヤの指揮を執ってきた浜島裕英さん。
現在は中嶋悟氏率いるNAKAJIMA RACINGでタイヤマネージャーを務めている氏に話をうかがった。

タイヤは生き物---[その1]

 僕はレース業界の人間にしては珍しく、熱狂的に車やレースが好きというタイプではなかったんです。東京農工大学では工学部高分子工学科でポリエチレンやアラミドなどの研究をしていまして、また繊維メーカーの奨学生だったこともあり、順当にいけばそのメーカーに就職するつもりでした。それがいざ就職の時期になってもそのメーカーから内定がもらえなくて(笑)。ブリヂストン(以下BS)は無借金経営でしたし、会社訪問したら美術カレンダーもくれたので(笑)、そんな堅い理由で決めたというのがこの業界に入ったきっかけでした。入社後は低燃費タイヤの基礎研究をしたり、海外向けの乗用車用タイヤを設計していました。ところが時は’81年、突然上司に呼ばれて「お前3月からモータースポーツ(用タイヤ担当)だから」と何も知らないレース業界へと配属が決まりました。

優勝したシューマッハと。2000年鈴鹿にて

ミシュランの衝撃

 当時の僕はモータースポーツのモの字も知らなかった。人生初のタイヤテストで富士に行った時なんか、コメントをくれるドライバーが誰だかわかってないんですよ。星野(一義)さんと中嶋(悟)さんと長谷見(昌弘)さんにコメントをいただいたんですけど、上司に「すいません、今喋ってた人誰ですか?」って聞いてこっぴどく怒られたのをよく覚えています(笑)。それくらいレースに疎かったんです。
 レース部門に転属したその夏にはイギリスの駐在事務所へと転勤になり、ヨーロッパのF2を担当することになりました。でも行ってみたら体制が全くできていなくて、タイヤの引き取りから積み込み、運搬、そして現場ではリム組みから、エンジニアの仕事もして、またバラしたタイヤをチェックし東京に報告するまでを一人でやってましたね。今思えばよくやってたなと(笑)。翌年からは複数人体制になりましたが、そこであのミシュランが参戦してきたんです。
 ミシュランには全く勝てなかった。ポールポジションは獲れるんだけど、全然優勝できない。BSはグリップダウンが酷く、最初はいいのに後半になるとミシュラン勢にぶち抜かれるというパターンの繰り返しでした。技術格差を非常に感じましたね。彼らが何をやっているのかよくわからないんです。あれだけミシュランに叩かれたということが、僕のタイヤ設計人生において非常に大きな良いインパクトを与えたと今は思いますね。

F3000の鈴木亜久里車の前で

BSの反撃

 ところがその状況を技術センターに報告しても日本のレースでは勝てているから「お前の使い方が悪いんだ」と取り合ってくれない。でもチームからは「タイヤが悪いから勝てない」と言われます。もう板挟みですよね(笑)。でも「タイヤの思想を変えないと勝てない」と繰り返し上司に言い続けました。材料部門の人たちにも基礎研究をやっている人たちにも訴えました。結果、ピークの性能を落としてでも長持ちするタイヤへとBSのタイヤが徐々に変わっていきました。多分’80年代中盤からは日本でも圧倒的に強くなっていったと思います。
 ところが’91年のDTMで再びミシュランとまみえることになったんです。ドライタイヤはいい勝負をするまでになっていたのですが、5月なのに雪が降ったニュルブルクリンクでのウェットレースで、またミシュランにコテンパンにやられたんです。それこそ1周で20秒くらいの大差を付けられて。その時供給していたAMGの社長やベンツチームの人が来て「明日は悪いけどミシュランを使うからな!」とドヤされまして、こちらは「わかりました」と言うしかないですよね。また試練です。
 それから急ピッチで温度条件に左右されにくいウェットタイヤの開発を重ね、ローマにある研究所の協力も得て、なんとか要求性能を満たすものができたんです。そのタイヤをレースシーンに投入し、DTMでキングと呼ばれたドライバーのルドウィック(クラウス・ルートヴィヒ)に「BSのウェットを履けば、四輪駆動車でなくても勝てるよ」と言ってもらえるまでになり、それがやっとミシュランと技術的に並んだかなと感じられた時ですね。
 そして’94年の頃、突然本社の経営会議に呼び出されました。その場で社長から「俺はF1でBSの知名度を上げ、BSを世界でナンバーワンにしたいと思う」と発表があり、F1に参戦することが決まったんです。BSと僕のF1への挑戦が始まりました。

ジョニー・ハーバートと富士にて

鳩山元総理へモータースポーツタイヤの説明を@鈴鹿

HUMAN TALK Vol.276(エンケイニュース2021年12月号に掲載)

タイヤは生き物---[その2]

 ‘98年から参戦する予定で始まったブリヂストン(以下BS)のF1プロジェクトですが、’96年のテストで良い結果が出たおかげで突如1年前倒しで参戦が決まり、流石に焦りましたね。運良くトム・ウォーキンショーとプロストグランプリ、ミナルディが手を挙げてくれたんで良かったけど、トップチームはやはり見向きもしてくれないんですよね。でも転機は第11戦のハンガリーグランプリで訪れました。トム・ウォーキンショーのアロウズ・ヤマハに乗っていたデイモン・ヒルがミハエル・シューマッハをぶち抜いたんですよ。ミハエルのタイヤ(グッドイヤー)はブリスターが発生しグリップダウンが酷くて、デイモンがトム・ウォーキンショーに無線で「そろそろ抜くぞ」と言って余裕で抜いていったんです。それがあったんで翌年マクラーレンなどが一緒にやろうと言ってくれたんだと思います。

タイヤテスト終了後「次週のレースにこのタイヤを必ず作って来てね」と厳しい要求をするシューマッハに迫られる@モンツァ

マクラーレンと組む大変さ

 マクラーレンと組んでみてまずその物量とお金の掛け方の違いにびっくりしました。当時はスペアカーがOKでしたが、マクラーレンはモノコックにエンジンが載った状態でスペアを持って来るわけですよ。普通エンジンが壊れるとアロウズなんかは載せ替えで大体3時間くらいみんな息抜きができたんですけど、マクラーレンの場合は30分くらいで車が仕上がってくる(笑)。休む間が無いですよね。この「物量で時間を買う」という考え方が一流のF1チームと中堅チームの違いなんだなと思い知りました。タイヤについても僕達より詳しいんじゃないかっていう人が沢山いるんで、こちらも必死に考えなくてはならない。そういう意味でも一流チームと組む大変さを感じましたね。
 ‘97年の終わりにタイヤの説明にマクラーレンへ行った時にエイドリアン・ニューイがいて、その時に揉めたんです。’98年からグルーブドタイヤに変わったんですね。そうなると摩耗耐久性が落ちるので「フロントタイヤは太くして、外径を大きくしないと保ちません」と言ったらエイドリアンは「もう設計してしまってるからダメだ!」と。ほらエイドリアンは空力おじさんだから、そんな前面投影面積のでかいものを装着するなんてとんでもないわけですよ(笑)。「いやいや僕らは実験して確証を持っている話だからやってもらわなきゃ困る」って言って、実際にフィールドテストでラップタイムを比べ、渋々エイドリアンも納得したのかな。で、最終的にちゃんと納得したのは第1戦のオーストラリアでマクラーレンの2台が3位以下を周回遅れで1-2フィニッシュして、彼から「タイヤは良かったね」と言ってくれた瞬間かなと思います。

F1レースの現場で、タイヤ開発エンジニアとデータの確認

ミハエル・シューマッハの凄さ

 今まで色んなドライバーを見てきましたが、僕の中ではマイケル(シューマッハ)が偉大でしたね。あれだけプライベートの時間もレースのために考えている人はあんまりいないんじゃないかなと。
 冬にオフシーズンが終わってテストが始まりますよね。普通のドライバーは体重が増えているんですけどマイケルだけは絶対同じでしたね。シーズンオフとシーズン中で体重が変わらない。その当時バリチェロと同じチームだったんですけど、バリチェロはシーズンインでシートがきついと言ってたりして「それはおまえが重いからだ」とメカニックに怒られてました(笑)。
 テスト走行のフィードバックなんかでも周回ごとの各コーナーのフィーリング変化を入口、真ん中、出口それぞれに分けて教えてくれましたから。身体のセンサーもさることながら余裕があるんですよね。余裕が無いとそんなこと感じても覚えていられませんから。それを言葉としてアウトプットできる技量も含めて彼は偉大なドライバーでしたね。
 入社した時に「タイヤは生き物だから」と言われました。タイヤって複合材だから、全ての要素が相関的に変わるので一つを変えると全部変わってしまうんですよね。そこがやっぱり生き物。言うことを聞いてくれないんですよ。逆にそこがね、狙い通りにできたら嬉しいし、そうじゃなかったらまだまだだなと。動的シミュレーションがいくら発達してもドライバーから狙い通りのコメントがとれない時がある。やっぱり摩擦の科学がまだ極められていないからですよね。だからまだまだドライバーのお尻(の感覚)に頼る部分は多いと思います。理想のタイヤは空気みたいなタイヤ、つまり「タイヤがあると思わせないタイヤ」ですね。そんなタイヤをいつか作ってみたいです。

右からシューマッハ、バリチェロ、トッド、BSの副社長と@鈴鹿

タイヤの開発で協力して頂いた星野一義さん、松田次男さんとトークショウ@東京オートサロン

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