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近藤 俊 デジタル情報時代でも欠かせない機械の味わい深さ。

HUMAN TALK VOL.205 近藤 俊 デジタル情報時代でも欠かせない機械の味わい深さ。

PROFILE

近藤 俊
KONDO Shun

1964年3月 兵庫県神戸市生まれ
1987年に大手情報会社に入社。1991年から出版社の二玄社で広告営業を担当する。まだインターネットが一般に普及していなかった1998年にウェブ関連の仕事に関わり、2000年からはwebCGの事業責任者に。2015年、株式会社webCGが設立され代表取締役に就任してからは、会社とウェブサイトを牽引する。
http://www.webcg.net/

1998年に始まった『webCG』
雑誌『カーグラフィック』とは切り離された
この独自の「ウェブメディア」を
手探りで成長させてきたひとりが近藤俊さんだ
webCGの誕生、歴史と同時に
彼のカーライフをひも解かせていただき
ウェブメディアから見た理想の車像も聞いた

バイク少年

 家にはミニカーが、たくさんありました。うちの父親がクルマ好きだったんでしょうね。覚えているのは1/16スケールくらいのポルシェ911で、リアのエンジンが透けて見えていて、どういう仕組みだったのか音を出して動いたんです。おそらく911の初期型。幼いときはそういうのでいつも遊んでいて、家にはスバル360がありました。祖父が運転する助手席に乗ってドライブするのが好きでした。小学校の高学年ぐらいにはスーパーカーブームがきましたね。住んでいたのが神戸の街中だったので、近所にマセラティ・ボーラとか珍しい車を持っている人がいて、写真を撮らせてもらったり助手席に乗せてもらったりしていました。車に乗って移動するのが楽しいなと感じていたのかな。
 中学からは興味がバイクに移っていきました。家の裏がすぐ山で、山の奥のほうに行くと、当時は造成地がたくさんあったんです。そこで80ccのモトクロッサーに乗って遊ぶことに夢中でした。高校に入ると完全に興味はバイクにしぼられましたね。神戸って街と山が近くて、バイクで10分も走るとワインディングロードになるんです。六甲山を端から端まで行くと50㎞ぐらいあったかな、そこを毎日、ひたすら修行のように走る日々を送っていました。

雑誌NAVIとの出会い

 大学生になると車に乗り始める人もいて、ホンダのプレリュードとか、トヨタのレビン/トレノ(AE86)なんかが人気を集めていました。僕は相変わらず車よりバイクに興味があって、バイク漬けの日々。大学を卒業して、最初に就職した会社での配属先が東京で、いきなり上京することになったんです。1987年、世の中はまだバブルになりかけの頃でした。
 新入社員の自分に遊ぶ暇はなかったのですが、1988~89年ぐらいから自動車雑誌『NAVI』を読むようになりました。きっかけは……よく覚えていません(笑)。でも、そのNAVIで紹介されていたのを読んだのをきっかけに、スカイライン(R32)を購入することにしたんです。初期型2リッターターボのGTS-tタイプM、それが初めて所有した車でした。  NAVIはずっと愛読していて、1991年の春だかに、広告営業担当社員募集の記事を見つけました。その当時、広告営業の仕事をしていたのもあったけど、なんとなく……正直に言うと深くは考えずに履歴書を送ったら、縁あって入社が決まりました。二玄社という会社の広告営業部員として。新しい職場には、カーグラフィックの創刊編集長である小林彰太郎さんもいらっしゃったのですが、入社当時の僕はカーグラフィックを読んだこともなく、また二玄社にはなぜか小林という苗字の方が多くて、どなたが有名な小林さんかも最初はわかりませんでした(笑)。

近藤 俊

webCGスタート

 広告営業の仕事を1991年からやり始めて、どんなふうにwebCGに携わるようになったかというと、1997年かな、まだインターネットが一般的じゃない頃に、マイクロソフトから、自動車のウェブサイトを共同でやりませんかと提案があったんです。1年間限定で名前はMSNCG、マイクロソフトネットワークとCGをくっつけたサイト。当時はウェブサイトがそれほど多くなく、仕組みはあるけど見るものがない時代で、すべて手探り。新車ニュース、ちょっとした試乗記、あとは輸入車のグレードや価格がわかるデータベースのようなものが中心だったと思います。
 1年経って契約が終了して、二玄社としてはせっかく作ったものがあるのだから続けたらというので、webCGとして継続することになったんです。当時はインターネットが今後どう広がるのか、どんなふうに使われるのか、今のように普及するとは想像もつかない状況で、その先にどんな可能性があるのか誰も見えていませんでした。少なくとも社内では(笑)。ただ継続することが決まり、雑誌の広告営業の傍ら僕もwebCGに携わるようになったんです。編集作業は社内の別のスタッフが担当して、僕はサイトを作るという以外の雑多な仕事に関わりました。
 時期も良かったんでしょうね。2000年にはアメリカから自動車系のサイトも続々上陸してきました。今でいうカービュー、オートックワンの前身であるカーポイント、オートバイテルという新車見積もりサイトです。二玄社にはカーグラフィックという歴史ある雑誌もあったので評価していただいて、いくつかの会社からコンテンツを充実させるために制作を手伝ってもらえないかという話がありました。トヨタ自動車もGAZOO.comというサイトを立ち上げるにあたって、中身の記事を一緒に制作しないかと声をかけてくれました。

「W」という一文字

 約1年半、そんな態勢で運営したのですがwebCGの編集担当者が雑誌NAVIの編集長をやることになり、僕がwebCGの責任者となったんです。コンテンツと運営、両方を担当し始めたのをきっかけに、雑誌と同じように1つの独立したメディアとして取材活動にも力を入れるようになりました。
 ただ、当時ウェブ上の自動車メディアって日本ではほとんどなくて、独自で取材をしているところはうちだけ? という状況だったので苦労というか、メディアとして認めてもらうまでには時間がかかりましたね。試乗会に参加させてください、取材したいので車を貸してくださいという活動を2000年から始めたんですけど、最初はどこのメーカーも対応が慎重でした(笑)。ウェブメディアがまだ市民権を得ていないし、ウェブサイトを見るというのがまだまだ一般的ではなかったので仕方ないですね。車を貸りるのは雑誌での付き合いもあったので許可を得られても、試乗会には呼んでもらえないとか。「試乗会に来たら対応はするけど、案内状は出せません」とか(笑)。また、行ったら行ったで特別枠扱い。通常、試乗会ではホワイトボードにスケジュール表が書かれていて、メディア別に札が貼ってあるんです。でも、僕らのwebCGという札はありません。「W」の一文字を手書きした枠があって、どこのメディアだか僕ら以外はわからない(笑)。ウェブメディアがなかなか認知されない、そんな取材活動が1~2年は続きましたね。


近藤俊さんの青春時代をたどりながら
前号では『webCG』の誕生や歴史を聞いた
今回はさらに踏み込み、近藤さんのカーライフ
車の存在意義について語ってもらった

近藤 俊

5年で4台購入

 車って、買い始めるとクセになるんですね(笑)。初めて車を買ったのが1989年、スカイラインのGTS-tタイプMでした。それはもううれしくて、用もないのに首都高をグルグル回ったり、禁止されてたクルマ通勤したり……。どこに行くのも車と一緒の生活でした。
 1台買うと、欲しい車が次から次に。1980年代後半から1990年代前半は魅力的な車がたくさんあって、1991年春にはホンダのビートに乗り換えました。その年の夏に面接を受けて10月に二玄社に入社し、そこから先は“クルマ漬け”の毎日。翌年には、たまたま仕事で伺った中古車屋さんの店頭にあった、ランチア・デルタ インテグラーレを即決で買いました。さらに翌1993年には、二玄社の社有車で、『NAVI』という雑誌でのテストリポートが終わったホンダNSXを譲り受けて。振り返れば、5年間で4台買ったことになりますね。
 ビートはスカイラインを売って買ったんですけど、ランチアは純粋に増車をして、NSXを手に入れたときにそれを知人に譲り、ホンダの2シーターミドシップを2台所有している状態がその後10年ぐらい続きました。

北海道であわや遭難!?

 ビートでは北海道に2回行っているのですが、一回の旅行で4000kmぐらい走ったこともありました。あまり北海道のことを知らなかったので、買ったばかりのビートで林道に入って行ったときには「あわや」の事態もありました。林道って入り口付近はフラットな砂利道だから走っていて楽しいんですけど、そのうちどんどん道が荒れてきて、大丈夫かなって思うほど巨大な水たまりがあったりして、水深がわからないからおっかなびっくり(笑)。まだピカピカなのに底を打ちまくって、相当つらい思いをしながら林道を走っていたときです。道の真ん中に大きな水たまりが現れて、これは避けたほうがいいなと思い路肩ギリギリを走っていたら、いきなり路肩が崩れたんです。で、前後輪ともに崖側に脱輪してそこで動けなくなってしまった。カーナビも携帯電話もない時代、それまで1時間ほど林道を走り続けて、出会った車はゼロ。日暮れまで1時間くらいしかなくて、大変なことになりつつあるなという状況は理解できました。地図を見ると一番近い街まで5~6km。道端には「熊出没注意」の看板……。意を決して林道を歩いていたら、たまたま途中に工事現場を見つけて、そこのトラックに車を引っ張って助けてもらって命拾い(笑)。いい思い出になりましたけど、ひとつ間違ったら冬眠前のクマの餌食だったかもしれませんね(笑)。
 そんなふうに頻繁に車を売ったり買ったりしていた時期もありましたが、その後はすっかり落ち着きました。webCGの仕事でさまざまな車に乗るようになると、車の見方が違ってくるんですね。
 今の時代は「車趣味」を保つのが難しくなりました。昔の車って、純粋に機械だったじゃないですか。今じゃそうではなくなりつつある。電気、ハイブリッド……要は車が“電気モノ”に変わってきているというか。機械的なもののほうが、電気的なものよりも魅力があるように僕は感じます。モノとして見たときにおそらく100%メカでできているもののほうが、愛着が湧くんでしょうね。機械式時計と同じ感覚。機械動作以外の要素がたくさん入ってくると、その愛着が薄れてしまうんです。そんな気がしませんか? 新しい電子制御や技術を否定するつもりはありませんし、昔の車のほうが良かったという意見に対しても、僕はそうは考えたくないなと思っているんですけど。

近藤 俊
近藤 俊
近藤 俊
webCGの取材中のひとこま。雑誌とはまた違った制作サイドの難しさがウェブメディアにはある。スピードだけでは勝てない時代に、近藤さんは今後どのように勝負を挑むのか楽しみだ。

家電化が進む車

 最近の車はパソコンみたいな感覚です。それって、時間が経つと使えなくなるということを意味しているとも思います。こつこつ直すなんてこともできなければパーツもない。いまクラシックカーのイベントでは、1950年代から1980年代くらいまでの車が走っていますけど、例えば100年後に同じイベントがあってもそれらの車は走り続けていると思うんです。でも、100年後のその同じイベントで、いま最新の車が走っている姿って思い描けません。いつまで経ってもクラシックカーは1980年代ぐらいまでって感じがするんです。いまの車は、時間が経ってもクラシックカーにはなり得ないんじゃないでしょうか。
 車が家電化しているという話をしている人がいますが、それは正しいと思います。明らかに電気製品に近づいていますからね。昔の車では、ドア開けるのってノブをガチャ、でしたよね。メルセデスのGクラスなんかいまだにそうですけど、金庫を開けるみたいな感覚でした。それが今は手を触れるだけでドアが開いたりするんです。もう、ぜんぜん違うものになってきていますよね。
 今後、趣味としての車がどうなっていくのか? 車と付き合ってきた中で、最近はそんなことを考えるようになりました。今はいいけど、良いものを大切に長く使っていくという趣味の世界の車を考えると、昔の車は長く使えたかもしれないけど、今の車は長く使えないような気がしますね。50年後の車趣味を大事にするために、僕らも自動車メーカーも“今こそ”真剣に考えなければいけない時代なのではないでしょうか。
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