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坂東 正明 氏 モーター「スポーツ」ではなく「プロのレース」を目指す

HUMAN TALK VOL.181 坂東 正明 氏 モーター「スポーツ」ではなく「プロのレース」を目指す

PROFILE

坂東 正明
BANDO Masaaki

北海道出身
大学中退後19歳でトヨタ東京カローラに入社、20歳でレースデビュー。その後、坂東商会を設立、レーシングチューナーとして名を馳せる。レーシングプロジェクトバンドウは97年からJGTCのGT300クラスに参戦し、11年からはGT500に参戦。自身は07年に発足したGTA委員会の委員長に就任。08年4月にGTAが正式に法人化され、初代代表取締役に就任した。その後、GTA代表取締役に専念するため、有限会社坂東商会・株式会社レーシングプロジェクトバンドウの経営を坂東正敬に譲った。

いま国内で最も人気のある自動車レース「スーパーGT」
それを牽引するGTAのトップに立つのが坂東正明氏。
もともとは自らもレース参戦をして、
自チームを立ち上げてGTに継続参戦してきたチーム監督でもある。
その坂東氏がなぜGTA代表取締役となったのか?

坂東 正明
01年はトヨタMR-SでGT300に参戦。チームのメインスポンサーであるウェッズスポーツとはかなり長いお付き合いになる。

自作の楽しみ

 今から30年ほど前、坂東商会としてTRD(トヨタテクノクラフト)のパーツ卸しから事業が始まって、その卸しをやりながらレースをやってきました。あの頃は全日本ラリーだったり、KP61、AE86、富士のグランチャンピオンレース、ツーリングカーなど参加型カテゴリーが盛んに行われていて、自分で乗ったり車を作ったりしながら参加してきて、その延長線上にグループAがあったんです。私らはトヨタ車の中で82FXとAE92を使ってグループAに参戦して、他にもマカオのJTCCや北京ラリーに出たりしていました。エンジンで言えば3K、4Kという1300㏄から始まって、1600㏄の4A-Gを扱い、シャシーも作ってというプライベート参戦の中で、どこまで戦えるかという部分で楽しくレースをやってきました。自分と仲間で作ったお金で車を作り、徹夜で作業してサーキットに行って勝った、負けたっていうのが楽しかった時代です。
 そこからもっと、もっとと戦績を求めるようになって、運営資金も設備投資も半端ないワークス参戦するチームと戦っていくことになると、豊富な経験と鋭い勘だけでなく、走行データの収集がとても大きな割合を占めることになってきて、費用がかかってしまいます。そんな状況の中で、自分は多くのスポンサーを集めるプライベーターでやっていくことを選択しました。その頃からウェッズスポーツさんとはお付き合いをして、なおかつ国内のスプリング、マフラー、ブレーキパッド、シート、ダンパーのメーカーさんとお付き合いをして、そこからの支援や援助を受けながらレース参戦を継続してきました。他にも溶接加工、鋳物だったりモノ作りの部分もあるけれど、自分たちが手に入れられるものの中で、よりクオリティを上げてワークス勢を相手に戦ってきました。
 ほぼ自分たちで車を作っていたのがグループAで走らせていたAE92の頃。グループA参戦は長かったですね。そして、グループAが終わってJTCCというシリーズが始まって、その先に94年からスタートするJGTC(現スーパーGT)があるわけです。ただ私らはJGTCスタート直後はまだJTCCやシルビアのワンメイクをやっていて、初年度からは出ませんでした。初めて出たのが97年で、マシンはニスモと組んで作ったシルビア14。開幕戦で優勝して、そのままその年はチャンピオンを獲れました。98年からはセリカで出て……という感じです。メーカーからやってくれと言われたチームではなく、私らはあくまでプライベーターなので、参戦車両はトヨタだったり、ニッサンだったり、自分たちに与えられたものの中で速いマシンを作っていくことを楽しんでいましたね。

坂東 正明
09年、織戸学/片岡龍也のドライバーコンビで念願のGT300シリーズチャンピオンを獲得した。

突然の就任

 楽しい、頑張った、悔しいとか、そういうアマチュア時代を経て、少しでも勝つことを意識し始めると、さっき言ったように勘だけでなくデータも必要になってきます。たくさんデータ収集できればどんどん技術力を高められるし、それに投資してくれる方たちがいれば設備投資もできます。レースが発展していく中で、レースがだんだんとそういう形に変わってきました。楽しいレースというのはその頃までで、そこから先になるとやっぱり投資していただいたメーカーさんにちゃんと返す、要するに戦績を残すことに必死になるレースになっていったんです。そういう中で私が思っていたのが、アマチュアとプロの差。今の立場(GTA代表取締役)になって、もう少しそこの部分を私らが作り上げて、アマチュアとプロの差が出てこないといけないな、と。日本のモータースポーツにおいて「プロ化」ができているかと言えば、できていません。投資した人たちの株価が1円でも上がればいいわけで、そうなっていく仕組みを根底から作り上げないといけないなと。我々GTAはスポーツでなくプロのレースのようなものを作り上げないといけないと思っています。大手を含めて、これだけの企業が集まっている以上、やはりマーケティングや販売戦略であったり、そういう部分にレースというものがプロ化していかないとレーシングドライバーもチームも職種として継続できない。楽しい、うれしい、悔しい、頑張るんだって言っていたところから、プロのモーターレースというものになっていかないと、ビジネスが成り立っていかないんですね。ビジネスとして構築できるような態勢作りを今後はGTAとして、目標にしていかなければいけないと思っています。
 レーシングプロジェクトバンドウというチームとしては、多くのスポンサーに支えられながらJGTC/スーパーGTではGT300に継続参戦してきました。それが07年、シリーズ運営組織であるGTAが債務超過状態にあると分かり、GTA委員会が発足して私が委員長に就任したわけです。ものすごい観客を集める魅力的なレースだったのに、シリーズの運営が傾いていたんです。当時、私はエントラント協会の会長だったし、「このままなくなってしまっていいのか?」という思いが強かったですね。それでエントラントを含めて、皆で話し合った結果、もう一回立て直しましょうという結論に至ったんです。でも、誰かやるだろうって皆が思っていて、誰も結局は動こうとしなかった……。数億円の借金問題がある中では当然かもしれませんが、このままではシリーズがなくなってしまう、じゃあ誰がやるのかってなった時に、数億円の負債を抱えることになった坂東正明がそこにいたわけです。

日本を代表するレースとしてスーパーGTが
どういう方向へ向かっていけばいいのか?
GTA代表取締役に就いた坂東正明氏が、
思い描く理想の形の前に立ちはだかったのは日本のレースの問題点。
だが、坂東氏は25年後の日本に向けて一歩一歩進んでいく。

坂東 正明
09年からドイツのレースシリーズであるDTMを統括するITRと話し合いを続けてきたGTA。来年からそのDTMと車両規則を統合することになった。

プロモーターとして考えること

 スーパーGTの舵取りをする上で私が一番大事だと考えているのは、シリーズのプロ化です。アマチュアレースなら今までどおりやっていけばいい話で、シリーズがなくなっても誰かがまた作ってくれるだろうって待っていればいい。また新しいものができたら、そこに出ていけばいいわけです。でも、そんなことを繰り返していたら日本のモータースポーツは「プロのレース」にはならないんです。モーター「スポーツ」っていう中途半端な存在のまま。これまでの50年の日本のレースの歴史がそうで、文化としてはないに等しいわけですからね。
 今、日本の自動車メーカーに言いたいことは、モータースポーツがマーケティングの一環として、販売のツールとしてあり、そこに参加することによって企業や製品のクオリティの向上、そして販促、営業につながるということを認識していただきたいということです。ヨーロッパのモータースポーツの歴史と比べると50年の差があって歩みも違うわけですが、自動車メーカーとしてそれをツールとして使うことを考えていかないと継続的にそこにビジネスが成立することはありません。ビジネスとして成立し、経済が成り立っていけば、そこには文化も歴史も残っていくだろうというのが私の考えなのです。
 ヨーロッパの人たちからすると、今の東南アジアの市場の中心は日本じゃないかもしれないでしょう。でも、多くの自動車製造メーカーが存在する日本は自動車産業大国なんです。だから、自動車産業のベースとなるモータースポーツをしっかりやることが大事なんです。そのために、プロモーターとして意識することは、自分たちがそこに投資するだけではダメで、ファンがしっかりとついてこないとダメ。より多くのお客さんがサーキットに来場され、スタンドがいっぱいになって初めて、自動車メーカーはそこで走らせる意味があり、投資することができるわけですから。話題性があってお客さんが興味を持って観に来てくれることがメーカーのマーケティングや営業戦略につながってくるわけだから、そのしくみを作り上げるには、しっかりとシリーズをプロモートする必要があります。レースをより大きなビジネスの場とするために、日本のプロモーターの成功例をスーパーGTで作っていきたいというのが、代表取締役になってからずっと考えてきたことです。

坂東 正明
タイのブリラム・ユナイテッド・インターナショナル・サーキットでのスーパーGT開催も決定。来年を含めた2年間の契約を結んでいる。

25年後に向けて

とはいえ、まだまだ吠えているだけですから、自分が考えている理想には遠いですね。少しは変わったという声もありますが、まだまだです。やっぱりプロモーターとして、多くのお客さんが常に来場され、リピーターとして足を運んでもらえるレースをどうやって作っていくかをもっともっと考えていかないといけない。もっとレースを面白く見せる方法論はないのか? ドライバーは車というハコの中にいてヘルメットをかぶっているわけだから、その大変さや、ドライビング技術の競争は観客席まで伝わらない。
 例えば42.195㎞のフルマラソンのTV番組があったとします。アップで追いかけて、汗をかいているランナーの苦しさ、駆け引きが表情や体の動きで見えるわけですよ。苦しいんだ、頑張っているんだと伝わると、目を離せなくなりますよね。40㎞強走るのに2時間以上、レースの世界で40㎞走るのは数十分。でも、その短い時間ですらじっと見ていられない、興味を持てない人がいるんです。走っているのは車だけど、操っているのは人間なわけで、マシンのセッティングを考えるのも、それをメンテナンスするのもすべて人間。そこをもっと出していければ違う楽しみ方ができると思うんです。車って家族の移動手段でもあるけど、自分の趣味に合わせてカスタマイズするのも車の楽しみ方のひとつです。音もそう、いろんなスピーカーを付けたり。車の楽しみ方っていっぱいあります。レースでも、まだまだ違う楽しみ方があるんじゃないかって常に我々プロモーターが模索して、シリーズを導いていかないといけないんです。スーパーGTで行っているタイヤ交換でも給油でも、チームによって数秒の差が出る世界で、そのシビアな世界をもっとリアルに伝えていく方法があるはずなんです。
 私の頭の中にある理想としては、今スーパーGTに来てくれてキッズウォークに参加してくれている5歳、6歳の子供たちが、20~25年経って自分の子供ができた時に、父親や母親とどこに行って楽しかったかというひとつの思い出の中にサーキットが残っていればいいなということです。そしてサーキットに行ってみたら、あの時と同じような世界があって、自分が親としたように子供とキッズウォークを楽しめた――。継続してずっとやっていくことによってそういう人たちが増えていって、同時に20~25年後に同じ世界がそこにあれば、たぶん少しはスーパーGTというものが大きくなっていて、日本にも、日本の自動車メーカーにも意義があることだと言えるんじゃないかなって思います。ヨーロッパに追いつけ追い越せじゃなくて、25年後の日本に向けて、今スーパーGTに興味を持ってくれている子供たちが自分たちの子供たちを連れて来られるような環境を作ることが、私たちGTAの使命だと思っています。
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