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末永 正雄 氏 「「自分ならできる」と信じ続ける。」

HUMAN TALK VOL.165 末永 正雄氏「「自分ならできる」と信じ続ける。」

PROFILE

末永 正雄
SUENAGA Masao

1978年2月13日生まれ 鹿児島県出身
中学2年生からミニバイクレースに参戦し、高校2年生の時に鹿児島チャンピオンを獲得。02年からD1グランプリに参戦し、04年からRE雨宮のマツダRX-7(FD3S)を駆る。兄の直登もD1グランプリに参戦し、夢の兄弟対決は05年に実現して正雄が勝利するも10年のTOKYO DRIFT IN ODAIBAでは兄に敗北。今年のD1グランプリのリザルトは第3戦を終えた段階でシリーズ4位につける。
http://www.re-amemiya.co.jp/

D1グランプリでRE雨宮のマシンを颯爽と駆る末永正雄。
今でこそD1グランプリを代表するドライバーであるが、
最初から何もかもがうまくいっていたわけではなかった。
彼の強みは決してあきらめないこと。
「自分もできる」そう信じて努力してきた結果が今のポジションである。

末永 正雄

片手運転で練習開始

 親がバイクショップを経営している影響でミニバイクレースを中学2年生からやっていました。高校を卒業してからは就職をしてレース活動をしていたのですが、ケガが絶えないのである日会社から怒られたんですよ。骨折すると1ヶ月くらいは仕事ができなくなりますからね。で、ちょうど僕が骨折していたタイミングで兄がドリフトにのめり込んでいたので僕も興味を持ち、車だったら片手でも乗れるかなっていう安易な気持ちで友人の車に乗せてもらったんです。車を滑らせて走るドリフトは見た目以上に難しくて、簡単にできないのがすごく悔しかったのを覚えていますね。だから自分の車を買って本格的にやろう、と。ドリフトできるようになりたいっていう気持ちのままに、まだ骨折が治っていない片手運転状態で練習をスタートしていました。
 ドリフトの魅力って、やっぱりテクニックがすべてなこと。単純なんですけど、いくら良い車に乗っていてもドリフトできなければかっこ悪いし、どれだけボロくてもドリフトができればかっこ良く見えるんです。サーキットでのレースって、車も良くないといけないし、タイヤも良くないといけないし、何よりサーキットまで行かないと練習もできないじゃないですか。ドリフトの練習なら空き地があればできるし、車はFR車なら何でもよくて、タイヤも付いていればいいみたいなところからスタートできる。その手軽さも魅力のひとつだと思います。
 最初にドリフトの練習をやったのは広場でした。簡単そうに見えますが、車を滑らせる感覚を養うのはすごく難しい。その広場ですら僕はドリフトできませんでした。それが悔しくて悔しく、8の字とか定常円走行の反復練習をひたすらやっていましたね。で、広場で一緒にやっていたメンバーが峠に見に行こうよと誘ってくれ峠でも車に乗せてもらえる機会があったけど、そこでもうまくできなかった。広場である程度できるようになっていたのに、峠だとまったく違ったんです。だから広場を卒業して、今度は峠でできるようになりたいって一心で峠に通うようになりました。
 峠の次は、もちろんサーキットです。イベントや走行会を見に行って、自分もサーキットデビューしてみたところ……最初はまったく通用しなくて驚きました。峠でもそこそこ走れるようになって自信はあったけど、広場から峠へステップアップするよりも、まるで別世界でした。というのも、峠ってスピード云々よりもとにかくドリフトしていたらかっこいいっていう部分が強いけど、サーキットではただ滑らせて走るだけじゃダメ。進入時のスピード、角度によってドリフトのきれいさが決まるし、峠みたいに何でもいいからと付けたタイヤとは違うので白煙の上がり方も違う。僕らのようにローパワーでただドリフトしているのとは迫力が違いましたね。当時はまだD1グランプリも始まっていなくて、ドリフト雑誌やビデオに登場してくる人たちに負けたくない、いつか一緒に走って勝ちたいっていう思いでガムシャラにやってきたので、そこまでの日々の中で苦労を感じたことはなかったですね。今も同じで、苦労したっていう思い出はひとつもないです。だから長く続けられているのかもしれませんね。

末永 正雄

D1参戦2年目は全戦自走

 サーキットに通うようになると、全国で盛り上がりつつあるドリフトの大会が開催される情報も自然と耳に入ってきます。自分もそこで勝ちたい。そういう気持ちが強くなってきたあたりから、もう戻れない道に踏み込んでいたんでしょうね。今でも開催されていますが、まず参戦したのは「イカ天」という大会です。その九州大会でたまたま2位に入れて全国大会参加への権利を得られ、せっかく出られるんだからって岡山の備北ハイランドサーキットで開催された全国大会に出たんです。そしたら、たまたま全国4位になれて、D1グランプリ参加の権利を獲ることができ、チャレンジできるチャンスがあるなら出てみたらっていう周りの後押しもあり、たまたま権利を早く取れたから兄より一足先にデビューできることになったんです。
 D1グランプリは全国転戦なので参戦費用がかかり、何年も続けられないなっていう覚悟はしていました。1〜2年、そのぐらいかなって思いながら、1年目は自分の86で出ました。トラブルが多くて結果も残らなかったし、このまま86だけ乗っていてもドライバーとしてのスキルが上がらないなと思ったので、2年目は地元のショップ、クリアランスの協力を得てシルビアを製作してもらいました。全戦自走で行き、メンテナンスも全部クリアランスが面倒をみてくれて、費用を最小限に抑える。その中でも結果を残せるように頑張ってみよう、と。その03年に何とか結果を残せ、思ってもみなかったチームから声を掛けてもらえることになったんです。

RE雨宮のシートを得て、ガラリと環境が変わった。
勝つためにチームは動き、勝てるマシンを準備。
その責任感、プレッシャーは想像以上だった。
地元を離れる選択肢もあるが、
末永は今も18歳から続けてきた仕事とD1を両立している。
与えられた環境、支えられた環境の中で、
末永はD1チャンピオンの先にも目標を定めている。

末永 正雄

忘れられない05年筑波戦

 D1グランプリデビュー2年目の03年、地元ショップのクリアランスの協力を得て走らせたシルビアでたまたま良い結果を出すことができて、今も所属するRE雨宮レーシングから声を掛けてもらったんです。3年目に移籍して、大きく環境は変わりましたね。そもそも今まで参戦車両を自分たちで作るのが当たり前でしたが、すべてやっていただけるようになりました。むしろ勝てる車を与えてもらえ、今までとは違うプレッシャー、責任感というのも強くなりましたね。チームとしてシリーズチャンピオンを目指してやっているので、今の僕もそれに全力を注いでいます。チャンピオンが目標であり、D1グランプリにRE雨宮ありって言われるようなチームになることが目標ですね。今年で雨宮所属は9年目、基本的に今までシリーズチャンピオンが獲れそうなポジションにいながらいつも獲り逃しているので、全シーズン悔しいシーズンなんですけど、やっぱり05年1pt差で負けたあのシーズンが一番忘れられません。最終戦の筑波でチャンピオンを争っていた風間(靖幸)選手と接触してしまい、走行不能になってのリタイアという形だったんですけど、回避できなかった自分に悔しさがあり、今思えば未熟だったなって感じています。

末永 正雄

欠かさないサーキット走行

 もともとAE86で参戦してシルビアに乗り、RE雨宮に入りRX-7に乗り、現在はRX-8に乗っているんですけど、どんな車でもその車両の持っているポテンシャルを100%引き出すことができるドライバーになりたくて、いまだにそういう練習をするようにはしています。具体的にはセットアップ能力とドライビングテクニックの鍛錬なのですが、ドリフトだけをやっていてもダメなんですよ。やっぱり車両の限界を知っていなければ、ドリフトだろうがグリップ走行だろうが、マシンのポテンシャルを100%引き出すことはできないと思うんですよ。最近はイベントや地方選の審査員で呼んでいただくことが多くて練習時間を確保するのが難しいんですけど、スケジュールがあいている時は月に1回ぐらい地元の仲間とセキアサーキット(熊本県)や、オートポリス(大分県)へ行き、ドリフトだけでなくグリップ走行でのタイムアタックの練習なんかもやっています。近年のドリフトはかなり高速化してきていて、最初の頃は100㎞/hぐらいだったのが、今は200㎞/h超えて当たり前みたいな世界なので、そういうのにも体が順応するようトレーニングも兼ねてサーキット走行は欠かせません。
 でも、やっぱり練習量を確保するのは大変ですね。18歳から今の会社に勤め始めて、僕がドリフトを始めるようになり、先輩たちもスポーツカー好きってこともあって止められることもなく「頑張れよ」みたいな感じで応援していただけているんですが、D1グランプリ参戦と両立していく上での苦労は絶えませんよ。ただ、自分でショップを経営しながら参戦しているドライバーと比べるとどっちが良い、悪いとは言えませんけどね。もちろん、兄(末永直登)のように九州を出て上京しようって思ったことは何回もあったんですが、今は仕事もあり、昔からお世話になっているショップさんに協力していただき練習もできていて、すごく恵まれた環境にあると思っています。そういう環境を捨てて、今から上京して環境を整えるとなると厳しいでしょう。環境整備だけで1~2年かかってしまう。その間に結果が出なければ当然、ドライバーとしての生命線はなくなるでしょうし、そういうことを踏まえた結果、鹿児島に残る選択をし続けてきた感じですね。
 そんな参戦スタイルをしながら僕が目指しているのは、D1グランプリにとどまらず、さまざまなカテゴリーで活躍できるドライバーです。D1だからドリフトドライバー、それで終わりだって思われるのも嫌ですし、他のカテゴリーに参戦した時でも、やっぱり「D1ドライバーはすげぇな」って言われるようなドライバーになりたいですね。過去に、雨さん(雨宮勇美)にご褒美でGT300マシンに乗せていただいたことがあるんですけど、そっちの分野にも興味はあります。年齢的に厳しいのは分かっているんですけど、レースの世界にもまだ行きたいっていう気持ちはあるんですよ。D1からレースに活躍の場を広げていった織戸学さん、谷口信輝さんを見習いながら、自分も偉大なドライバーに仲間入りできればいいなって思っています。
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