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三浦 昂 夢はいつまでも大切に。

HUMAN TALK VOL.231 三浦 昂 夢はいつまでも大切に。

PROFILE

三浦 昂
MIURA Akira

1983年1月26日生まれ。2005年トヨタ車体に入社し、2006年の社員ナビ選考にてナビ候補に選抜。2007年にダカールラリー市販車部門でデビューウィンを果たし、以降2015年まで社員ナビとして計7回のダカールラリーに参戦、2回の部門優勝を収めた。2016年からはドライバーに転向し、TLC初の社員ドライバーとして完走。2018年大会で市販車部門優勝を果たした。

今年のダカールラリーで話題となったのが
TLC(TEAM LAND CRUISER TOYOTA AUTO BODY)
社員ドライバーが優勝したこと
しかも、ずっと経験を積んできたわけではない
三浦昂はドライバー3年目のルーキーで
社員ナビから転向した「異色の存在」だった
そんな彼の、砂漠に続く道を振り返る

ファミコンは欲しくない

 自分が覚えているなか、最初に抱いた将来の夢がレーシングドライバーでした。僕が小学校に上がる頃って、F1ではマクラーレン・ホンダがアイルトン・セナとチャンピオンを獲ったり、R32のGT-RがグループAで活躍していた時代で、そういうのをテレビや雑誌で目にする機会があったんです。でも、所詮は子供の憧れでした。父親が特別車好きというわけでもなく、社会人になるまでレースとは無縁、ごく一般的な学生時代でした。
 幼稚園から水泳を続け、Jリーグが開幕した小学校中学年からはサッカーに夢中になりました。僕は初代のファミコン世代でしたが、外で遊んだり体を動かすのが好きで、じつは欲しいと思ったことがありませんでした。誰もが誕生日やクリスマスプレゼントで欲しがっていた時代だから、友達には不思議がられていました。中学ではケガでサッカーを続けられなくなり、人と差がつきにくくて、誰もやっていないことを探した結果、剣道に落ち着きました。

三浦 昂
三浦 昂
深い砂のなかを走る区間が多いダカールラリーは、予期せぬアクシデントやトラブルも多い。TLC社員ドライバーとして臨んだ今年は、それらをかいくぐり市販車部門で初優勝を飾った。

道をつないだふたり

 いつしかレーシングドライバーになりたいという夢を隠すというか、表には出さなくなりました。「レーシングドライバー? そんなの無理、何を言っているんだ!」と言われるんじゃないかって勝手に決めつけて、友達にも親にも言わなくなり、頭のなかからどんどんその存在は薄らいでいきました。でも、要所でレーシングドライバーになりたかった夢を思い出させてくれる人が身近にいたんです。今はそれがあったからと本当に感謝しています。
 最初は母親でした。三者面談のときに、僕が将来の夢を「学校の先生になりたい」と答えたら「レーシングドライバーになりたいんじゃなかったの?」て切り出され、僕が「いやいや、無理でしょ」と言ったら「本当になりたいと思うなら、あきらめない方がいいんじゃないの」と返されたんです。そのとき僕は「そういえば、なりたかったよな」と思い出した程度でしたが、高校の進路を先生と話しているときも同じことを言われたんです。「子供の頃に夢を持っていなかったの?」と聞かれたときに、「小さい頃はレーシングドライバーになりたいと思っていましたが、それは難しいですよね」と話をしたら、その先生も「そうやって思ったときがあったなら、その夢は大切にした方がいいんじゃないか」と言ってくれたんです。
 みんな子供の頃って、正義のヒーローになるといった夢を持ったとしても、忘れていくじゃないですか。だけど僕の場合、たまたま要所で「子供の頃の夢」を思い出させてくれる人がいたんです。だから、大学に入って就職活動を始める段階で、やっぱりレースをやってみたいと思うようになりました。そのためには、まずはお金持ちにならなければと思い(笑)、稼げる仕事に就かなきゃって大学に行きながら他の専門学校に行って勉強をするようになったんです。
 3年生の頃、周囲では就職活動が始まっていて、自分は車が好きだから車のことを勉強できる仕事を探そうと、とりあえず大学の就職課に「自動車関係で募集をしているところはないですか?」と聞きに行きました。「トヨタ車体という会社が昨日まで募集していたのに」と言われて「またチャンスがあれば連絡ください」と電話番号を置いていったのですが、その日のうちに電話がが掛かってきて「説明会は終わったけれど、明日来てくれるならトヨタ車体が特別に説明会をしてくれるけど、どうしますか?」という話になり「行きます!」と即答しました。
 当時は正直、トヨタ車体がトヨタの車を作っているぐらいの認識でした。翌日、ひとりでトヨタ車体へ行ったときに見たのが、当時のランクル100がパリダカ(パリ-ダカールラリー、現ダカールラリー)に出たときの写真でした。会社説明をしてくれた就職人事の方から「これうちでやっているんだよ。パリダカって知っている? じつはうちの社員から募集して出ているんだよ」とそこで教えてもらいました。トヨタがパリダカに参戦しているのは知っていたけれど、実際にはトヨタ車体が運営していたのは知りませんでした。しかもプロドライバーと社員契約をしているわけではなく、「普通に定期入社した人から公募して採用するんだよ」と聞いて、チャンスがあった! と胸が高鳴りました。トヨタ車体が公募して採用するのはドライバーではなくその横に乗車するナビゲーターなのですが、とにかくレースとの接点ができる、ドライバーに近い存在になれるチャンスだと僕は思い、人生の舵を大きく切りました。とにかく、この会社に入るぞ、と。



チャンスは思ったよりも早くやって来たが
そこから先がいばらの道だった……
社員ナビへの道はもちろん、デビューしてからも
苦労が続くなか、成長のステップとなったのは
いつも心に響く言葉だったと三浦昂は振り返る
ナビからドライバー転向を決めたときもそうだった

三浦 昂

 入社してランクルを作る吉原工場が最初の配属地でしたが、これまた運が良く入社1年後に社員ナビの公募がかかり、2年目の2006年5月に、社員ナビの候補として正式に採用が決まりました。総務部広報室のダカールラリー推進グループへ異動し、仕事もスポンサー営業から選手の遠征に関する手配など、これまでの業務内容から一変しました。ナビゲーターとしての本格的なトレーニングも始まり、アフリカのモロッコで当時のパリダカのコースを使ってナビゲーションの練習を重ねるなど、実践トレーニングのプログラムを積んでいきました。それがとにかくきつく、最初は楽しいと思える時間がなかったです(苦笑)。
 国内でもマウンテンバイクで山を走ってナビゲーションの感覚を養ったりもしましたし、体力強化も自分なりに必死にやっていましたが……たぶん、ぜんぜんできていなかったんですよ。今振り返れば、とにかくレースに出たいという憧れだけできたので、候補になった先のイメージが当時の自分のなかにはなかったのかな、と。社会人2年目で、仕事の進め方もまだまだ、でも仕事を組む相手は完全結果主義のプロ選手。正直、精神的にも肉体的にも追い込まれて、自分がチームに関わっているという実感も持てていませんでした。

三浦 昂
2016年に社員ドライバーとしてデビューしてからタッグを組むナビゲーター、ローラン・リシトロイシター。「3年で優勝するぞ」という彼の言葉どおり、3年目に見事優勝を果たした。

社員ナビ終了へ

 そんななかで迎えた2007年のデビュー戦で、優勝してしまったんです。自分でもなぜ勝てたのかが分からず、明日こそ、明日こそって思っているうちに、最終日になっていたんです。毎日失敗ばかりで「優勝してどう?」と感想を聞かれて、「役に立てなかったから悔しいです」と僕は言ったらしく、なんだコイツってみんなに思われたみたいです(笑)。チームの監督には「来年からはデビュー戦で勝ったナビゲーターとして周りからは見られるぞ」と言われました。この言葉がきっかけで、とにかく全部やれることをやらなければと全部のスイッチが入った気がします。自分自身に実力がないことを十分に分かっていたので、それに見合う実力をつける以外に方法はなかったわけですからね。
 2008年は大会が中止になりましたが、2009年はいろんなトラブルがあったなかで2勝目を挙げることができ、1回目に勝ったときよりも実感がありました。社員ナビだから乗せる、じゃなく、ナビゲーターとして三浦が必要だとチームに言ってもらえるようになりたいと、さらに気持ちが高まった年でした。でも、ダカールラリーは甘くありません。かつてないほどドライバーから信用してもらって臨めた2010年は、残念ながらリタイアに終わり、僕の社員ナビとしての任務もこの年で終了。次の世代との交代時期がきたのです。こんなにナビゲーターにやり甲斐を感じているのに交代しなければいけないなんて……与えられたチャンスは限られたもので、それがどれだけ大切なものなのかを思い知らされました。もちろん、自分はまだやりたい、声をかけてもらえれば、いつでも乗れる準備はしておきますと伝えて、日常の仕事をこなしながら、その日がいつかやってきたらいいなと僅かな期待を持ってナビゲーターのシートを降りました。

カメラマンの言葉

 いつかチャンスがあればと待っていると、2013年に「もう一回乗らないか」と声がかかりました。ダカールラリーがかつての冒険的な時代ではなくなり、どんどんスピード化。ドライビングもナビゲーションも高い精度が求められる難しい時期で、なおかつ2012年にチームの6連覇がストップして王座奪還が至上命題でした。もちろん「やります」と即答して、2013~2015年の3年間を再び社員ナビとして過ごさせてもらったのですが、結果はすべて2位……。毎年、悔しい思いをしていました。
 そんなとき、また転機が訪れました。2015年のゴール後、いつも現場でも取材してくれているムービーのカメラマンさんに「来年も三浦が出るんだったら自分は取材に来るのをやめようかな」と言われたんです。「チャレンジ感がないから。だって本当は三浦はドライバーをやりたいんでしょ。このままだったら腰掛けじゃんか」と。それはまた、自分の小さい頃の夢を思い出させてくれる言葉でもありました。
 2015年はトヨタ車体にとって創立70周年の年。全社的に新しいチャレンジを掲げていたこともあり、自分は「社員ドライバー」を提案してみたんです。社内では笑った人、怒った人もいたし、実現する上ではさまざまな障害が山積みでした。でも、プロのドライバーでもなく、モータースポーツの経験のない自分が挑むからこそ、誰かが何かを感じてくれるチャンスがあると心底思ったんです。カメラマンさんの言葉を胸に進み続けていくと協力者が次々に出てきて、ついに「社員ドライバー」プロジェクトをスタートできることになったんです。
 前例がないなかで2016年に初めての社員ドライバーとしてデビューして、3年目の今年のダカールラリーで念願の市販車部門での優勝を達成できました。ゴールしたときは自分の嬉しさよりも、感謝の気持ちが本当に大きかったですね。チームや応援してくれている人に勝たせてもらった大会だったという感謝、そして人生の要所で自分の夢を思い出すきっかけをくれた人たちへの感謝……。本当に恵まれた人生だと噛み締めています。

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