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城市 邦夫 クルマをきっかけとしたエンターテイメントショーに

HUMAN TALK VOL.219 城市 邦夫 クルマをきっかけとしたエンターテイメントショーに

PROFILE

城市 邦夫
JOUICHI Kunio

30代後半に交通タイムス社のCARトップ編集長を長年つとめた後、独立してXaCAR(ザッカー)を創刊。さまざまな自動車系の雑誌を手掛け、3年前に再びCARトップ編集長に復帰し、業界最古参であり名物編集長といわれる。現在、交通タイムス社取締役編集局長として、WEBを始め多くの雑誌を統括している。

1月の東京オートサロン、2月の大阪オートメッセと
日本のカスタマイズシーンを語る上で欠かせない2大モーターショー。
東京、大阪と出展社の顔ぶれからは大きな差異は見られないが、
明らかに東京とは異なる雰囲気をもつユニークなショーだ。
そこで実行委員長の城市邦夫氏に語ってもらった

カスタマイズシーン黎明期

 大阪オートメッセの第1回目開催は、1997年(平成9年)の2月でしたが、そのきっかけは、開催の2年前、1995年(平成7年)に行われた車検制度の見直しでした。同年1月には阪神大震災が起きたため、あまり世間的には注目されていなかったかもしれません。しかし、この「規制緩和」によって、自動車のカスタマイズシーンは、大きく変貌し、今の繁栄に繋がるきっかけとなったと言えるのではないでしょうか。
 その当時、大阪では純粋に「カスタマイズ」を取り扱ったモーターショーはまだありません。東京モーターショーの流れを汲んだ、いわゆる地方モーターショーも開催されていませんでした。開催へ向けて、まさに手探りで準備していた際に、業界の先駆者であった、東京オートサロンへご挨拶にうかがったりもしました。
 すでに弊社では、今年、創刊50周年を迎える新車情報誌「カートップ」を始め、さまざまな自動車専門誌を刊行していましたが、この規制緩和と前後する形で、いわゆる改造と呼ばれていた、イメージ的にはややアウトローな文化だったカスタマイズを、新たな視点から捉える雑誌を次々と創刊いたしました。ドレスアップ専門誌として「ワゴニスト」、「オートファッション・インプ」、「VIPスタイル」、「Kスタイル」など。また、車種限定の「GT-Rマガジン」など、それらは、ほぼ同じ時期に創刊されています。
 「規制緩和」によって動きはじめた1997年、ようやく第1回大阪オートメッセの開催に臨みました。会場はインテックス大阪の6号館AとBの2ホール。規模的には現在の四分の一ですね。出展社数は122社でしたが、予想を上回る来場者で賑わいました。

城市 邦夫
城市 邦夫
第一戦の開幕も控えたSUPER GTの車両展示は毎回好評を博している。

イベントとして急成長

 第1回目の開催をインテックス大阪で行い、盛況に終えたのですが、第2回目の開催は、大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)でした。手探りで始めたイベントらしい失敗談ですが、どうやら誰も会場予約をしていなかったのです。ほとほと困り果てていたところ、ちょうど、開業して1年経った大阪ドームでの開催にこぎつけることができました。業界全体が拡大へ向けて次第に加速し始めた最中、不本意ながら会場規模を小さくしての第2回開催は、入場待ちをする来場者の行列が、大阪ドームを何周も周回した上に、近隣のJR大正駅まで繋がってしまったり、入りきれない来場者のために開場時間を延長したりと、様々なトラブルを巻き起こしてしまいました。
 第3回目の開催となる1999年からは、ふたたび会場をインテックス大阪へ戻しての開催となりますが、これまた、会場の駐車場へ向かう車列が、会場近くの高速出口から阪神高速の環状線にまで伸びてしまうほどの大渋滞を引き起こしてしまうなど、対応には苦慮しました。
 また、大阪オートメッセは、モーターショーの類でありながら、早い段階から、クルマで楽しめるエンターテインメントのひとつとして音楽を大切に考えていました。その姿勢が今のイベントステージへと繋がるのですが、当初のステージは、館内に収めていました。ところが、出展社が増えるに従って、追い出されるように2005年、現在の場所へと移ります。その時、ステージの向きは今とは逆で西ゲート側に客席が広がる構造でした。その年にご来場いただいたのが倖田來未さんです。ちょうど人気に火がつき始めた頃だったのですが、想定を大きく超えるお客さんが集まり、西ゲートを塞いでしまう事態を引き起こしてしまい、会場に入れないお客さんが外に溢れることとなってしまいました。翌年からステージの向きが会場中庭へ向いて、野外フェスのようになりました。収容数には余裕ができたはずですが、それも2014年のE-girlsさんが来場された際は、その中庭いっぱいにお客さんが広がるといったことも経験しています。

城市 邦夫
2015年の「ナイトロサーカス」デモジャンプ実施。

アフターパーツ業界のメジャー化

 また、1998年から2003年にかけて、自動車メーカーの参入が相次ぎます。当初は、自動車メーカーのオプションやアクセサリーの部署が出展するような形でしたが、その規模は次第に拡大し、自動車メーカーのブランドを掲げての出展へと成長します。これが、今の規模へと繋がって行きました。
 アフターパーツ業界は、一部を除いて、いわゆる自動車メーカー系列ではない、サードパーティー的な存在でしたが、規制緩和に続いて、自動車メーカーの参入は、新たな風を吹き込みました。いくら規制緩和されたとはいえ、カスタマイズを行うユーザーにおいて、車検をクリアするか否かは、パーツを選択する際の重要な指針となっていましたし、さらに自動車メーカーやディーラーが、安心して取り扱えるアフターパーツを目指して、取り付けや商品品質の向上が熱心に語られたのもその頃です。
 アフターパーツ業界は、それらに対して一丸となって、たゆまぬ努力を重ねることによって、確実にクリアしてきたと思います。そのおかげで、ユーザーを逃すことなく、カスタマイズを取り巻くムーブメントはさらに大きくなり、カスタマイズのジャンルそのものが、巨大化、細分化していったと言えるでしょう。



車検制度の規制緩和により、大きく変化したカスタマイズシーン。
時代の波に乗り、急成長を遂げた大阪オートメッセは
リーマン・ショックという世界的な景気変動を境に
あらためてイベントとしての意義を問われることとなる。
今回も引き続き実行委員長の城市邦夫氏に語ってもらった

急成長から激動の時代へ

 1990年の新車販売台数は780万台でした。これは、いわゆるバブル景気が残した数字だと思います。その後、大阪オートメッセがスタートする1997年までは700万台をいったり来たりと、バブル崩壊後だったにも関わらず、自動車関連においてその影響は、緩やかなものだったのかもしれません。しかし、そんな状況も、2008年から2009年にかけて起きたリーマン・ショックによって一変しました。2008年にすべての国内自動車メーカーが出展していた大阪オートメッセにおいても、出展の取り消しが相次ぎ、2009年の国内自動車メーカーの出展は一気に2社にまで減りました。その翌年2010年と2011年は、トヨタただ1社のみという年となりました。同時に、開催の規模も大幅に縮小しました。インテックス大阪の7館を使用していたものが5館となり。来場者も大幅に減少。かなりのダメージを受け、その後の展開に大きな影響を与えるきっかけとなりました。

城市 邦夫
城市 邦夫
関西を代表するFM局、FM802とコラボしてのステージは、毎回豪華アーティストが参加する。

原点・地元回帰へ

 2007年末に日産からGT-R復活となるR35が発売されました。さらに、大阪では2008年2月、橋下徹知事が誕生しています。リーマン・ショックの影響を受けた2009年開催の際、橋下知事(当時)にご来場いただきました。自動車メーカーの出展が激減する最中、偶然とはいえ橋下知事にご来場いただけたのは大変勇気づけられた出来事でした。その後、リーマン・ショックの荒波をどう乗り越えようかと考える中、自然とたどり着いたのは「原点・地元」回帰でした。
 カスタマイズを中心に据えてきた当イベントでしたが、その元となる自動車に改めてスポットライトを当てました。2009年に「昭和の名車ゾーン」を展開し、今でいうヘリテイジカーの魅力を訴求。2010年には「カー・オブ・ザ・イヤー」のノミネート車両を展示し新型車の魅力を。また、2011年は大阪府のEVタクシーの体験試乗会を実施しています。カスタマイズだけに捉われない自動車の魅力を幅広く引き出すこと、開催地の大阪・関西との密接な関係をより強固なものにすることを目指して、歩み始めます。
 さらに求めたのがオリジナリティの追求です。それは「他にはない面白さ」の追求に他なりません。当イベント要素のほとんどは、出展社によって形作られています。そこで、逆に、出展社ではカバーできないような箇所、他のモーターショーには無い要素を求めることに注力しました。そのおかげもあってか、インテックス大阪で毎年開催のイベントとしては、集客、規模ともに最大と胸を張れるまでに、成長することができ、2016年には再び、国内自動車メーカー全社に出展いただけるまでに規模を戻すことができました。

城市 邦夫
安全への啓蒙のため、地元の小学生を招いて行う交通安全教室。
城市 邦夫
日本全国のB級グルメが楽しめるフードパークも毎回人気だ。

「クルマ好き」を増やすには?

 今では当たり前となったスマホは、携帯電話というカテゴリーだったものから、音楽や映像、雑誌などのコンテンツをすべて飲み込むように急成長、急拡大を遂げました。これまでは「新車」や「カスタマイズ」など、自動車情報において重要なポジションを占めてきた「自動車雑誌」も例外なくその影響を受けることとなりました。あらゆる情報をスマホからという流れです。その一方で体験・ライブを伴うものへの人気、需要は、スマホ・SNSの人気とともにますます高まっているように感じています。
 イベントを主催してきた我々も、目まぐるしく変化する社会状況に少なからず戸惑っていますが、これまでのカスタマイズの時代を振り返ってみても、それこそ、タケヤリ・デッパと呼ばれていたような改造車が、チューニング、ドレスアップと広がり、受け入れられ、ユーザー層が変わってきたように、クルマの進化や社会環境の変化によって「クルマ好き」は、その姿を変えつつあるのだと思います。「クルマ離れ」の正体は「クルマ好き」がスマホをはじめとする情報化によってより細分化した、と見るのが正しいのではないでしょうか。その証拠というわけではありませんが、大阪オートメッセの来場者は、ある一定数を保ち続けています。これは様々なカスタマイズを提案してきた全出展社の努力の賜物だと思います。
 前回から、主催者企画として展開しています「アクティブライフ・ホール」は、そんな我々の挑戦のひとつです。ここでいう「アクティブライフ」とは、アウトドアやキャンプ、マリンスポーツや日帰りドライブなどをイメージしたタイトルです。その中心には必ず自動車がある、という意味が込められています。クルマはオーナーのライフスタイルや趣味によって、まだまだカスタマイズできる要素にあふれています。
 さらに、クルマ=男社会という既成概念にも挑戦したいと思っています。具体的にイベント化はできてはいませんが、第20回目開催では、ロゴマークやマスコットキャラクターをそれまでのイメージから大きく変更しました。また、交通事故から子供を守りたい、という思いから、今回、JAF関西本部の協力を得て、会場近隣の大阪市立南港桜小学校の生徒が参加する交通安全教室を開催しました。このように新しいチャレンジを続けるのは「クルマ好き」を少しでも増やすためです。自動車業界発展のため、イベントが少しでもお役に立てれば、と考えています。

※写真提供:大阪オートメッセ事務局

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