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由良 拓也 “空気が読める男”の次のステージ

HUMAN TALK VOL.195 由良 拓也 “空気が読める男”の次のステージ

PROFILE

由良 拓也
YURA Takuya

1951年、東京都生まれ
育英高等専門学校在校中からレーシングカー製作の世界に入り、72年にフリーで仕事を始め、そのエアロダイナミクスに優れたデザインのレーシングカーが好成績をおさめて「空気が読める男」と呼ばれる。75年にムーンクラフトを設立した。

1971年を皮切りにして、これまで50台を超す
レーシングカーをデザインしてきた由良拓也氏
当初はスタイリングであったボディカウルだが
時代とともに空力追求の最重要項目となり
優先項目も、考え方も変化していった
そんな由良氏のキャリアを振り返りながら
彼が目指している「次なるステージ」を聞く

由良 拓也
1971年に製作した、事実上の由良氏の処女作、パシフィックF2000。

 モノ作りに興味を持ち始めたのは、中学校で落ちこぼれたあたりからです。絵ばかり描いて工作には夢中になれるけど、勉強にはいまひとつ身が入らなかったんです。父が工業デザイン事務所をやっていて、そこでいろいろなモノが生み出されるのを近くで見ていたこともあって、小さい頃からモノ作り、デザインすることにすごく魅力を感じていました。純粋に好きだったんですね。算数のノートでも、国語のノートでも、絵を描いているスペースの方が多かったのを覚えています。そして、レーシングカーの格好よさに憧れてこの世界に知らないうちに足を突っ込んでいたんです。もちろん、自分自身で車を走らせるというのも大好きですけど、速くないっていうのはすぐに分かりました(笑)。うまくて速い人たちが周りにいっぱいいるわけですよ。素質があるかという部分で考えたとき、やっぱり自分はモノを作る側の人間なのかなというのは早い時点で分かりました。ただ、車の運転はすごく好きなので、今でもサーキットを走るようなことはありますよ。

由良 拓也
由良 拓也
(上)75年にムーンクラフト設立。ノバエンジニアリングの隣の敷地にプレハブを建てた。(下)設立直後の社屋もプレハブだった。

思い出深いのは失敗作

 父の仕事の影響もありますし、自分自身がモノ作りに興味があってどんどん引き込まれていったからか、何かを生み出す上での発想のツールみたいなのが、幼少の頃から培われたのだと思います。何か形を生み出すのに、すごく悩むってことがあまりないんです。こういうものを作るというプロジェクトがあると、すぐにこんなのがいいんじゃないかというアイデアが出てきて、あとはそれをどういうふうにまとめていくかを考えていけばいいだけだったんです。  それが初めて形になったのが1971年、21歳のときに作ったフォーミュラ、パシフィックF2000。レーシングカーのことをまったく分からないまま作った事実上の処女作です。飛行機の絵を描いた延長線上のデザインで、フロントウイングやサイドラジエターのインテークが飛行機のようでした。ラジエターインテークの縁に前縁フラップみたいなスジ彫りが入っているんですけど、飛行機のプラモデルがそうなっていたんです。仕事を依頼された小野昌朗さん(現東京アールアンドディー社長)には「これ、何?」と聞かれたけど、「何となく(笑)」としか答えられなかったですね。小野さんに声を掛けていただいてうれしくなって引き受けた仕事だったので、今から思えば驚くほど安いギャラしかもらわないで作りました。
 以後はグラチャンのマシンをいろいろ作って、コジマのF1マシンをはじめフォーミュラカーもたくさん作ってきました。スポーツカーはMCSグッピーもそうですし、RX-7はずいぶん作りましたね。マツダ717C、ヤマハのスーパーカーOX99-11を作ったり。あと最初に形をデザインして、その後はまったくタッチはしていないけれど、トミーカイラZZは全面的に僕のデザインなんです。あまり知られていないことですけどね。
 70年代の頃は今でいう空気力学という考え方なんてものはなくて、思いつきでいろいろ作ってみて失敗を重ねながらこういう方向性なのかなと探っていく時代でした。当然、風洞なかの設備もありません。風洞が出てきたのは80年代、85~86年。それが登場してからはデザインの仕方も変わってきて、走らせるまで分からなかったことが、事前に分かり始めたわけです。最初の頃の風洞ってそんなに精度が高かったわけじゃないけど、当たらずとも遠からずという感じで、形になる前の様子がかなり見えてきました。
 よく「これまで作ってきた中で一番気に入っているマシンは?」と聞かれますが、思い浮かぶものがないといつも答えます。モノ作りって、たとえば車を作るにしても、これを作ろうと言った瞬間に時間の流れが止まってしまうんです。その段階での知識やノウハウをもとに製作を開始するわけですから。金太郎飴のように、バンッて切ったそこで形になる。モノを作り続ける中で、ここをこうすれば良かった、ああすれば良かったなというアイデアがいっぱい出てきて、そうすると作り始めていたものが完成する頃には盛り込めなかった良いアイデアがたくさんあったりするので、こんなものしかできなかったなっていう気持ちが強くなるんです。だから、失敗作の方が思い入れはありますね。
 たとえば1977年の紫電。皆には格好いいって言ってもらっていたんですけど、ちゃんと走りませんでした。この頃は当てずっぽうというか、車のデザインって理論や力学では語られず、スタイリングだったんですね。良いのか悪いのかもよく分かっていなくて作った結果、ダメだった。ただ、当時の紫電のその形のままでも、今ならちゃんと走る車に仕上げることはできます。当時はそれが分からなかっただけなんです。
 自分の会社であるムーンクラフトを立ち上げたのは23歳のとき、1975年です。それまでの丁稚時代はいろんな人のお手伝いをしていて、75年にレーシングマシンのデザインを専門にやる会社をやろうと立ち上げていたんです。だから、一度も正式に給料をもらって働いたことがないですね。まあ会社と言っても野っ原の上のプレハブですけどね。地主さんに土地を借りてプレハブを建てて、そこで車作りをしていたんです。当時、何か将来のことを思い描いていたかと言われれば、何も描いていないですね。運が良かったので、目の前にやることがいっぱいあったんです。この車を作る、あの車を作る、今度こういう車があるんだけどと声を掛けられて、「ぜひやらせてください」の繰り返しです。新しい車を作れるということに本当に夢中でした。


レーシングカーデザインという特殊な仕事に
情熱を燃やし続けてきた由良拓也さん
Cカーからフォーミュラまで多くのマシンを
デザインしつつ、レーシングチームにまで
手を広げて国内レースの最高峰にまで到達した
ボディカウルは単なるスタイリングから
現代の機能を持った形状、空力重視の設計へ
進化していくレーシングカーを追いかけながら
由良はどんな目的地をつないできたのか

由良 拓也
国産初のF3000シャシーMC030。F1を見据えて製作したオリジナルシャシーを目指したが、ディレクター業も忙しく「本当の意味でMCシリーズには打ち込めなかった」と由良。

 83年からCカー(※1)を作るようになって、ル・マン24時間レースにも毎年のように行っていました。自分がデザインしたマシンがル・マン24時間レースを走るなんて……本当に夢が次々にかなっていくようでした。
 80年代後半、88年はフットワークのF1戦略の第一弾として、鈴木亜久里とオリジナルシャシーで戦おうと作ったのがMC030です。気持ちだけでクルマは作れないと痛感したモデルでしたが、F1チャレンジを目指して発展させようと考えていたので、フットワーク・フォーミュラに突き進んだ時期でしたね。でも、結局はオリジナルカー作りは停滞してしまって、フットワークはオリジナルカーの開発を打ち切り、突然アロウズを買収してF1参戦することになり、僕だけ取り残される形になってしまったんです。今から思えば、モノ作りのおもしろさからレースのおもしろさに目覚めちゃった時期でしたね。自分でチームを作ってチャンピオンになって、レースっておもしろいなって。レースがどれだけおもしろいか分かってくると、一番ピュアなのはフォーミュラのレースだという結論が見えてきます。だから、通らなければいけない道ではあったんです。もう一度人生があって同じ状況になっても、自分は同じ選択をしただろうと思います。

(※1)Cカ―=グループC規定のレース車両

由良 拓也
由良 拓也

好評なエボーラ。

 当時のクルマのボディはスタイリングで、今は機能を持った形、設計ですよね。すべてコンピュータで作れるようになり、以前はここまでしかできなかったのに、今だとここまで入り込めるとか、年々クルマを作ることが大変になり、難しくなっています。今年も縁があってGT300を走るロータスのエボーラを発表したんですけど、前だったらこれで完成というレベルがずっと手前にあったのに、今はぜんぜん先までいかないと完成の領域までたどり着けなくなりました。CADのなかには宇宙があるじゃないですか。ここに隙間があるからこんなものが置けるとか。以前は作ってから眺めたときに、レイアウトをこうできるねと言っていた時代なのに、いまはコンピュータのなかで作ることを完結できてしまう。そうすると、最初から凝り出してしまうんですよね。
 うちの会社には専任の設計者たちがいて、CADを操作しています。僕は毎日、昼と夕方の2回ほどひとりひとりのパソコンの横に行って、ここをこうしてくれとリクエストしたり、悩んでいたらこういうふうにしたらとアドバイスしています。任せているはずなのに、かなり参加しています。そこが一番の楽しみでもありますからね。来られるほうは、また来たって思っているでしょうけど、口を出すなって言っても無理ですね(笑)。今まで車を作ってきて、僕の作ったものってみんながかっこいいと言ってくれないものばかりでした。でも、今年のエボーラはかっこいいと言ってくれる人が多いです。そもそもエボーラがかっこいいというのもあるのでしょうが。
 エンケイとの付き合いは昔からあって、最近ではフィアット500のオールナインをコラボさせていただきました。エンケイのはダイヤモンドカットでピカピカ、うちのは銀色の塗装、昔のアバルトのイメージでオリジナルホイールを作ってもらったんです。これもかなり評判はいいです。
 今はやりたいことをやれる世界にいるので、そういう意味ではすごく幸せだな、今後も続けられればいいなと思っています。歳も歳だし野望はないですけど、いま一番怖いのは年齢の問題で目が見えなくなったり、手先が器用に動かなくなって仕事ができなくなったとき。大好きなことをこれからもずっと続けたい。ただそれだけなんです。

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