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熊久保 信重 氏 「サーキットの常識を変えた男。」

PROFILE

熊久保 信重
KUMAKUBO Nobushige

1970年2月10日生まれ 福島県出身
モトクロスレースからモータースポーツに入り、エビスサーキット就職後の24歳にドリフトに目覚める。01年にD1グランプリに初参戦を果たし、以後シリーズに継続参戦。01年にはシリーズチャンピオンに輝いた。またドライバーであると同時に、02年から世界中でドリフトを広める伝道師としてドリフトショーやデモランを開催して、近年は世界中からドリフトを学びたいと来日する外国人たちのスクールも手がけている。

ドリフトの聖地・エビスサーキットの社長であり、チームオレンジのリーダーを務める熊久保信重。
06年にはD1グランプリのチャンピオンに輝き、
そのドリフトのテクニックは世界にも認められている。
だが、ドライバーとしての活躍は彼の一面にすぎない。
まだドリフトが世間からは冷たい目で見られていた頃、
彼は非凡な発想力で常識を変えようと立ち上がった。

熊久保信重

 エビスサーキットはもともと父が所有していたもので、昔はダートラのコースだったんです。ニッサンのテストコースでもあり、その当時よく走りに来ていたのが星野一義さんと長谷見昌弘さん。ほぼ毎週のように来てここに住んでいるんじゃないかっていうぐらい毎日いたので、小学校低学年の僕からすると当時は星野のおじちゃん、長谷見のおじちゃんだったわけですよ。ある時、星野さんが父に「息子にモトクロスをやらせなさい」と言ったそうです。自分もものすごく興味があったので、小学生の3年生ぐらいからモトクロスに乗り始めることになりました。夕方、学校から帰って来ると、テストを終えた星野さんが『さあ、乗るぞ』って見ていてくれて、毎週のように練習をしていました。そういうのもあって、生まれつきモータースポーツと触れ合った状態からスタートしているんです。
 その後、モトクロスにどんどんのめり込んでいって全日本選手権まで上がり、ヤマハライダーとして走っていたんですけど、年齢も20歳ぐらいになり、ケガもして、いろんなものにも目覚めた(笑)。もちろん下のクラスではいろいろチャンピオンを獲ったんですけど、さすがに全日本選手権になると良い成績も残せず、20歳ちょっと過ぎで参戦を辞めてしまいました。

まず自分が楽しむこと

 話が戻りますが、自分がモトクロスを辞める10年ぐらい前に、星野さんが父に「そろそろダートの時代じゃなくてサーキットの時代だ」と言ったそうです。ニッサンがダートラをやらなくなり、星野さんたちが来なくなる直前の頃のことです。父はその言葉を大事にしていて、自分がモトクロスを辞めるか辞めないかの頃にエビスサーキット東コースを誕生させた。じつはこの東コースっていうのが、このレイアウトのままダートコースで、それを舗装にしたわけです。サーキットが生まれて、その頃自分は大学生でしたが、大学を中退して23歳でこの会社に入ったんです。
 実際に会社に入ってみると、その頃に始まったドリフトを若い子たちがサーキットでやっているわけですよ。自分は最初、ドリフトが大嫌いだった(苦笑)。ルールを守らないヤツら、コースが汚れるというイメージがあってね。だからコントロールタワーでオレンジボールを出して、「サーキットでドリフト走行をやるなんてとんでもない」と怒っていたぐらいなんです。ところが、ある日その考え方が変わった。うちの社員も夕方になるとドリフトをやっていて、ちょっと貸してみろっていうことで自分もやってみたんです。どうやってやるか聞いてやってみたら、できちゃったんですよ。初めて乗ったAE86で、1個目のコーナーでドリフトができて、「あれ!? これはおもしろいんじゃないか」って(笑)。24歳の春ぐらいに覚えてしまった。そこから完全にドリフトにのめり込んで、オレの生きる道はこれだぐらいになってしまって、始めて半年ぐらいで大会にも出た。某雑誌の大会だったんですが、そこで優勝。そうなったらもうダメですよね。
 エビスサーキットにはドリフトっていうカテゴリーはなく、貸し切りでしかできなかったのですが、これはもしかしておもしろいんじゃないかと思い、新しいカテゴリーとして取り入れることにしました。どこのサーキットもドリフトって嫌っていた時代なので、うちはドリフトで売ってみようと。自分が大会で優勝したあたりから、地元近辺の峠の大将たちに声をかけてエビスで走ってもらい、"ドリフト=サーキット"っていう図式を作っていくことにしたんです。それでも最初はなかなかお客さんがつかなかったから、夜にやったらいいんじゃないかと思って、コースに照明を付けてナイターを始めた。でも、反応は悪かった……。
 当時はローリング族と言われて、峠を走っている人たちがたたかれている時代。自分はその人たちに目を向けました。西は名古屋ぐらいまで、ほぼ東日本全域を対象に、毎週末チラシを持って「エビスまで走りに来て」とひとりで夜な夜な峠に行って、見ている人や峠を走っている人たちに配ったんです。1年〜1年半ぐらいかけて回りましたかね。それから徐々に皆がエビスに来てくれるようになったんです。
 自分は人がやらないようなことをやってきて、20代後半から30代頭にかけては異端児って言われて、サーキットの今までの常識を全部ひっくり返してきました。サーキットでは基本的にライセンスを取って走る、または貸し切って走るっていうスタイルが主流。うちもそれでやっていたんですが、どうも敷居が高すぎるなということで全部ライセンスを取っ払った。カラオケ感覚で「ちょっと行かない」って予約も何もなくサーキットに来てゲートでお金を払ったら走れると。ここに来てちょっとした安全のための講習を受ければもうすぐに走れるというふうにサーキットを変えていったんですね。それが成功っていうか、どんどん定着してきてチューニングカーブームに乗って盛り上がってきた。今は今の流れがあって、その時々の流れに応じていろんなことをやっていかないといけないんだけど、自分が大事にしているのはまず自分が楽しむこと。自分が楽しいなと思ったらお客さんにも楽しんでもらえる。バイクにしても今も自分は乗っていて、これ楽しいなって思ったら新しいカテゴリーを作ってみたりとか。ドリフトの選手として現役で走り続けているのも、そういう部分を自分の中に残してあるからです。

熊久保信重

10年前、世間の認識は「ドリフト=暴走行為」だった。
そんな悪いイメージをどうにか払拭できないか?
エビスサーキットを拠点にして熊久保さんは、
国内だけでなく海外にも足を運んでショーイベントを開催するなど、
積極的にドリフトの魅力を発信してきた。
「ドリフト=モータースポーツ」
10年間の成果は、世間の認知をそう変えてきた。

熊久保信重

ドリフトはもはや「文化」

 ドリフトの魅力は、一番は自己満足だと思うんです。自分でクルマをコントロールする楽しさもあります。あともうひとつは、見ている人を喜ばすことができること。よく何でドリフトなんですかって聞かれるけど、レースになってくると観客席の誰かではなく、もう自分だけの世界になってしまうんですよね。楽しいのも自分だし、評価も自分。自分が楽しいからレースをやる。ドリフトに関しては自分だけじゃなくて、周りも楽しませることができるんですよ。もともと自分はそういうショーが大好きだし、自分だけじゃなくて周りの人たちを楽しませたいっていう気持ちが強いんです。お客さんの反応はすぐに分かります。自分が「決まった〜!」と思った時に観客席で拍手しているのが見えるんです。そういう反応を純粋に楽しめるのがD1なのです。
 もちろん選手としても上を目指して走り続けなければいけないと思っていますが、ここ10年はドリフトのイメージを払拭するために戦ってもきました。10年前は「ドリフトって暴走族だよね」と言われ、悪いイメージしかなくそういうところで自分には負い目がありました。ただ負い目を感じていても仕方ないので、払拭するのが僕の仕事だと思ったんです。今は峠を走るなんて聞かないじゃないですか。でも、サーキットを走る人は増えている。サーキットに来る人にしても「いや〜切符を切られた」なんてことは聞かない。違法改造車で一般道を走らなくなったんです。じゃあどこを走るかって言ったらサーキット。この10年かけて自分たちがやってきたことが、暴走行為と言われていたものをモータースポーツと呼ばせるまでになった。D1グランプリの効果もあると思うんですけど、違法行為が日本発祥のモータースポーツに様変わりしたと僕は思っています。
 D1を広めるために海外に何度も足を運びました。海外に向けて発信して、海外でも知ってもらう。まずはそこでショーを開催して、ドリフトっておもしろいんだぜっていうのを見せて、次にドリフトスクールやコンペをやって、1年ぐらいかけてひとつの国を開拓していく。「ドリフトは日本の国技」って僕は言い切っています。日本で産まれて日本から世界に向けて発信をして、いまだに日本人が世界のトップドライバーである唯一のモータースポーツなんです。そういう意味で、外国で開拓していくにしても、僕は文化としてドリフトを世界に広めていきたいって思いながらやっています。
 そういう活動の甲斐があってか、いま外国人で日本に行きたい、日本でドリフトを本気で学びたいって思ってくれている人は増えているんです。世界中のいろんなところでドリフトがはやって、ドリフト発祥の日本、ドリフトの聖地エビスサーキットに行って走りたいと、年間1000人近い外国人たちがエビスサーキットに来てくれるんです。

熊久保信重

今後のサーキットのあり方

 やってきたことが間違っていなかったなと思えるようになったのは、やっぱりそういうふうに広がってきた最近ですね。自分はどっちかって言ったらコンペ、コンペってなるんですけど、そればかりを推進するんじゃなく、楽しむこと、交流することも大事なんだな、と。日本は何でも、コンペが先に立ってしまうところがあるじゃないですか。レースだったらスーパーGT、そのピラミッドの一番てっぺんだけが日本のトップカテゴリーみたいな。いやいや、ピラミッドのてっぺんなんていっぱいあるし、それだけがすべてじゃないよって言いたい。D1を目指すのもいいし、趣味でサーキットを走るだけでもいい、憩いの場としておいしいコーヒーを飲みながらサーキットに来るのでもいいし、僕らのように友達を作りに世界に出て行ってもいい。ただ、どこかにモータースポーツをやりたいなって気持ちを大事に持っていてほしいとは切に思うし、やれるチャンスが来たらやってほしいとも思います。だから最近思うんです。エビスサーキットは日本のモータースポーツの行き先を探す、目的を探す場にならないかな、と。もう目的なんて何でもいいんですよ、エビスに行ってみたら何かあるんじゃないのっていうのでも。まずは来てもらうこと。来てみてD1を見て好きになったり、興味を持って自分もサーキットを走ってみようかなって思ってくれる人がひとりでも増えてくれるような魅力的なサーキット作りが、僕の今の目標ですね。

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