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勝田 貴元 氏 「勝負は諦めたら終わり。」

HUMAN TALK VOL.157 勝田 貴元氏「勝負は諦めたら終わり。」

PROFILE

勝田 貴元
KATSUTA Takamoto

1993年3月17日 愛知県出身
05年からカートをスタート、07年全日本ジュニア選手権シリーズ2位、同年のROTAX MAXグランドファイナルで7位(JrMAXクラス)、マカオで開催されたYAMAHACUPで優勝。08年全日本選手権KF1にトヨタ・ヤマハレーシングチームからデビュー。10年は4輪にステップアップを果たしてFCJを戦う。10年はシリーズ8位、11年も苦しい展開の中でも粘りの走りで切り抜け、待望のチャンピオンを獲得した。

祖父の照夫氏も、父の範彦氏もラリー界で活躍したドライバー。
そんな血筋を引く勝田貴元が選んだ道はフォーミュラレースだった。
小学校6年でカートレースにデビューして大舞台で活躍。
チャンスを確実にモノにして、最高峰クラスまで駆け上がり、
4輪レースにステップアップしてからも勢いは衰えずに前進し続ける。
2011年、4輪初タイトルまでの日々を振り返りつつ彼の強さをひも解く。

勝田 貴元

 祖父と父がラリードライバーで小さい頃からモータースポーツには関わりがあり、車にはすごく興味がありました。「おもしろいからやってみないか?」と父にレーシングカートというのを勧められた時は当然、「やりたい」と言いました。
 初めてカートに乗ったのは小学校6年生、12歳の時ですね。すぐにハマってしまいました。2〜3回練習した後で、じゃあ自分のカートを買おうという話になり、カートショップぶるーとでお世話になることになりました。購入したのはキッズカートではなく、大人と同じクラスのカート。その頃はジュニアのクラスが自分より下の年齢のクラスしかなかったので、僕の年齢だと大人と同じクラスになってしまうんです。だから、デビューレースも大人と同じクラスでした。


 ただ走るだけでも楽しいし、所属したチームの人たちの中に同じクラスの人がいて、抜いたり抜かれたりするのも楽しかったです。だから、早くレースに出たいなって僕は思っていましたし、タイムも順調に上がっていったので一回出てみようかってチームの方に勧められたので、レースにもすぐにデビューしました。初レースはカートに初めて乗ってから1ヶ月後でした。

 最初はSLというローカルレースで、半年後にはジュニア選手権西地域にも参戦し始めました。ジュニア選手権は全日本選手権を目指す若手ドライバーたちが集結するレースで、すごくレベルが高い。僕も苦戦して、ジュニア選手権では結果という結果は出ませんでした。ただ、始めて1年も経っていない時のデビュー戦の中山サーキットは忘れられませんね。予選も決勝もリタイアしてしまったんですけど、雨の中のタイムトライアルで4番手になれたんです。なぜかは分かりませんが、すごく調子がよかった。デビューイヤーに追いかけたのは全部で3つのシリーズで、瑞浪零レイクウェイのTIAジュニアとチャレンジカップ、そして幸田サーキットのSSクラス。全部シリーズ2位でしたけどね(苦笑)。優勝はできたけど、シリーズではあとちょっと足りない感じでした。
 翌年、瑞浪のSSクラスで初めてチャンピオンを獲れました。2年目のジュニア選手権はまた結果が出ない1年だったんですが、同じ年に参戦し始めたROTAX MAXというシリーズのジュニアMAXクラスではシリーズ3位を獲得しました。その結果、マカオで開催されるROTAX MAXレースの招待選手になって、初の海外レースをマカオで経験できました。レースはプレファイナルでポールポジションを獲って、決勝結果は3位。ジュニア選手権では流れをつかめませんでしたが、マカオでは流れをつかめました。
 07年は勝負の1年でした。3年目のジュニア選手権ということで、本当に勝負の年だと集中して臨みました。開幕戦の瑞浪で優勝することができて、その後もトップ争いに加わりタイトル争いをしました。でも、シリーズチャンピオンまでは届かず、シリーズ2位……本当に悔しかったですね。ジュニアMAXの方も開幕から2連勝できてすごく流れがよかったんですけど、ポイント制度の関係で最終的にシリーズは3位。それでもUAEのドバイで開催されるROTAX MAXグランドファイナルという世界一決定戦の招待選手になることができて、シリーズが終わった11月にドバイへ日本代表ドライバーとして参加させてもらいました。78台参加する中、タイムトライアルでポールポジションを獲得して、予選ヒートも1位/2位/2位で予選総合トップ。流れはすごく良かったんですが、決勝でトップ争いをする最中に接触してしまって、チェッカーを受けた時は7位でした。
 落ち込む暇もなく、その年のマカオでヤマハカップというレースに参加したのですが、そこでは絶対に結果を残さなければいけない状況でした。ヤマハカップで勝てば、翌年の全日本選手権のトヨタ・ヤマハレーシングチームというワークスチームで走れるスカラシップが得られるんです。ジュニア選手権でチャンピオンを獲り、すでにそのワークスのシートに収まることが決まっていた川端(伸太郎)選手もマカオのレースには参加していて、翌年の参戦体制を考えるとそこで勝って結果を出すことが僕にとっては大きなミッションだったんです。決勝前のプレファイナルで他車と接触して最後尾まで落ちてしまった時は、正直ダメかなって思いました。でも、諦めないで最後まで全力を出し切ろうと、最後尾から決勝では追い上げました。1台、1台とパスして自分でも信じられないんですけど、1位まで追い上げられて逆転優勝ができた。自分のキャリアの将来を決める上で大事な瞬間って何度もあると思うんですが、僕はそういうここぞという場所で勝負の時に運を味方にすることができました。
 そこまでのカートライフでももちろんそうですが、そこから先の激戦クラスや4輪レース活動においても、チームぶるーとのオーナー、高橋さんのおかげで道をそれることなく前に進めました。走りはもちろん、人間性や精神面においてたくさん学ばせていただき、カート時代の高橋さんの言葉は今でも僕を支えてくれていますし、今でもチームぶるーとの皆にはいろいろな面で支えてもらってます。心から感謝してます。そんな支えのもと、翌08年にトヨタ・ヤマハレーシングチームに入り、いきなり最高峰の全日本選手権KF1クラスにデビューすることになりました。

勝田 貴元

カートレースの中で一気に頂点クラスまでステップアップを果たした勝田貴元。
だが、その上昇気流が彼を苦しめることになる。
全日本カート選手権でも4輪デビューの1年目にも、
高いハードルが待ち、なかなか頂点に届かない。
そんな中でもドライビングスキルとメンタルを磨き続けたことで光が差した。
決して楽な1年ではなかった2011年、ついに勝田は4輪タイトルを奪った。

勝田 貴元

飛び級で全日本参戦

 ジュニア選手権からカート最高峰の全日本選手権への飛び級、しかもいきなりのワークスチーム入りだったので体力面などで不安はありました。全日本選手権は今まで経験のないハイグリップタイヤを使用するんです。今までのエントリークラスのタイヤでは少し雑に操作してもタイヤ表面が荒れたりすることはなかったのですが、ハイグリップタイヤになると少しリヤタイヤを滑らせただけで荒れたり、一瞬でゴムがなくなるんです。開幕前のタイヤテストで「このままではダメだ」と実感したので、いろいろ自分で走り方を考えながらドライビングの精度を上げることに必死でした。それが開幕戦の結果につながったんだと思います。1レース目はリタイアしたものの、2レース目に優勝。第2戦の茂原の決勝は4位/2位で、タイムトライアルではポールポジションも獲れ、1年目にしては悪くない流れでした。
 翌年も継続してヤマハワークスで走らせていただき、チャンピオンには届きませんでしたがシリーズ3位という成績を残せました。この年にはFTRS(フォーミュラトヨタ・レーシングスクール)を受講して合格でき、2010年のFCJデビューが確定して、とりあえずはカートを卒業することにしましたが……4輪でも苦労しましたね。

苦しんで得たチャンピオン

 正直、4輪ステップアップに向けて練習もせずにFTRSのオーディションを受けたので、最初はクルマの発進も恐々で、エンジンストールは何回もしましたね。カートと一番違うのはシフトチェンジがあることで、ブレーキングと同時にシフトダウンしてヒール&トゥしたり、4輪ではやることが増えます。重量も何倍も重くなりしっかり車の構造を理解しないと速くなれないと実感しました。いざシーズンが始まるとライバルたちとの現実のタイム差を見せつけられ、タイヤやクルマの構造だけでなく、どういうふうにクルマを動かしたら速いのか、そういうことを頭で理解していかなかったらここでは結果を残せないなと痛感しました。トヨタ系ドライバーの方々やFTRS校長の関谷正徳さんにアドバイスをもらったりしながら、自分なりに走り方を修正していったのが1年目でした。

勝田 貴元

 セオリーを理解しつつ、自分の持ち味であるブレーキでの突っ込みを加えて、自分なりのアレンジをすることも忘れませんでした。実はカート時代からブレーキに関しては自信があったんです。他の人より何倍もブレーキングをトライしてきたので。ブレーキングポイントだけでなく踏力の入れ方、抜き方だったり、細かいところを研究してきたんです。毎周、同じコーナーであっても絶対に同じ走り方はしない。走っていない時にもイメージを作っておいて、実走で試してみたり。もちろんイメージどおりにいかないことも多くて、試行錯誤の連続でしたね。
 そんな苦しい1年間があったので、2011年は経験と反省をもとに、どう走ったらいいかシーズン最初から方針が見えていました。ただ2010年から速かった同期の平川亮選手や3年目の石井一也選手らが同じFTRS出身ドライバーとして走っていて、彼らが最大のライバルになるだろうなとは思っていましたね。実際、2011年もすごく苦しい1年でした。

 開幕戦で勝った後、中盤戦で失速する時期があったんです。走り方で未熟な部分もあったのですが、どうしても自分の思いどおりにクルマが動いてくれない状況がレースウィークに続いて、そこでポイントが取れなかったんです。アンダーステアとかオーバーステアじゃなく、スピードを落とさないとグリップ感を得られない原因不明の状態でした。ランキングトップから離され、もうダメかもと諦めかけた時期もありました。ただ、そのグリップしない状況でどうやったらクルマが曲がってくれるのか、少しでも速く走らせられる方法をトヨタのアドバイザーの影山さん竹内さん黒澤さんにアドバイスをいただきながら、悩みながらも考え続けたことが、最終的にシリーズ終盤で生きました。最終戦では急な雨のレースの中で優勝でき、苦しんだ中盤戦が無意味じゃなかったんだと自分なりに噛み締めました。ずっとスムーズに結果が出ていたら、最後の最後で苦しんでチャンピオンを逃していたかもしれませんから。苦しい時期にメンタル面で支えてくれた方々にも、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
 FCJでチャンピオンを獲れ、今年はステップアップを予定しています。まずはそこで色々な方の記憶に残るような走りをしてチャンピオンを獲り、来年にはヨーロッパでレースできるぐらいのレベルに達することが目標です。ヨーロッパでレースしたいという気持ちが今は強いので。いろんな人にラリーの道に進まないのかとよく聞かれますが(笑)、今はフォーミュラのことしか考えていません。もちろん頭の片隅にはありますが、フォーミュラで上を目指すのは本当に今しかできないので、このチャンスをしっかり生かして時間をムダにしないことが大事です。諦めず追い続けること、それが今の自分のモチベーションなんです。
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