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小川 日出生 氏 「最強プライベーターの夜明け前。」

HUMAN TALK VOL.153 小川 日出生氏「最強プライベーターの夜明け前。」

PROFILE

小川 日出生
OGAWA Hideo

1949年6月6日 山形県出身
ラリーからレースの世界に転身。スーパー耐久には、前身のN1耐久シリーズ発足初年度から参戦を続けている“老舗チーム”RSオガワの代表。山形県に本拠を構え、99〜00年、そして2010にチャンピオンを獲得した。

>http://www13.plala.or.jp/rs-ogawa/

S耐シリーズで粘り強さを武器にこれまでランサーを駆り、幾度もシリーズ争いの中心になってきたRSオガワ。
その原点はラリーにあり、そこでの経験が耐久レースに活きていると小川氏は語る。 当時を振り返りながら最強プライベーターと呼ばれる、RSオガワの強さの秘密をひも解く。

小川 日出生氏 ラリーからレースへ。

ラリーからレースへ。

 1970年から、ジムカーナ、ダートトライアルをやり始めて、73年に初代ランサーが出たでしょ、それの影響でラリーにのめりこんだんですよ。で、76年にオーストラリアのサザンクロスラリーにナビゲーターっていう形で参戦したんです。以後、帰ってきてからはラリーをずっとやってきました。初代ランサーにも、ミラージュ、コルディアにも乗った。最後が87年にギャランVR‐4にスタッドレスタイヤを履かせて青森県に行ったのかな。それでラリー参戦は終わりました。
 ずっとラリー好きで、東北選手権とか全日本選手権を走ってきたんだけど、三菱自動車にコルトモータースポーツっていうクラブがあったの。その中で当時の会長やらテスト・アンド・サービスの社長やらに東北地方でミラージュインターナショナルカップのクルマ(レースカー)があまってきているから、ミラージュインターナショナルカップレースの東北シリーズをやろうっていう話をもらったんです。87年かな。東北にもスポーツランドSUGOと仙台ハイランド、ふたつのサーキットがあるってことで東北シリーズを立ち上げようと。で、ガレージとメンテナンス屋が必要だってことで、うちが三菱のサブディーラーをやっている関係上、2000ccの部品供給やらレースをやっていく上ではいろいろ必要だろうっていうので、東北ミラージュの基地としてシリーズを支えてくれって頼まれたわけ。それはそれでやりがいのある仕事だなって思っていたら、当時なかなか参戦台数が集まらないから、小川も少し走ってくれよって言われたの。最初は安易な気持ちで乗り込んだ。それがレースに参戦するきっかけになったわけですよ。
 それまではレースなんてぜんぜんやりたいと思ったことはなかったですね。ラリーの方がぜんぜんおもしろいって思っていたから。でも、そういう形で参戦し始めてみて、とりあえず1年目はレースなんてぜんぜん分からないし、走り方も分からない中でやってみた。最初は2台並んで走ること自体がおっかなかったんだけど、だんだんと走り込むうちに意外におもしろいなってなってきた。で、やっていくうちに本気になって、89年から91年は東北シリーズのチャンピオンを獲った。90から91年は関東シリーズで開催されていたミラージュインターナショナルフレッシュマンシリーズに参戦して、それも2年連続チャンピオンを獲ったのかな。レースをやり出してからはほとんどすべて自分でクルマをいじって、レースに出てっていう生活を続けていたわけだけど、ラリーとはまた違った魅力があったなって今では思いますよ。

エボIとともに本格参戦。

 大きな転機になったのは、1991年にオートテック富士ツーリングカー6時間っていうレースが開催されたことかな。それが今のスーパー耐久シリーズの始まりのレース、前身と言われていて、その6時間耐久レースに2輪駆動のC‐53ミラージュターボで参戦することになったの。相手はイスズワークスのジェミニ、それと戦って優勝したんですよ。自分はレースよりも耐久の方が好きだってその時気づいて、今度は耐久レースにのめりこんでいったわけですよ。

小川 日出生氏 エボIとともに本格参戦。

何か、耐久レースってラリーと同じ感覚なんだよね。ボロボロになりながらも何とかゴールを目指して、その中にはいろんな人たちの協力もあって、フィニッシュした時には同じ達成感を味わえるII。
92年からN1耐久っていうカテゴリーが正式に日本に誕生して、オレがサーキットに一番早くランサーを持ち込んだわけですよ。1800ccのランサーで、当時は32GT‐Rとかと一緒のクラスだったので、もう予選落ちばかりでぜんぜんダメでしたけどね(笑)。翌年は1800ccのランサーから2000ccのランサーに参戦車両を変更。いわゆる初代ランサーエボリューションが市販され、RSオガワとしては本格的にサーキット仕様に作り直して、そのN1耐久レースに持ち込んだ。そこから今の今まで……この先どこまで続くか分かりませんが、RSオガワのスーパー耐久シリーズ本格挑戦がスタートしたわけです。

ジムカーナやダートトライアルといったスピード競技からスタートした小川日出生が、ミラージュでレースデビュー。
N1耐久がスーパー耐久シリーズへと変遷していく中で、三菱が誇るランサーエボリューションシリーズを次々に耐久レースに投入して、
最強プライベーター伝説が始まる。

小川 日出生氏 十勝では皆勤賞

十勝では皆勤賞

これまで、レース車は全部自分で作ってきた。スーパー耐久シリーズ(S耐)のマシンも全部オリジナルで作ったよ。エボI、エボⅡ、エボⅢとやって、エボⅢまでで2回ぐらい優勝したのかな。エボⅣはうちでは作らなくて、次はエボⅤを投入した。FIAのロールケージとかいろいろ分からないことは教えてもらいながらやってきたね。その頃ってね、S耐の中でも十勝サーキットで開催される十勝24時間レースっていうのがメインのレースだったわけ。そこで勝つことがすごくステータスになるっていうことで。そのレースでは燃費の良いBMWが当然強かった。うちのランサーの場合、BMWと同じ速さで走って勝負しようと思ったら壊れてしまう、ていうのを最初の1~2年で勉強した。その後はテストアンドサービスなんかもランサーで出てきて結構激しい戦いになってきて、24時間戦って7秒差で劇的に勝利したっていうレースもあった。十勝24時間はこれまでフル参戦してきて皆勤賞をもらっているし、4回も勝っているから、個人的には思い入れのあるレースだね。あと鈴鹿のポッカ1000kmってあったでしょ。そのS耐クラスでも2回優勝している。

  S耐のシリーズでは99年にチャンピオンを獲って、00年も連続チャンピオン獲った。そこから新しいエボⅦになってからは、BMWの他にインプレッサも参戦してきてシリーズチャンピオンが遠のいたけど、昨年久々に3度目のシリーズチャンピオン獲れたよ。S耐参戦初期の頃は、オレがメカニック兼監督兼ドライバーとしてやっていたけど、3年前ぐらいから視力が落ちてきたのでドライバーを降りた。でも、阪口良平っていう若いうちのドライバーが頑張ってくれててね、そういう成績を残せているわけ。99年の韓国のレースに行った時かな、その時に阪口と知り合って乗ってもらっているから、かれこれ10年以上も乗ってもらっていることになるね。
ドライバーとして降りることに未練はそれほどなかったよ。どちらかと言えば、自分で乗ってあ~でもない、こ~でもないっていろいろセッティングの方向性を話し合って、サーキットに持って行くのがオレの楽しみだったから。サーキットによって足回りとかデフセットって変わってくるのに加えて、自分で乗って味付けしたり、そういうことをするのが好きだったんだ。

金だけじゃない

当初はS耐=N1で動いていたわけよ。モノに頼らないレースで、資金のないチームでもそれなりに戦えた。ブレーキにしても、今は100万円もする大型ブレーキを使えるようになったでしょ。昔は2ポッドの純正でエアダクトもぜんぜん付けない中でレースをやっていて、それなりに走らせればドライバーの技量で最後まで持たせられることができたし、そういうのを競うのが楽しかったわけだよね。今のS耐は何だかんだ資金のかかるレースになってきてしまった。特認とか、いろいろやってるじゃない。昔のN1時代の方がおもしろかった、そう思っている人は多いと思うよ。今は特認、特認で何でもありみたいになってきてしまっている。そこが少し引っ掛かっているところだね。

小川 日出生氏 金だけじゃない

  でも、今後もできる限りモータースポーツをやっていきたいと思っている。継続は力なりってことで、途中で辞めないで個人で続けてきたからこそオレでもチャンピオンを獲れたわけだし。一番最初にモータースポーツをやった時は、6位までに入るっていう目標でやっていて、6位になれたら次は3位に入ってJAFのメダルをもらいたいって目標になって、それを達成したら次は金メダルが欲しいってことで金メダルを獲って、その次はいろんなカテゴリーのシリーズチャンピオンを獲りたいってことでシリーズチャンピオンを獲って――。オレはオレなりの計画をレースの中で組み立ててきて、もうやり尽くしてきた。だから、これからはあまりカリカリしないで楽しいレースをやりたいなって思っている。ニュルブルリンクなんかにも行きたいなって。あと今でこそインターネットとかあって東北にも情報が入ってくるけど、オレがレースを始めた頃は通信網がない時代だった。
そんな中でいろんな人にお世話になって成長して今があるわけだ。
そういう意味で、若い人の面倒を見たい、育てていかなければなという気持ちもあるよ。技術を継承していくためにもね。そういう人たちが成長して、うちがやってきたみたいに小さな個人チームでも勝てる、モータースポーツは金だけじゃないっていうのを示していってもらいたいなって。最強のプライベーターってよく言われるけど、そうやって言われることはうれしいし、オレは誇りに思っているよ。
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